結果を求めないアウトプットでどうですか?

こんにちは。小説家として活動している藪田建治と言います。

早速ですが職場でもプライベートでもモヤモヤすることってありませんか?
なんか先輩から勝手に自分の人生を決められるような発言をされてモヤモヤするな、なんか知り合いの人からあなたってこうだよねみたいな勝手な決めつけをされてモヤモヤするな。それが全く的外れな見方だとさらにモヤモヤというか苛立ちすら感じる。

そんなことってよくありませんか?
僕は正直これまでそう思ったことは数知れず。もう数え切れないほどありました。
もしそれを人に愚痴ることが出来れば良いのですが、それがなかなか出来ない人もいると思います。0ではないですけど、あまりしたがらない性格とか性格面の問題や周囲に言える人がいないとか環境面の問題など。
まあ愚痴を言うことが良いとも限りませんが。

そこでこの結果を求めないアウトプットってどうでしょう?
発信して誰にも届かなかったらしんどくなります。でもその目的があくまでも自分の気持ちを外に吐き出すことであれば、そこに届く届かないは問題ではない。
自分の気持ちを吐き出して、その後は自分らしく幸せな時間を過ごすことを目的とすれば、今より人生楽しくなるんじゃないでしょうか?

例えばブログで自分の気持ちを書いてみる。このnoteで気持ちを吐き出してみる。インスタで起きたことから、そこで自分なりに出した答えを経過と結果を簡単に書いてみる。
それだけでもなんか気持ちがスッと楽になったりしそうではないでしょうか?
今の例で言えば今更ブログ?とかのようになるかもしれませんが、目的は自分の気持ちを吐き出すことですから、書けるツールの方が良いかなと個人的には思っています。
noteでも自分の気持ちを吐き出して、その葛藤や最終的にそこから学んだことを書けば、自分ってこんなことを考えるんだと自己理解に繋がるかもしれません。
それが積み重なっていけば、自分ってこういう物事の考え方をする傾向があると深く理解出来て、他人を見た時にもっとフラットな気持ちで考えられるのではないでしょうか?
この先輩勝手に自分の人生を指示してくるけど、本当は自分には出来ないからそれを他人でかつ後輩の言い易い自分に言うことで折り合いをつけてるんだな、でもそれって自分はダサいことだと思うなとか。

勝手に人の性格を決めつけているけど、ほんのわずかな面しか見てなくて、それをまるで全体のように捉えているこの人って正直取るに足らない人だ。じゃあもう自分がどう思うかに軸を置いて、この人の言う事は聞くだけ聞いておけば良いやぐらいの軽い気持ちにしておこうとか。

そうやって自己理解を深めることで、他人への見方も変えることが出来る。
そうすれば相手の全部を受け取る必要はなくなるので、今までよりもモヤモヤ感は減ると僕は思っています。

1度参考にしてみて下さい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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