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LGBTクリスチャンが安心できるコミュニティを作る〜約束の虹ミニストリー代表、寺田留架さんが目指す世界【前編】

クリスチャンが人口の1%以下といわれる日本。日本ではいわばレアな存在であるクリスチャンは、どのような考えを持って社会課題の解決に取り組んでいるのだろうか。
2022年に受洗したばかりの新米クリスチャンである筆者が、教会の内外で社会的な活動に携わる先輩クリスチャンを訪ねるインタビューシリーズ。記念すべき第1回は、セクシュアルマイノリティ当事者のためのキリスト教コミュニティ『約束の虹ミニストリー』を主宰する寺田留架さんにお話を伺った。

本日お話を伺った人
寺田留架(ルカ)さん
富山県生まれ東京育ち。小学5年生で洗礼を受けたが、性別違和との葛藤を通しイエス・キリストとの関係が再構築。東京聖書学院本科卒業後、2015年より「約束の虹ミニストリー」の名前で活動開始。趣味はイラスト描きやドラム、好きなバンドのライブに行くこと。
約束の虹ミニストリー公式サイト


LGBT当事者のクリスチャンが集う場所

Zoomの画面に、一人またひとりと参加者が集い始める。北は北海道、南は九州、そして海外。年代も20代から60代と幅広い。そして性別は「グラデーション」。ここに集う人々の共通点は、キリスト教徒、かつセクシュアルマイノリティ(性的少数者)であるということだ。
『約束の虹ミニストリー』は、自身もトランスジェンダーである寺田留架さんが主宰するLGBTQクリスチャンのためのコミュニティだ。2015年に立ち上げ、今年で活動8年目になる。

その日開催されていたのは、LGBT当事者がオンラインで集まり、それぞれの体験や悩みについて話し合う『虹ジャム』。はじめはオフラインで始まった活動で、主に関東近郊のクリスチャンが集っていたが、コロナ禍でオンラインに切り替わってからは全国から参加者が集うようになった。中には地方でLGBTQに理解のある教会につながれず、約束の虹ミニストリーを心の拠り所としている方もいるという。
それぞれが語る言葉には、深く内省し、信仰と向き合ってきた年月がにじみ出ていた。

「セクシュアリティのことで葛藤すると、人よりも切羽詰まって聖書に向き合わざるを得なくなる。マイノリティじゃない人にとっては右に転んでも左に転んでも痛くもかゆくもない箇所が、解釈によっては大ダメージで、もう生きていけないかもしれないということになりますから」

そう寺田留架さんは語る。
キリスト教は、伝統的に同性愛に反対する立場を取ってきた。セクシュアリティに対する態度は個々人によって異なるものの、保守的な教会では、聖書の記述に基づいて同性愛を「罪」と考える信徒も少なくない。

「教会でしんどい思いをしたからこそ、約束の虹ミニストリーに来ます。もとからLGBTに対してオープンな教会に通っている人は来る必要がないですから。わざわざ声高に(LGBT反対を)主張している教会はそれほどありませんが、牧師に相談しようものなら、「それはダメなんじゃないかなあ」と言われてしまうというケースが一番多いのかなという気はしますね。

さすがに最近はこれだけ話題になっているので、「(同性愛は)罪だ、の一辺倒でいいのだろうか」と、福音派 *1 でも特に若い先生ほど変わってきてはいます。ただ、牧師一人がいいと思っていても、たとえば信徒に高齢の方が多かったりすると、教会でカミングアウトするのはやめてくれと言われることもある。「ダメ度」にもグラデーションがあるというか」

UnsplashSincerely Mediaが撮影した写真

「性的少数者のために働きなさい」と召しを受けて

クリスチャンホームに生まれ、幼い頃から教会に通っていた寺田さんも、性自認が定まっていくにつれてさまざまな葛藤があったという。
寺田さんはなぜ約束の虹ミニストリーを立ち上げることにしたのだろうか。

