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「花屋日記」43. 当たり前でない美しさを、嘘でない花を。

  店で花を組むときは「マスフラワーは3本まで」「同系色か反対色のものしか合わせない」といった、いくつものルールを厳守しなければならなかった。当然だが、店のカラーを統一させるため、スタッフの誰が作っても大差ないようにしなくてはならない。だから、いつまでたっても新たな色合わせは試作できなかったし、他店が仕入れているような花材や資材も、うちでは扱えなかった。何か新しいものを提案しても、店長に却下されてしまい、私はどこか「諦め気味」に仕事をするようになってしまった。

 お客様のニーズはどれも同じではないのに、こちらから提供するものは型が決まっている。「送別のブーケならこう」「お見舞いのアレンジメントならこう」と、あまり考えずに作れるようになることを、私は単純に嬉しいとは思えなかった。この場所では、変化なんて求められない。毎年同じ花でいいし、すぐに作れるものでいい。そこからはみ出したい私の方がきっと間違っている。仕方がない、だってここは日常生活のための花を提供する小さな店なのだから。

 でも私は今、花に対して、誠実であるだろうか? お客様を退屈させてはいないだろうか? そもそも「花が綺麗」なんて大前提なのだから、ルーティーンワークで誰かを感動させるなんて、とてもできない。生きている人に、生きているものを提供するのに、この店ではもう何かが「止まって」しまっている。同じものがぐるぐると回っているだけだ。

 そうしたモヤモヤから外の世界を見たくなった私は、海外のフローリストのデモンストレーションや、生け花のイベントに参加したりするようになった。自分で何かを見極めたかったのだと思う。そういった場所では、異なるルールや美意識が存在して、木枠をはめたレクタンギュラーのブーケや、髪に花を生けるパフォーマンスなど見たことないような表現がたくさんあった。

「こんな美しさがあるなんて知らなかった」と気づくようなものが、大きく人の心を動かすということを、私は久しぶりに思い出した気がする。予測できないようなもの。どきっとして、なぜか無視できないもの。そういうものを、少しでも自分にも取り込んで還元できたらいいのに。そんなふうに思った。

 店頭で「いつものようなブーケ」を作りながら、私は胸に芽生えた気持ちがぐらぐらと自分を揺さぶるのを感じた。これからこんな毎日がずっと続いていくんだろうか。同じ花。似たようなデザイン。
 そして私は無理やり思考のスイッチを切った。
他のフラワーショップに転職したとして、きっといずれは同じようなジレンマに陥るに違いない。せっかく手に入れたこの場所を、今また手放してどうするのか。せっかくここまできたのに。

 そう思い、ただ無心で花を束ねた。余計な気持ちが入り込まないように。

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