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木挽唄に交錯されて。

交錯する音楽会を、観に行きました。

一番印象が残り、自己解釈ができた「管弦楽のための木挽唄」のみの考察、感想です。


アナログであるラジカセより「(管弦楽のための)木挽唄」 の歌詞が、流れる演出から始まる。

「管弦楽のための木挽唄」の場面毎の解釈を、デジタル演出によりイメージの共有&強化がされることで、アナログ(木挽唄)が元々持っていた情景に対して、わたしは理解を深めていくことができる。
ここでの情景とはミルフィール層に、煙の性質を足したものが、雰囲気として、しっくりくる。場面毎のイメージが記憶の中で重なる度、じわじわとそれらが混ざり合って、ひとつの世界が作られていく、感じであった。

わたしにとって「管弦楽のための木挽唄」は、初めて聴く曲であった。
それでも、主題が繰り返され、さらにデジタル演出によるイメージ強化が成されると、リズムとメロディーが、徐々に記憶へと蓄積される。故に傾聴しやすくなり、情景をどこか、わたしは感じた。

最後の鈴には、短期記憶の浄化作用があったと思う。鈴音と静寂、鳴らす行為の組み合わせは、不思議とわたしの思考を停止させた。
きっと短期であったから、それまで蓄積された記憶は一時的に浄化されて、感動のみがすっきり、わたしの中で、残った感じがした。指揮者のカウントが終わったとき、考えるよりも先に、自然と拍手が起こった。

今日はとても良い体験をさせていただきました。

……ごちそうさまです。



おわり。






1部終わりの休憩時に「管弦楽のための木挽唄」のアカペラが、ホール外で行われていて、歌手たちが持つ、声の重厚さ、ハーモニーに「すごい」と感じた。
そう、木挽唄のメロディを知らぬままだったら「すごい」で、終わったのだと思う。その曲に対しての、認識のステップをさらに一段持っていたから、そこからわたしは「しびれた」感じがした。

こういったサプライズは、演出としてあるだけで、すごく楽しい。ほんと、すこです。

見上げれば大空が。見下げれば大地が。 俯瞰の位置では、多くを見ることができる。