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【ウソみたいな自己紹介~アメリカンフラッグ編~】


ツインタワーに旅客機が突っ込んだ、
あの日、
私は、
アメリカにいた。
 
 
そして、
その日を境に、
それまでのアメリカが一変した。
 
 
あれは、
不思議な体験だった。

そして、
良い体験だった。
 
 
 
2001年8月、
私は結婚した。
 
数年間の交際を経て、
無職の私は、
生涯の伴侶を得た。


(今、別居中なのは、とりあえず無視して、進もう、、、)
 
 
なぜか、
今、
同居中の義父が、
同じ大学、
同じ学部、
同じ学科、
の出身だった事実が、
幸運であったコトは、
別で書いた。

 
 
さて、
2001年の私は、
公認会計士試験を受験するため、
試験予備校に通っていた。

 
正確にいうと、
7月に1回目の論文式試験が終わったタイミングだ。

 
現在とは、
試験制度自体が大きく変わっているが、
短答式と呼ばれる、
マークシート型の試験と、
論文式と呼ばれる、
記述型の試験の、
セットであるコトは変わっていない。
 
つまり、
その年の短答式試験を突破し、
論文式試験まで、
1回目の受験で、
辿り着いていた。
 
 
そのタイミングで、
アメリカに、
1年間住むというのが、
妻と私の当初からの計画であった。
 
 
試験に合格していても、
不合格でったとしても、
戻ってきてから、
次のコトは考えるとして、
1年間は帰らない。
 
 
で、
2001年8月に、
渡米した。
 
 
滞在先は、
サンディエゴ
 
 
メジャーリーグで、
ダルビッシュが、
現在所属するパドレスが、
当時からあった。
 
 
私たちが滞在中の、
20年前に、
市街の中心地に、
新しい球場ができるという計画が進んでいた。
 
 
当時は、
別の球場が、
本拠地だったけど、
イチローが、
大リーグに来たばかりの頃。

ライト側の外野席から、
51番を目で追ったな。

年間ホームラン記録を創った、
バリーボンズのホームランも、
生で見た。

すぐ目の前に、
そのホームランボールが、
転がってきた。

 

実際にメジャーリーグの試合を生で感じたのは、
野球少年だった私には、
良き想い出の一つだ。
 
 
 
で、
8月に着いて、
9月に、9.11が発生した。
 
 
おそらく、
日本での報道の方が、
より詳しかったのだろうし、
英語の処理能力は、
それほどでもなかったから、
あまり情報は、
私には届かなかった。
 
それに、
そんな、
報道で流れるような情報より、
肌で感じた変化が大きかった。
 
 
ショッピングセンターに隣接する、
当時通っていた英語学校には、
それまで、
結構な数の、
中東からの、
富裕層の留学生がいた。
 
サウジアラビアの王族に属するらしい、
とても軽い感じの、
早口の男の子もいた。
 
あの日以降、
彼らが学校に来るコトはなかった。
 
そして、
それ以降、
その英語学校には、
日本人と韓国人しか、
いなくなった。
 
 
街も全く違っていた。
 
それまでは、
ほんの数軒だったのに、
全ての建物に、
アメリカンフラッグが掲げられた。
 
そして、
全ての車も、
アメリカンフラッグを掲げた。
 
街は、
アメリカンフラッグで埋め尽くされた。
 
 

これが、
攻撃されたアメリカか、、、
 

 
こうやって、
攻撃を受けたコトを、
絶対に許さない姿勢が熟成するのか、、、
 
 

こうやって、
アメリカ合衆国という、
たった250年程の歴史しかない、
国としては若造の、
巨大で強大なチカラを持つ国は、
一致団結するのか、、、
 
 
ホントは皆、
コワがってるだけなのに、、、
 
 
そうなのだ。
 
 
自由を愛する国は、
とにかく、
その矛盾に満ちた愛国心で、
常に、
ビクビクと、
異常なまでに、
他者を、
コワがっているのだ。

まるで、
自分がイジメに遇わないために、
表面的に、
強がっている、
そんな、
小心者のように。


お前は、味方なのか、敵なのか⁉️

それを認識するためだけの、旗。

 
あのテロを肌で感じた私は、
ほんとうのアメリカを、
知った。

 
 
 
それでは。
 
 
【いつか、また、どこかで】

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