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施術は相性。~からだに触れることについて、改めて考えてみる~


仕事柄、からだに触れるということには細心の注意を払っている。痛覚や触覚のバランス次第で、心地よかったりそうでなかったり、不快になったりと一瞬でからだが選びとる。感覚は正直だ。こればっかりは思考はでごまかすことはできない。

同じことをしているように見えても、術者によってお客さまが受ける感触はそれぞれ違う。ある人には強すぎる。別の人には弱すぎる。逆に、これがちょうどいいと感じる人もいる。これも定義があるわけでなく、ひとりの人の感じ方が日によって変わることも珍しくない。なんとなくそう感じるから。それがすべてだと思う。

この「なんとなく」という感覚って、ぼんやりしている。自覚しないまま無かったことになってしまう、なんてこともよくある。だけど、しっかり受け止めることができたら、自分の思いの中心に気づくことができる。実は精度が高かったりする。

「なんとなく」の先にあるもの


感触が強いとか弱いとか、ちょうどいいと感じるラインはお客さまの主観や好みが入る。これらは良し悪しではなく相性だ。

相性でいうと、触れられたときにすっと受け入れられる感触と、どこか違和感のある感触との違いもそうかもしれない。

ことばにできないけど、何となく気になる感触。ひとつひとつはほんとに小さいものでも、積み重なると不快につながることがある。

小さな我慢でも、回数を重ねるうちに防御反応が出ることがある。つまり、からだに力が入る。力自体は無意識に入る程度で、自分でも気がつかないくらいかもしれない。でも、からだのどこかに緊張が残っているような感覚があったとしたら、どんなに素晴らしい施術を受けても、からだは十分にリラックスしきれないまま終わるだろう。

少し痛いけど、がんばってこの時間を乗り切れば楽になるから、と思いながら施術を受けているときや、ゴッドハンドと評判の先生だけど、施術が憂鬱だと感じるときは、ひょっとしたら術者との相性が良くないのかもしれない。

術者が変われば、時間を忘れるくらい何も考えずにゆったり過ごせるかもしれない。

別のゴッドハンドの先生のところに行けば、楽しく施術を受けられるかもしれない。

人間同士だから、やっぱり合う合わないがあると思う。なんとなくワクワクする感覚と同じように、なんとなくの違和感も大切にした方がいいかもしれない。違和感や我慢や遠慮がなければ、それだけでからだの力が抜けて頭が空っぽになる。結果的に、施術の効果を最大限に受けとることができるんじゃないか。

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