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テキサスの美しい湖を求めて。とある三連休のショートトリップ (Canyon Lake, Spring Lake)

この夏、レイクタホ (Lake Tahoe)という湖へ行った。サンフランシスコから車で三時間半ほどのところにある、透明度が高く美しい湖。わずか三時間半であの景色!サンフランシスコに住む人々に猛烈に嫉妬した。

三時間半のドライブを「わずか」と思うあたり、アメリカに染まってきたかもしれない。

山がないことで知られるテキサス。アメリカに来た最初の年、イエローストーン国立公園という、アメリカでも人気な国立公園へ行ったときのこと。絶景の写真を撮っていると、別の観光客に話しかけられた。穏やかな老夫婦で、コロラド州から来たという。コロラドといえば山が綺麗で有名なので「いいねえコロラド」と言うと、当然だが「あなたたちはどこから?」と尋ねられた。テキサス、と答えたときの彼女の同情的な目。今思い出しても笑えてくる。「山…ないもんね。」と言われて、長野県が日本では「海なし県」などと言われているように、テキサスはアメリカでも「山なし州」として名を馳せているんだ、と思った。

そう、我々には山がないのだ。なのに綺麗な湖までないなんて。そんな酷い仕打ちがあってたまるか。

レイクタホに打ちのめされた私はインターネットに救いを求めた。そうしたら簡単に見つかった。単純に私が今まで探していなかっただけなのだ。テキサスは「湖までなし州」ではなかった。

インターネットが教えてくれた美しいテキサスの湖、キャニオンレイク(Canyon Lake)は、ヒューストンから車で三時間半ほど。そこそこ大きいので、どこを目指すべきかよくわからない。

山なら指定された登山道があるし、頂上は基本一つなのでわかりやすいが、湖はどうしたらいいのか。Google Mapsを見ると湖周辺には公園が乱立しており、そのどれかに行きさえすれば水辺に辿り着けそうだった。レビューと写真にくまなく目を通し、Overlook Parkとやらに照準を定める。こうやって絶対的価値ではなく相対的価値に基づいて何かを決め、自分のモノサシを磨こうともしない現代人の典型的な例が私である。なんとでも言ってくれ!

さて、とある三連休初日。いざゆかんOverlook Park。家から真っ直ぐに目指し、辿り着いてびっくり。なんと入口のゲートが閉まっている。

え!!

焦ってGoogle Mapsを確認するが、営業時間内である。なんでーー!でも入口に人がいるわけでもないので、誰かに尋ねることもできない。

長距離を運転し、やっとのこさ妻に指定された場所にたどり着いたら閉まっている。夫はかなり疲れていたようで、すこぶる不機嫌に見えた。

私には人の不機嫌を予知するセンサーやそれを未然に防ぐ機能は存在しないのだが、不機嫌な人には過敏なセンサーが搭載されている。焦った私は「グーグルマップ上では開いてるはずなんだけど…」と言い訳しながら急いで別の公園を探し、夫に共有する。

夫は車を路肩に停めて新しい行先を設定し、Uターンしてそこへ向かい始めた。で、さっきのOverlook Parkの前をもう一度通ったら、

入口が開いていた

なんで????

めちゃくちゃ謎だったが、開いているので入ることにした。
入ると、十台も入れないような小さな駐車場が一つだけ。もしかすると駐車場に空きがあるときだけ入口が開くのかもしれない。そんな高性能な入口には見えなかったけど。誰かが毎回開け閉めしてるんだろうか。

Canyon Lake!どうやらここはダムでもあるらしい。

期待したCanyon Lakeはとても綺麗だった。ありがとうインターネット!ありがとう、私達がUターンする間に帰ってくれた誰か!

ただその見た目とは裏腹に、湖に入る体験は最高とは言い難かった。

この夏、テキサスはびっくりするくらい乾燥していた。雨が全然降らなくて。それ故にこの湖もかなり水量が減っていたようで、湖に入るやいなや藻の大歓迎を受けた。ワカメだったらまだいいが(だいぶ嫌だけど)、なんだかちょっとチクチクするタイプで、すこぶる不快だった。水面を泳いだり浮き輪に乗っていたら全く問題ないのだけれど。

しかも海じゃないので、水辺は砂浜ではなく石。ゴツゴツして痛い。その痛みを補って余りあるほどの素晴らしさが湖にはあると私は思っているのだが(主にベタベタしないところ)、今回は石だけでなく藻までが私たちに攻撃を仕掛けてきたので、割と早々に退散した。

