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花屋日記 そして回帰する僕ら

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ファッション女豹から、地元の花屋のお姉さんへ。その転職体験記を公開しています。
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#仕事

「花屋日記」43. 当たり前でない美しさを、嘘でない花を。

  店で花を組むときは「マスフラワーは3本まで」「同系色か反対色のものしか合わせない」といった、いくつものルールを厳守しなければならなかった。当然だが、店のカラーを統一させるため、スタッフの誰が作っても大差ないようにしなくてはならない。だから、いつまでたっても新たな色合わせは試作できなかったし、他店が仕入れているような花材や資材も、うちでは扱えなかった。何か新しいものを提案しても、店長に却下されてしまい、私はどこか「諦め気味」に仕事をするようになってしまった。  お客様のニ

「花屋日記」36. 一流デザイナーは、その時こう言った。

 好きなことを仕事にしているとオン・オフの区別があまりない。私は相変わらず休日でも、花のレッスンを受けたり、他の花屋を見に行ったりしていた。その日ひさしぶりに訪れたのは、ある有名なフラワーデザイナーのデモンストレーション。ホテルで開催されるイベントなので、まるで大御所シンガーのディナーショーのような雰囲気だ(もちろんそれなりのお値段がするので、特別に興味のあるときしか、こういった催しには参加できない)。  イベントの最後には、本人が作ったばかりの作品を抽選でもらえるのが「お

「花屋日記」28. なにもない日なんて、ない。

 午後、カウンターに作りかけのアレンジメントを置いたまま、他のお客様の対応をしていた。すると一人の老紳士が現れて、その場でじっと待っておられた。 「お待たせしてすみません、お伺いいたしましょうか?」 と、接客を終えてすぐにお声がけすると 「結婚記念日なんだけどね、今日。花を買って帰ろうと思ったら、それがとても素敵だったから…」 と言ってそのアレンジメントを指差された。 「こちらですか。ありがとうございます。『ドラマティックレイン』というバラを使ったものです。すぐに仕上げますか

「花屋日記」27. その愛は未来へ届くか。

 ある晩のことだった。30代のサラリーマンが店に立ち寄られて、ずいぶん長いあいだ花桶の前でうろうろされていた。「お伺いいたしましょうか?」とか「一本からでもお包みしますので、おっしゃってくださいね」とか声をかけてみても、とくに反応があるわけでもない。私がもう接客をあきらめて別の作業に入った頃に、その方はようやくカウンターへやってこられた。  手には3つのブーケが不器用そうに抱えられている。小さなピンクのブーケが2つと、それより少し大きめの紫のブーケが1つ。そんなにたくさんお買

「花屋日記」26. あなたに見せたい花だった。

 小さな店なので、お客様とのコミュニケーションの積み重ねからリピーターを作ることが大切なポイントだと、私は思っていた。今回はそれが裏目に出てしまったのだろう。私たちは花を売るサービス業なのであって、お客様に恋されている場合ではないのである。シノダ様は常連客だ。きちんとお付き合いはお断りしつつ、お買い物は継続してもらえる形に持っていかなければならなかった。なのに私の口からとっさに出た言葉は 「すみません、あの、そういうつもりではなかったんです…」 という、そのまんまな一言で、シ

「花屋日記」25. ここは恋愛多発地域か。

 これはどこの業種でもあることかもしれないが、実は花業界でも、仕入れ先や宅配担当の人たちとの間で頻繁に恋が生まれたりしている。 「あの宅配のお兄さんはいつも感じいいよね」 と軽い気持ちで後輩スタッフに話しかけたら 「…すみません私、実はあの人と付き合っているんです」 「えっ、いつから!?」 「先月、こっそり『お姉さんは彼氏いるんですか?』と聞かれて『いないんです』って言ったら、連絡先を渡されまして…」 なんてことが裏で起こっていたりするのだ。なんせこちらのスタッフも女性ばかり

「花屋日記」23. 静寂の中で彼女を守る者たち。

 魅力的な女性が、ときどき店に立ち寄ってくださる。スタッフの間で「あのすごくかわいいひと」で通じるくらい、みんなの記憶にのこる美貌の持ち主だ。彼女はいつもブーケではなく、単品の切り花を購入される。ご自分で花を選びたいタイプの方なので、私はいつも挨拶だけをしてカウンターにひっこむ。  それに最近気づいたのだけれど、彼女は元気がないときに花を買いに来られるのだ。たいていは仕事帰りに、そしてたまにはお昼過ぎにも。 「こんな時間にいらっしゃるなんてめずらしいですね」 と一度お尋ねした

