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愛すべき出会った人たち 1

昨夜、「看取り」を生活の中に、もしくは、人生の節目のように
当たり前の出来事として迎えれるといいなあ、という話をしていました。
スタッフ側の視点ですけど。

「死」が特別なものとしてとらえられる
のではなく、
日常の中にある出来事として、
受け止められるのがいいなあ、という話をしました。

スタッフ側(特に施設)だと、
急変→救急搬送
という図式になることがまだまだ多い。もしくは、
「大変」「自分の当番の時でないようにと祈る」
正直な声ですが、
もう少し自然な場面となればいいと思うのです。

さて、
彼女と話していると、
わたしは、自分のことを「福祉職として看取りを語る!」ことをしていきたい!!と沸き起こる思いがあります。
「看取り」を語るのは医療職!と決めていたのはワタシかもしれません。
コンプレックスもあります。
ケアマネジャーを長くしていたわりには
いわゆる「看取り」支援の経験はかなり少ないからです。

とはいえ、
できることはありそうです。
そう思わせてくれてありがとうございます"(-""-)"

さて、彼女にも心に残ったことがあるそうです。
ワタシが担当していた利用者さんのこと。

前置きが長くなりました。

実は、もうお名前すら覚えていないのです😿
しかし、
ご自宅のマンションは今でも覚えています。

彼は、すい臓がんでした。
お目にかかった時にはすでに「末期」と言われていました。
お話することも難しくなっていました。

3階建てのマンション?で3階にお住まいでした。

介護保険サービスは、介護ベットを利用するのみ。

長いことかかりつけ医の先生が医療面のフォローをしてくれていました。

妻と娘が見守っていました。

あっという間に天国に逝かれました。

妻から電話があり、「亡くなりました」とあっけらかんと言われました。

訪ねて話を聞くと
居間に置いたベットの後ろの応接セットで
ざるそばのおひるごはんを家族みんなで食べていたそうです。
本人は、寝ていたので後で声をかけようと思っていたそうです。
本人に声をかけようとした時に、異変に気づいたそうです。
「お父ちゃん、死んでる」

家族皆がワイワイ言いながら、おひるごはんを食べていた。
その声を聞きながら、その様子に浸って、旅立たれたようでした。

ごくごく自然に最期の時を過ごされたように思います。

特にサービスが入るわけではなし、
家族と過ごす時間がたっぷりあったと思います。

生きてるように旅立っていく

そんなふうに生きていきたいし
そんな地域だといいなあと思いました。



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