きっと水量が多ければ別の体験になったのだと思う。また来てみたいな、と思う反面、限られた私たちのアメリカ生活でどこかに「もう一度」訪れるチャンスはなかなかない。


さて翌日は朝からスプリングレイク(Spring Lake)へ向かった。こちらは滞在している都市サンマルコス(San Marcos)の市街地の中にどーんと存在する。その名の通り("spring"には様々な意味があるが)水が湧き出ている湖らしい。

目当てはグラスボートに乗るツアー。予約はできず当日券しかない。

グラスボート。見た目がかわいい。
こんな風に覗き込む。子どもたちが早々に飽きていて面白い。
こんな感じでとてもクリアに見える

9月上旬、まだまだ空気は熱を帯びるテキサスだが、ボートで感じる朝の風は心地よい。
やれ亀が見えた、魚が見えたとそこここで声が上がったのも束の間、それ以上の大きな変化はないため、グラスボードは静寂に包まれた。バイトと思われるガイドの大学生の声だけが響く。短いように思えた30分のツアーは存外ちょうど良いところで終わった。

なぜ私はこんなにも水辺に惹かれるのか、と思う。海の見える街に生まれ育ったからなのか。

窓から見えるのは建物ばかりだった都会での数年間の暮らしも、決して嫌いではなかった。だけどアメリカにやってきて窓から湖が見えたとき、心が喜ぶのがわかった。これだよこれ。

小さい頃、母はリビングから海を眺めては「綺麗ねえ」と呟いていた。人生のほとんどをその家で過ごした私には当たり前の景色。「お母さん、また言ってるよ」と揶揄したもんだが、今になって母の気持ちがよくわかる。そうではない景色と生活を共にした者にはわかるのだ。

伝わるだろうかこの透明度。


連休最終日は、スプリングレイクから繋がる川へと出かけた。実は前日の夕方にもトライしたのだが、駐車場どころか周りの道まで車でいっぱいで諦めたのだ。全く知らなかったがどうやら人気の避暑地のようだった。

アメリカ人は朝に弱い。どんな施設でも、開場時刻に行けばたいていはすんなり入れる。日本なら、朝9時オープンの施設の入場チケットは9時分から売り切れる。アメリカは10時や11時から売り切れる。人気のレストランも、お昼時は12時より13時の方が混んでいたりする。

という訳で私達は朝9時に川へと向かい、余裕しゃくしゃくで最寄りの駐車場に停めた。

長い川の中でも、石で作られた滑り台の周りが特に人気のようだった。天然の(滑り台部分は人工だと思うけど)ウォータースライダーである。
最初のスライダーはかなり勢いよく流れ、それ以降は勢いそのままに二つ目、三つ目と小さなスライダーが続く。割と遠くまで流されるので、一度乗ったら帰ってくるのが一苦労ではある。

この左端に写っているのが一つ目のスライダー

なんとこのスライダーを走って駆け抜け、最後に飛び込むなどという芸当をしている集団がいた。勇気。勇気がすごい。地元民だろうな。
この写真にも小さく写り込んでいる、カヌー的なもので逆流に果敢に挑むおじさまもいた。こんなにとっておきな練習場所も他にあるまい。

ウォータースライダーに目がない娘も夫と共に挑戦したのだが「たのしかったけどこわかった」と言い残し、それ以降は水に入ることすら拒絶した。

日差しは次第にジリジリと強くなり、冷たい水がとても心地よい。ここのところぬるいプールにしか入れていなかった私たちには奇跡のように思える。

娘にお願いして父と母それぞれがもう一回ずつ滑らせてもらい、その後は彼女が熱望したプレイエリアへ移動した。暑いのに大して影もないところで遊ぶなんて狂気の沙汰だが、とてつもなく楽しそうだった。子どもは狂気に満ちている。

意気揚々と公園へ向かう娘

この川を訪れる人たちは一日をここで過ごすつもりで来ているようで、目に入る誰もが用意周到だった。椅子、テーブル、ハンモック、大量のクーラーボックス。だから当然、なかなか人は帰らない。
帰るために駐車場へ向かった我々は、空き場所を探してゾンビのように徘徊する車の群れを見た。よし、待ってろよお前ら。今救ってやるからな。一台だけだけど。
その中の一台が即座に私たちに気が付き、すぐ近くに止めてきた。ラッキーだったね!と心の中でウィンクする。

さあ、家に帰ろう。この旅で見た湖たちには敵わないけれど、家に帰れば見慣れた湖が待っているのだ。


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