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苦手なことは、苦手なままで良い

一見、「苦手なことは、少しでも克服するべきじゃないの?」と思うかもしれない。

ここでは、幸せに生きるためにはあえてその必要はないと主張しよう。


高校受験の面接時、苦手な科目をどう克服するか聞かれ、思ってもないことを答えなければならなかった。

本音は「苦手科目は苦手なんだから、どうしようもないやん。」

その時は笑顔で、嘘八百を並べた。

今でもふと思い出す度にとてもしんどい気持ちが蘇るのだ。

何かがおかしいと思っていた。でも、「苦手は克服しないといけないから」と教育されてきたし自分自身を縛り付けていた。

時が経ち、フリーランスになると会社員とは違い「平均点を取ること」より得意を伸ばすことで評価されるようになり、

苦手についての捉え方が雪解けのようにゆっくりと変化していった。

人間関係の構築も様変わりしたことも変化の要因となる。

可もなく不可もなく付き合うことが求められていた会社の人とは違い、自分で選んだ人たちと今は活動や仕事をする。

自分の意見やスタンスも、忖度することなく話すことが出来るし求められる。

「苦手なこと必ずしも克服しなくて良いんだ」と思うタイミングが何度も訪れた。

まず変わったことはADHD、HSPなど勤め人ができない人がとても周りに増えた。


わたしはギリギリ社会に適応することができてしまっていたので、どんよりと「普通」になろうとしていた。

いや、なり下がろうとしていたんだと思う。

しかし彼らは自分についているラベリングなど気にしてはいない。

苦手を受け入れて、封じ込めないで生きている様がとてもカッコイイと思った。

次に、フリーランス=社会的に弱い立場になったことで、周りの同じような人ととても頼り合うようになった。

みんなそれぞれ得意・不得意があり、自然と補い合う関係になる。

人間は凹凸が誰しもあるのだと思う。

でも、凹凸を素直に表現することがレールに乗っていると許されないことが多いのだ。

本来個々が持つ凹凸を消すことが、資本家が潤うための鉄則だからである。

「大なり小なり人はなぜ凹凸を持って生まれるのか?

効率の良さを求めるのであれば、人間は生まれた瞬間に死ぬことが最も良い。

凹凸は、補い合うためにあえて持って生まれるのだ」

という話を聞いたことがある。

手を取り合って、泥臭く楽しく暇つぶしをしていこうとなんだか気楽に思えてくるのだった。

サスティナブルなアイテムを購入しようかな///