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犬の故郷

バロンが我が家にやって来たのは、十三年前である。
灰白色のこわい毛並みのシベリアンハスキーで、義弟が飼っていたのだが、肝臓を患って入院し、世話をするご主人がいなくなってしまった。雪がたくさん降った早朝、犬を心配した妻が義弟の家に行き、犬小屋の奥でうずくまっていたバロンを連れてきた。
当時、バロンはまだ三歳であったが、歳に似合わぬ風格があった。我が家にやって来た日こそ、ソファーのすみにかしこまっていたが、一緒に暮らすようになると、ドッシリした風格が目についた。何があろうと、誰が来ようと吠え立てることは絶対になかった。大好物のケーキをあげるときこそ大喜びで跳ね回ったが、いつもは、いるかいないか分からないほど静かで泰然として、稀に口吻を寄せてきて馴れるような仕草を見せることもあるにはあったが、そんな時も、ハッと我に返ったようにソッポを向いて、今のは嘘でしたとでも言うように、表情をスッと消した。
首を上げ、胸を反らして立つ佇まいには、住宅街の狭い庭にいても背後には、広い荒野を彷彿させるものがあった。
いつか、バロンと一緒にシベリアを訪ねてみたいものと思っていた。
私は、晩方、バロンと散歩をするのを日課にしている。住宅街の外周をぐるり一巡する一キロ余りの行程で、茶色の屋根の大きな家の前を右に折れて帰ってくる。
その夕刻も、いつもの道を辿り茶色の屋根の家の前まで来ると、バロンはおもむろに腰を落とし、両足を踏ん張って息を詰め、大便をするポーズをとった。私は、すかさず尻の下に小型シャベルを差し入れて、ふっくらした小芋を三つ受け取ると、持参のビニール袋の中へ素早く納めた。
ちょうどその時、駐車場に止まっていた車のドアが開いて、中から女性が降りてきた。
どうやら、女性はバロンが用を足すのを、一部始終見ていたようだ。
「どうも、すみません」
私は、失礼を詫びたが、女性は険しい目付きで一べつしただけで、駐車場のシャッターに近づくと、激しい音をたてて閉めた。
見咎められた気まずさと、悪いことをしていないのに責められたような腹立たしさが立ち上ってきた。
私は、しばらくその場に立っていた。
リードを引かれて、見ると、バロンが此方を見ている。青い瞳が、(帰ろう)と言っていた。

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