「花屋日記」19. ロマンスグレーのひとの正体。

 私の勤務する花屋は商業施設の中にあり、全体を取りしきるセキュリティチームがいる。毎朝、搬入口で挨拶を交わすが、それ以外ではお客様の落し物や忘れ物を届ける際に少し話すだけの関係だ。店のスタッフの間では便宜上、それぞれ「安倍首相みたいなひと」「メガネのひと」など、勝手なあだ名がつけられていた。  でもある日を境に、その中で「ロマンスグレーのひと」呼ばれていた人が「モトヤさん」と呼ばれるようになった。彼が休憩時間に店で花を注文してくださり、お名前が判明したからである。  モトヤ

「花屋日記」18. 男性と花束のリアル。

 女性に花を贈る男性、とくに日本人の場合、私はなかなかそのイメージを描けなかった。お金持ちでキザな人? 女の子の扱いに長けているプレイボーイ? 漠然と、そんなふうに思っていた気がする。男性が日常生活のなかで女性に花を贈るシーンなんて、映画でしか見たことがない(もちろん自分も花なんてもらったことがないし)。  しかしある日、私はついにそのリアルな場面に遭遇した。夜遅く訪れた若い男性のお客様が、4年目の記念に恋人へブーケを渡したいとおっしゃったのだ。アクセサリーと一緒に渡すのだ

「花屋日記」17. もう「負けて」もいい。

 花屋の仕事は意外にハードで、私はなんと2ヶ月ごとにスニーカーを買い直さなければならなかった。毎朝、段ボールを踏み潰したり、台車や脚立を動かしたりしているうちにいつの間にか、穴が開いたり、ソールが剥がれたりしてしまうのだ。もちろん勤務時間はずっとカウンターで立ちっぱなし。たまに重い物を運ぶ際に首を痛めて、某バンドのドラマーのようなネックサポーターを着用したまま店頭に立ったりもした。  甘いと言われるかもしれないが、今まで体育会系なノリを体験してこなかった自分としては、こんな肉

「花屋日記」16. この子の家族になってください。

 観葉植物がダメになってしまう理由のほとんどは「水のやりすぎ」なのだそうだ。土がカラカラに乾いた状態まで待ってから、次の水やりをするようにしないとたいていの根っこは腐ってしまう。水は土全体に行き渡るようにたっぷり与えて、受け皿に水が溜まらないように気をつける。それがとにかく基本的な世話のやり方だということだった。  店では、葉っぱの気孔が埃で塞がらないように霧吹きで濡らす作業も必要になった(なんせ商業施設の中はやたら埃っぽいのである)。最後に専用のスプレーをかけるとツヤが出

「花屋日記」14. その笑顔の意外な理由。

 ようやくブーケやアレンジメントの作成を一から許された私は、一人で店を切り盛りすることも多くなった。配送の手続きやウェディングの相談などもこなせるようになり、少しは店の役に立てるようになったのかもしれない。業務の流れやお客様の顔ぶれも徐々に把握し始めていた。日曜の昼過ぎにはクリスチャンのおばあさん二人組が必ず立ち寄られるとか、木曜の集荷のおじさんは意地悪だから気をつけようとか、そういうことも含めてだ。  平日の夕方には、一人の女性客が毎週のように来店される。30代くらいの無

「花屋日記」13. 店長からの宣告。

 本社の社長の抜き打ち視察にまったく気づかなかった上に、よりによって軽口を叩いてしまった私に待っていたのは、なんと処分でもお叱りでもなかった。 「もうカイリさん、社長の顔くらいちゃんと把握しててよ〜」 という店長の笑顔に迎えられて、私は混乱し、結果的にあれが正解だったことを知った。 「東京では絶対に見られない対応だって褒められた。マニュアル通りじゃなく、ちゃんとお客様と向き合って会話してるって」 「本当ですか?」 「本当に決まってるでしょ、店舗ごとのフィードバックが今日本社か

「花屋日記」8. 人見知り矯正ギプス。

 しかし念願の花屋で働き始めたものの、花を触る機会は下処理以外ほとんどもらえなかった。新人の私がすることはほぼ接客で、実際の「作り(オーダーブーケやアレンジメントの作成)」はほかのスタッフにバトンタッチしなくてはならない。働く前は「黙々と花の作業ができれば嬉しい」と勝手に思っていたが、そうはいかなかった。まずはオーダーを完璧に取ることができないと、その先には進めないのだ。  もともと人見知りな私にとって毎日大勢の人と会話するのは、想像以上に辛い仕事だった。こんなことならやめ