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近くて遠いふるさと、奈良。

出身地を聞かれると迷う理由。

出身地は?と聞かれると、いつも困る。

相手にとっては、天気の話程度の軽い内容だと思う。でも、即答できない。


なぜなら、出身地と言われて一般的に指す、

①生まれた場所
②幼少時に住んでいた場所
③長く住んだ場所

すべてが違うからだ。

生まれた場所は、出産時に入院していた病院で、当時の自宅から電車で30分ほどかかる距離の、隣県である。
このときだけお世話になった場所で、その後ほとんど行ったことがない。

幼少時に住んだ場所は、生まれてから6歳まで過ごしたところで、父方の親戚のほとんどがここに住んでいる。

いちばん長く住んだ場所は、6歳から結婚するまでの間住んでいた。
小・中・高までの学生生活を送り、一時期ひとり暮らしをしていたが、就職先が実家から近かったので、戻って来てここから通った。
ここは父の仕事の都合で移ったので、突然やって来た感・たまたまここに居る感が強かった。長く住んだ割には、居候させてもらっているような感覚が最後まで抜けきらないままだった。

そんな訳で、「○○出身です」とはっきり言えないもどかしさをいつも感じている。

訪れたときに感じるもの。


幼少時に住んでいたのは奈良だ。

お墓参りや旅行など、奈良にはたびたび訪れる。

静かで、どっしりとした落ち着き感、
ゆったりとした時間の流れ方。

これらをまとった空気を感じながら、

「これこれ、この感じ。」

この空気感を感じるたびに懐かしく、安心する。

つながっていく記憶。

東大寺と奈良公園には、お客さんが家に来るたび、親がいつも案内していた。
法隆寺の近くの幼稚園に通っていた。
七五三は春日大社に行った。

どこに行っても、記憶がよみがえる。
…といっても、4歳か5歳の頃なので断片的だ。手を繋いだときのぬくもりや、砂利道や石畳を歩く感覚が、ぱらぱらとひとつずつ頭に浮かんでくる。

そこから、
日曜日の夕方に父と散歩した家の近所の土手、おんぶしてもらって通り抜けたイチョウ並木、春になると母と毎年レンゲを摘んだ田んぼみち、
を思い出す。写真を1枚ずつ見ているように。


このときと同じ空気なのだ。


*********

私が成長するにつれて、家族の関係は変わっていった。

母は、大きくなった娘が、自分よりもうまくできるようになることを阻止するため、私が料理や皿洗いをするのを嫌がった。いつも作るおかずの作り方を何回聞いても教えてくれることはなかった。
最初はわからなかったけれど、少しずつ小さな意地悪を重ねるようになった。

父は、普段はいい人のようだけど、肝心なときは母も私も置いてきぼりで、自分だけいつも問題から逃げ、他人事のような顔をした。

だんだんと、用事があるときしか会わなくなっていった。


本当は堂々と言いたい。

引越してから40年以上経つから、今の奈良のことをあまり知らない。遠い昔の記憶だから、美化されているのは重々承知の上だ。
ただ思い出に酔っているだけかもしれない。

でも、この懐かしさと安心感を感じると、いつもほっとするのだ。

お父さんお母さんのことがただ大好きで、
いつも大きな後ろ姿を追いかけながら、
いつも一緒に歩くのが楽しかった頃。

お母さんがいないとすぐに泣いていた、
大きくなったらお父さんと結婚すると思っていた、
人前では恥ずかしくて、話しかけられても何も話せなかった頃。

小さな思い出があちらこちらに隠れている場所。でも、私のふるさとだと胸を張って言うには少し距離を感じる場所。


ほんとは、奈良出身と堂々と言いたいのだ。


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