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だれかのために

わたしの人生、ずっと自己犠牲だったらしい。

だから、だれかを助けたり、だれかのためになることができたりすると、自己肯定感が上がり安心してしまうようになった。それは、ほんとうは抑圧された苦しいものであるはずなのに、ずっとその環境で育って、ずっとその環境にいたから、自己犠牲で安心してしまうらしい。

もっと怖いのが、幸せ、安定している家族やカップルに対しての嫌悪で、無理に問題を見つけ出したり、関係を崩壊させるようなことをしてしまう可能性があるらしい。
わたしにとって「安定」というものは、とてつもない憧れを抱くものである一方、居心地の悪いものらしい。
たしかにそうかもしれない…みんなに逃げて…


全員が、世界中の人が、みんながしあわせになってほしいと思っている。これはほんとうに強く思っていて、そのために社会学を齧ったり学童やNPOでバイトしたりしている。つもり。顔を知らない、わたしと関係のない、どこかにいる誰かのしあわせは、とても素直な気持ちで願っている。なのに、自分の知っている人、関係のある人、(ラブ友達は含まない、もちろん!)のしあわせは、素直に願えないところがある。嫉妬?嫌悪?軽蔑?みたいな感情を抱く。わたしはみんなのしあわせを願っているはずなのになぜ?と悲しくなることが多々あったのだけど、こういうことだったのか…と納得する一方、自分の理想が理想でしかないということを実感し、落ち込んだ。

家に1人でいたらド鬱、外に出るまでがとても苦しくて、なのに、外に出たら躁になってしまうのは、自分の意思に関係なく、周りの人たちに迷惑をかけないように、周りの人たちのためになるようにがんばってしまうということだったらしい。確かにそうかもしれない。わたしがかなり引っ張られてしまうタイプだから、自分の鬱々とした雰囲気で誰かを引っ張ってしまうことが怖いのかもしれない。ほんとうの自分の感情なんてどこかにしまっておいたほうがいいんだ、と思っている。

病院にちゃんと通ってちゃんと薬を飲めていることが、自分としてはかなり異常事態なんだけど、これも「自分の体調のためじゃなくて、体調を安定させて他人に迷惑をかけないようにするために通院、服薬してほしい」と言われたことがきっきけで、その言葉があるから治療を放棄しないでいる。

自我がなさすぎる。共感性が高すぎる。


もっとわがままに、もっと適当に、
それが治療方針だと言われた。自分を抑圧してしまう癖があるのだから、自分がわがままになれる環境、わがままになれる人間関係がどんなものであるのかを知ることがまず第一歩だと言われた。


心理検査を受けた
そういう勉強をしているからカウンセラーを審判的態度で見てしまうし、どこを見られているかわかるからうまく話せない。でも自分についてとても興味があるので、それらの枷を外してかなりがんばってみた。

以下、結果と背景と分析


①出来事の状況や意味を把握しようと努めていますが、心理的問題(特に不安感)のために圧倒され、知的要素が有効に働いていない可能性があります。

これは自覚がなかったので、結果の説明用紙の最初に書かれていたこの文章にはかなり衝撃を受けた。ほんとうは、それなりに冷静に物事を理解、分析する能力があるのに、感情がバカデカすぎて、冷静さが欠けてしまうことがあるらしい。言われてみれば確かにそうで、なのに、全く自覚していなかった。これ、自覚できたらかなりコントロールできるのでは?と思った。こころとことば


②出来事に関わる際に、行動するより考えるタイプと、出来事や人と関わって行動を起こすタイプに分かれますが、kyabetsuoishiiさんは後者のタイプです。もっと言うと、出来事や人からの刺激に振り回されやすい面があるようです。振り回されることにより、ご自身の情緒をコントロールできないことの不安もあるようです。

