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脚本を書く才能があるか知る方法

4月10日、シナリオ講座の開講式がありました。
希望や不安が入り混じったような生徒さんの顔を眺めながら、20年前のことを思い出していた。

ぼくが脚本家を志したのは、大学4年のときだった。
ギリギリ就職氷河期で、周りは就活に苦しんでいた。
ぼくも当然苦しまなきゃいけなかったのだが、ソニーミュージックの新卒採用のグループ面接で撃沈して、それから一切の就活を放棄してしまった。
たった一社に振られて、あっさり諦めたのだ。

でも、ぼくに不安はなかった。
現実から逃げながら、未来を攻めていたからだ。

市ヶ谷で撃沈した帰りに、シナリオ・センターの広告と出会い、その足で表参道へ向かった。
(シナリオ講座のライバルの宣伝になってしまうが、これは仕方ない)
とにかく、ぼくはそこで初めてシナリオの勉強を始めた。
就職せず、脚本家になると決めて。

正直、ほかの生徒さんの作品より出来がいいとすぐに確信した。
先生にも、「きみをプロにするよう事務局から言われています。素質があるので、誰よりも厳しくいきます」とこっそり宣言されたくらいだったから。
(もしかしたら先生はみんなに同じことを言ってたのかもしれないけど)

ただ宣言通り、先生は厳しかった。
一番多く言われた言葉は、
「あなたの作品はドラマではありません」だった。
これが22歳の青年には意味がわからなかった。
「ドラマは、葛藤と対立です」
主人公は葛藤もしているし、対立もしているじゃないか。何がいけないのか。だんだんふてくされていった。

数ヶ月が経っても、ドラマがなんだかわかったようなわからないような状況で、某テレビ局のシナリオコンクールに初めて投稿した作品が最終選考までいってしまった。
そして、またそこでも厳しくされた。
「おれが面白くないものを書けといったら、きみは書けるか?」
謎かけのようなプロデューサーの問いに、頭が真っ白になった。

そんな感じで、脚本家になれそうな一歩手前で、ぼくは足踏みをし、そのうちいつもの逃げ癖が顔を出して、語学留学に行ってしまった。

それから再び脚本を書き始めるのは、6年後。
今となっては、先生やプロデューサーが言った意味を理解できるけど、あの頃のぼくには難しかった。

だから今、あの頃のぼくに言いたいことがある。
きみに脚本を書く才能があったのかどうだったのか?
「あったよ」と。

前置きが長くなったが、〈脚本を書く才能があるか知る方法〉はあります。

これは、志村けんさんの言葉なのだが、
「マネしてできなければ、それは才能がない証拠だよ」
は、芸人さんに限らず、作家にも当てはまると思う。

ぼくが作品づくり以外に夢中になってやってたのは、シナリオの模写だった。
月刊ドラマや月刊シナリオを買って、プロのシナリオを模写した。
だけど、模写したいシナリオが掲載されていることは少なくて、仕方ないからTSUTAYAでDVDをレンタルして、一時停止しながらシーンを抜き出し、セリフをおこして、シナリオにしていった。
ほとんどハリウッド作品が多かったけど、いつも発見があって楽しかった。
そのうち最新の映画もシナリオにおこしたくて、映画館の一番隅っこの席に座って、ノートとペン、G-SHOCKを身につけて、何分にどんな出来事が起きたか記録していた。
実はこういうことをやってた脚本家の先輩がほかにもいて、やっぱりこの方法は正解な気がする。

あの頃のぼくは何の苦もなく、それができていた。
だから数年後に、また脚本の道に戻ってこられたのだと思う。
今でもいい作品だなと思うと、模写しちゃう。

自分に才能があるかどうか、不安な脚本家志望者は是非やってみてほしい。
脚本家になりたい人じゃなくても、なにかその道を志す人なら辿る道は同じだと思います。

「マネしてできなければ、それは才能がない証拠だよ。アイーン」


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