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あのとき、時間が解決することを知っていたら。

仕事場は、住宅地の中にある。

出勤してまず窓を開け、掃除機をかける。
そのあとお客さまの施術の支度を済ませ、
ひと息ついたときに聞こえてくるのは、

少し離れたところを走っている自動車の音、
自動販売機で誰かがジュースを買う
ガタン、という音、
通りすがりのお母さんたちの話し声。

それらがなければ部屋の中の
しーん、という音が聴こえる。

平日の午前中から昼過ぎにかけて、
ゆっくりと時間が流れている。


そんなとき、この感覚、初めてじゃない。
と思い出すことがある。


引越したばかりの部屋で


それは引越した直後の部屋だ。

前日は業者さんがいて、家族がいて、両親も手伝いに来てくれていたから、大人数が狭い空間の中を行ったり来たりしていて、あわただしかった。
次の日から部屋にはひとり。
雑然とした部屋を、少しずつ「住まいらしく」しているときだ。

窓から見えるのは、何棟も並ぶ集合住宅だったり、駐車場だったり、
小さな公園だったり。まだ目が慣れていなくて、窓ガラスの向こうが
遠い世界に見える。

なじみのない制服を着た子供が母親と幼稚園に向かって歩いている。
少し離れたところでは、別の制服を着た子供と母親が、
何組か一緒に立っている。あの電柱の前で送迎バスに乗るのか。

聞こえてくる話し声のイントネーションに違和感を感じる。
ここは昨日初めて来た土地だったと、改めて思い出す。

あのときは、籠の中から空を眺めているみたいだった。
外の世界は別世界で、歩いている人や走っている車は動画のように
現実味を感じなかった。テレビやパソコンに映るものの方が、
よっぽど距離が近かった。

誰も私のことを知らない


外出しても、自分は透明人間のような気分だった。
私を知っている人間は、ここにはいない。
だから、声をかけられることはまずない。

気楽ではあったが、張り合いもなかった。
カフェに入っても、ショッピングに出かけても、
ずっとひとりで行動しているので、会話をする相手がいない。

カップが可愛かったとか、あの店もういちど行ってみようとか、
ちょっとときめいても、その気持ちを外に出せるタイミングがない。

こんなにたくさんの人が目の前にいるのに。


窓から外を眺めていたときに感じていたこと


結婚してしばらくの間は、夫の仕事の都合・会社の都合で
引越を繰り返した。3年住めば長い方だった。

来月から異動、今月末に引越し。
辞令がオープンになると荷物を急いで段ボールにまとめ、
役所で転出の手続き、電気・ガスの手続きを行う。
前日にご近所に挨拶。

新居に入るとまず電気・ガスの開栓の依頼、
ご近所にご挨拶。段ボールを順番に空けながら、役所で転入の手続き、
運転免許証や通帳等の住所変更の手続き。
落ち着いた頃、自動車のナンバープレートを変更するため陸運へ。

引越が決まるたびに、この繰り返し。
私の新婚時代は、段ボールを触っていた記憶しかない。

帰省したときに、かなり愚痴っていたのだろう。友人たちは結婚の条件に「転勤がない人」を挙げるようになり、実際に何人かが、地元から離れずに生活できる人と結婚した。今思えば、引越にネガティブなイメージをつけ過ぎた。申し訳ない。

あの頃、自分の意思とは関係ないところで生活が回っていた。
住む土地も、住む家も(会社から住所を知らされ、そのままそこへ行く)、住む期間も。

自分は何をしているんだろう。
自分の時間はいつになったらできるんだろう。

いつになったら仕事できるんだろう。

絶望と焦りしかなかった。
いつまでこんなことが続くんだろう。


コントロールできないものがある。すぐに答えが出ないものがある。


けれど、こんな状態からいつのまにか抜け出して、
いつのまにか自分の生活圏に変わっていく。
少しずつ、見慣れた日常になっていく。

最初のうちに感じた、毎日の不自由さやぎこちなさは、
時間が解決してくれるのだと知った。
周辺の地理は外出するたびに少しずつ覚えていくし、
気がつくと、ずっと前からその街を知っているような顔をして歩いていた。

今思うと、あの透明人間のような感覚も
期間限定と割り切ってしまえば、案外楽しめたのかもしれない。

もともと、ひとりで行動するのが苦にならないのだから、
誰にも声をかけられない環境は、ある意味とても気楽だっだし、
貴重な時間だったような気がする。


不本意だと思ったことに、真っ向から立ち向かい過ぎた。
早く楽になりたいために、焦り過ぎた。


段ボールが片付かなくても、
自分の時間は持てる。
家全体を片付けなくても、
落ち着ける部屋を作ることはできる。


早くゴールまで到達したいと、急いでいた。

手の抜き方をわかっていなくて、
むやみにもがいていた。

途中の過程をもう少し楽しめたら、
少なくとも絶望はしていなかっただろう。

あのとき
目の前にあることにまずは集中しながら
焦らず待つことを
知っていたら。

*******


新しい土地で、新しい生活に向けて、
まじめにがんばっていたなあと、
思い出すたびに懐かしく、胸が少しだけ痛くなる。


今なら、知らない人ばかりの気楽さを利用して
羽を伸ばせて、むしろほっとしているだろうけど。


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