この結果を聞くとき、すごくドキドキしていて緊張していて怖くて、①が発揮されていて、なかなか意味が理解できなかったですね。「出来事や人と関わって行動を起こすタイプ」、うーん、そう言われればそういう気もするし、腑に落ちない気もする。でも、「出来事や人からの刺激に振り回されやすい」これはほんとうにそう!これが自我がなくて共感性が高すぎるってやつね。これは自覚アリ。ほんとうに振り回される。だからこそ「自身の情緒をコントロールできないことの不安もある」のよね。情緒、コントロールできねえ


③ご自身の内部(身体、もしくは心)に強い関心をお持ちのようです。そこから派生する不安感や喪失感があるかもしれません。

これはとても納得だし、これは、わたしの歴史がかなり関係している。ずっと身体が弱かった。
中学二年生のとき、まだわたしが優等生という価値に囚われていたとき、入院した。そのときの周りからの扱われ方、学校生活への影響、優等生からの転落の危機、プチ一人暮らし、採血、採血、採血、どれも鮮明に覚えていて、心身ともに疲弊した。
高校一年生のとき、推しの熱愛報道にショックを受けすぎて発熱してそのまま入院した。(ちゃんと病気だったよ) この入院がきっかけで完全に学校生活から離れてしまった。この話をしているときに、カウンセラーさんが「𝑑𝑟𝑜𝑝𝑜𝑢𝑡」とメモしてしてかっこよかった。
病気をした後にメンタルが壊れるのがある程度パターン化された人生なので、病気に対する恐怖心があるのかも。最近もポリープが見つかったばっかりだし…

入院やら不登校やら鬱やら適応障害やら、いろいろとやらかしていろいろと迷惑をかけていろいろと期待に応えられずに生きてきたので、自分ではもうかなりいろいろなことを諦めている。先日、親に「もうわたしになにも期待してないでしょ?」と聞いたとき、母は「生きててくれればいいよ」と言い、父は「病気さえ、入院さえしなければいいよ」と言った。それを聞いたとき、めちゃくちゃショックだった。親としてそう言ってくれるのは当然なのかもしれないが、今のわたしにとっては、病気せずに生きることも、とにかく生きることも、とても難しいことで、自分で制御できることではないと思っているから、ショックだった。
心配かけて、期待に応えられなくて、出来の悪い娘で申し訳ないと思っている。でもわたしはもうこの人生しかできないんだよ〜わかってくれ〜と思った。言葉にするの難しいな


④常識的な見方ができており、表現の幅、物事への興味や関心の幅があるようです。

これはめっちゃうれしい文章〜!表現の幅、めちゃくちゃ関心ある!すごいね


心理検査ナメてたけどすごいや!
めちゃくちゃ当たる占いみたいだ!

わたしのことをよく知っている人たちにも、とっても当たっている!と言われておもしろかった。
主我と客我で自我です。meとIを大切にしていきたい。

書ききれなかったけど、これまで育ってきた環境とか経験とか、すっごく根を張っているのだな〜と実感した。幼少期の環境やら経験は、わたしが選んだものではなく、不可抗力だったし、それをなかったことにするのもできないし、忘れることもできない。自分が思っているより深く根を張っている。わたしにはどうすることもできない。この根を枯らす必要はない。この事実と向き合って、共存していけばいい。ちゅ、多様性。
頭ではわかっているんだけど、心のずっと奥のほうではわかっていないみたい。もうどうにもできないし、この根と付き合っていくしかないんだから、だんだん受け入れられるといいな〜、、

検査を受けて結果を聞いて、ちょっと落ち込んだけど、ちょっと楽になった。自分でぼんやり考えていたことやしんどくて苦しかったことがきれいに結果に出ていてうまく言語化されていて、救われた。
この結果もまだ頭でしかわかってないんだろうな〜という感じがする。これを心のずっと奥のほうでも理解して受け入れて、自分の楽な生き延び術を発見したいぜ。

もっと適当に、もっと自分のために、ゆっくり生きるぞ

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