「一回就職して挫折した後に、献身という召しを受けました。神学校に入る時点では、特にLGBTのためにとは考えていなくて、教会の若い人たちを担当する伝道師になるんじゃないかなと、ぼやっと思っていたんですよね。

ただ卒業直前の冬の時期に、ちょっといろいろあって他の卒業生たちみたいにどこかしらの教会で牧師の卵としてスタートするというようにストレートにはいかないということが判明しました。それで進路が宙ぶらりんになって。

同じ頃、自分は牧師になる資格はないと打ちのめされるような経験もあって、それで改めて祈り求めていたときに、聖書の箇所から性的少数者のために働きなさいという召しを受けたんです」

「召し(召命)」とは、神の招きのこと。牧師や神父など聖職者になるよう神に呼びかけられることを指す。呼びかけの形はさまざまだが、寺田さんの場合は、聖書を読んでいたときに示された、「それぞれ自分が召されたときの状態にとどまっていなさい」(コリントの信徒への手紙I 7:20)という箇所がきっかけだったという。
そして、寺田さんは自販機巡回のアルバイトで働きつつ出身教会の皆さんに活動への献金のお願いを呼びかけ、手探りで活動を始めた。

2022Tokyo Rainbow Prideにて
カトリック当事者の会「虹色のともしび」、
LGBT&アライ教会の「ヨナタンズ礼拝」と共に出展

「はじめは右も左もわかりませんでした。それでお世話になっているクリスチャンの先輩に相談したら、周りにLGBTについて知りたいって人が何人かいるから、学び会をやってほしいと頼まれたんです。その会が前身ですね。
はじめに学びにきてくれたのは、当事者ではなく「とにかく知りたい、学びたい」という方。つづけているうちに当事者の方も来てくれるようになりました。

基本的に今でもメインの参加者はほぼクリスチャンですが、教会を離れてしまった方、無宗教だけれどもLGBTの集まりとして興味がある方、他の宗教で当事者グループの活動を立ち上げるため見学に来られる方とか、いろいろいらっしゃいますね」

教会で性的少数者に向けられる見えない“トゲ”

『約束の虹ミニストリー』では、当事者たち向けの活動のほかに、当事者以外のクリスチャンに向けて、LGBTについて理解を深めてもらう活動も積極的におこなっている。そのうちの一つがブックレットの制作だ。

『なんで教会がツライのか考えてたら出来た性理解のためのブックレット』
企画・執筆:約束の虹ミニストリー/編集・出版:エメル出版/イラスト:パレットーク
販売元 emer.jp 定価500円(税込) B6サイズ 全20ページ(表紙含む)

コンパクトなページ数で、LGBTQの基本や、当事者を迎え入れるために各教会が配慮すべき点、またミニストリーに集う当事者の意見や経験を紹介している。イラストをふんだんに盛り込んだ紙面はとてもわかりやすく、端々にパンフレットを監修した寺田さんの細やかな気遣いが感じられる。

「一人出版社を立ち上げた友達がいて、その彼と二人三脚で制作しました。僕が原案を出して、彼は一応スタンスとしてはアライ*2 だけれどもLGBTについての知識はそこまで多くなかったからこそ、客観的に見てわかりにくいところなど率直な意見をもらうことができました。そして、普段「虹ジャム」に来ている有志の方からアイディアを募ったり、という感じで作っていきましたね。プロジェクトが発足してから丸一年はかかったと思います。

ミニストリーを始めた当時から、わかりやすい本を書きたい、いや書かなきゃいけないっていうのはずっと思っていました。LGBTを解説する本は大分出始めていたけれども、クリスチャンはこれを読んでも受け入れないかもしれないと。
昔から出ていたキリスト教のLGBTについて語っている本は自分的に納得いかないところがいろいろあったので、じゃあもう自分たちで出すしかないんだろうっていうのはありましたね」

