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コメント欄

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

2個前の記事から
コメント欄を開けた

まぁコメントは少ないよね
別にコメントが欲しいわけではない

Instagramではコメントが結構多い
けど、8割は絵文字だけで
最初はそれが楽だと思ったけど

爆笑マークをお互いに返して
一対一ならそれはいいのだけど
コメント欄には爆笑マークがならぶとき

いちいち爆笑マークを沢山返すと
この投稿に対して俺は
それほど爆笑していないけどなと

まぁそんな活字を羨望する
思いが生まれた気もするし

コメント欄をあけているから
どこかの外人が
この絵はあなたのではない
こんな絵はすばらしくないと

相互フォロー関係にいながら
英語でそんな事を書かれている

意味はわからない

どういう意味だ?と聞き返すと
ごめんなさい。それはあなたの絵ですか?

余計に意味が解らないから
ブロックすることにした。
この人を理解してあげる必要は俺にはない

良くも悪くもここまでが
コミュニケーションのような気がした

日本人はマナーがいいように思うけど
外国人の方の一部は
執拗にDMを送り付けてくる

それも別に業者ではない
アーティスト活動は何年だとか?
どこから参加しているとか?
年齢は?名前は

申し訳ないけど
あなたとDMで個人情報を教える気はない
ときっぱり英語で拒絶する。

それで消えることもなく
普通にいいねを押しあっている
Noと言えるきゃらをだな(笑)

例えば有料記事を買ったり
あるいは、メルアドを教えたり
誰かの似顔絵を描いたり

そういうことを最初のころは
繋がりたくて容易にOKしていたけど
そういうものが互いに距離感を
勝手に縮めていくことはあって

誤解を生みやすいし
単なる善意が好意に認識され
台無しになり最後は
憎悪になることもある

まぁ人間だからね。
いい悪いではなくて
誤解する方が悪いとか
誤解される方が悪いとか
そういうものではない

けど

またコメント欄を開けていく

オープンでの交流を深めたい気持と
同時に、合わなければブロックしよう
いつまでもスキを融通しあっても
しかたないでしょうといった
冷たくも強い意思を持てた気がする。

まぁこんなことを書けば
怖くてコメントなんてできないだろうけど(笑)

誰が何をいっても
そもそも人のハンドルネームに
ちゃんづけされたり、呼び捨てされたり
いきなりため口聞いてくるとか
ありえないと思っている

何度かやりとりをして砕けた時に
少し物がいいやすくなることもある
けど、そういうときが
一番地雷を踏みやすい

俺達は他人であるということ
例えばそれは夫婦であってもそう

当たり前などなく
有難いがあるだけのこと。

ただ、これは俺の考え方で
強要していいものではないのもわかる

だけど、俺の投稿、俺のコメント欄
それはnoteであってもInstagramであっても
ここは我が法が適応される

あなたの国の法はどうだろうか?
明確に意識してない人の方が多いだろう
それって、無法国家ってことですよ(笑)

一事が万事というでしょう
そこまで考えるから
自分で考えるから
大切なことをうやむやにしないで
線引きを決めても
結構ほだされる事は多いけども

それでも
物事を考えて文章を刻むのかは
読まれる文章としての能力を
飛躍的に向上させると思うんだよ

永久の愛を誓えばそれに
胡坐をかく人の性。

日々、有難いを思い出せれば
案外、永久に続くんじゃないかな。

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