UnsplashCecilie Johnsenが撮影した写真

ブックレットでは、LGBTQ当事者が教会で直面し得る小さな“トゲ”について触れている。たとえば、ある人がセクシュアルマイノリティであることを本人に断りなく第三者に話してしまったり、セクシュアリティは“治せる”ものだと決めつけたりするといったことだ。

寺田さんご自身も、“トゲ”を感じることがあったという。

「教会では、カミングアウトする前に、暗黙の了解としてあまりにも男女分けがされています。きっとここでは「トランスとして、本当はこっちの性別で扱われたい」というのは無理なんじゃないかとか、言う前から諦めちゃっている。だからその教会の本当のスタンスがわからないことも多いんですよ。

僕はクリスチャンホーム出身で、生まれる前から教会に通っていたようなものです。小さい頃はみんな男女関係なくちゃん付けで呼ばれているのに、大きくなってくると「君」「さん」に分かれる。それは世の中も一緒だから、教会だけが悪いだけじゃない。でも、特に恋愛関係に厳しく、男女が一対一で一緒にいちゃダメというような場面で、男性から引き離されるのはちょっとつらかったですね。

洗礼を受けたら兄弟姉妹呼びに変わるとか*3、受付の名簿で男女別に書かされるとか、それもトゲですね」

もしかしたら地獄に落ちるかもしれないと思いながら信じるのはキツい

教会の制度的な問題の他に、聖書にも“トゲ”が存在する。
聖書に書かれた言葉はすべて神の言葉として字義通りに受け取める教派では、「マイノリティじゃない人にとっては右に転んでも左に転んでも痛くもかゆくもない箇所が、解釈によっては大ダメージで、もう生きていけないかもしれないということになる」と寺田さんは言う。

「小さい頃から、聖書はすべて神の言葉ってさんざん言われて育ってきた宗教2世でも、納得のいかなさを抱えている人は少なくないと思うんです。大人にそういう矛盾点をぶつけても、「人間にはわからなくても神様は正しくて云々」と答えになっていないことを返されて、もやもやしたままになる。

神様が愛であるとか、自分は本当に価値あるものとして神様に造られたというメッセージはストンと受け止めていても、聖書の読み方についてだけは、やっぱりずっと「はてな?」をつけながら生きていたこともあります。
旧約なんて侵略戦争を神が肯定しているみたいな箇所とかは、どないになってんねんとか。そんなことで殺すのー! とか。十戒の殺してはならないってなんだったんだよみたいな(笑)」

UnsplashTimothy Eberlyが撮影した写真

数多くの文書を後の時代に編纂した聖書は、どこかで矛盾する場所が出てくるのは避けられない。それをすべて矛盾なく受け止めることは可能なのだろうか、という筆者の問いに、寺田さんは「聖書は神のことばなんだから全部正しい!疑っちゃダメ!という読み方だと、結局、理性を放棄して、「神様にしかわからない」と考えるのをやめるしかなくなってしまう」と答える。

「愛してると言ってすごく愛情を注ぎながらも、同時に暴力を振るうDV家族のような。そういう神に対する信頼の混乱はどうしても生じると思うんですよ。もしかしたらやっぱり自分も地獄に落とされるかもしれないと思いながら信じるのって、かなりキツいと思うので。

虹ジャムに来る方の中には、かなりしんどい思いをされていた方も多いです。長く来るうちにいろんなことがわかってきて、安心した、これでいいんだって思えるようになる方がいる一方、いろいろな神学に触れて頭では(同性愛者でも)いいんだとわかっていても、染み付いた「ダメだ、ダメだ」っていう感覚が完全にデトックスされるまでに時間がかかるということもありますね」

【後編】につづく


*1 福音派 キリスト教プロテスタントの教派のひとつ。聖書の一字一句を信じる福音主義に基づいた保守的な信仰を重んじる。
*2 アライ(ally)「同盟」の意。セクシュアルマイノリティ当事者ではないが、セクシュアルマイノリティの理解者である人を指す。
*3 教会には、洗礼を受けて教会員になると「兄弟姉妹」と呼び合う習慣がある。


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