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「回廊とデコイ」の感想

はじめに

 ネタバレを含みます。それぞれの演目の感想。
上映の順番は自信ないので、コメントで訂正いただければと思います。補足あれば大歓迎です。
 1回観てよくわからなかったが正直な感想です。おかしくて声に出して笑った部分は控えめな内容で、そこは回廊本編のほうで補ってねといった印象を受けた。デコイ側はちょっと変わった舞台の映像を色々な形で見せられる。
 デコイ(新作)に釣られてやってきた私はカモなのかもしれない。回廊のコントは配信の時と同様なので感想は割愛。

・映画上映(辻本・久ヶ沢)

 ガラガラの映画館で2人が喋りながら映画を観ている。コバケンファミリーの愉快な2人。
久ヶ沢側がハリウッドの俳優の顔がわからず、何度も登場人物が同じ人がどうかを尋ねる。あまりにしつこいので、他にもお客さんがいるから静かにしてくれと注意するが、もう1人の観客(声のみ)は共感してくれる。そのまま映画は終了する。スーパーマンとスターウォーズの曲がわからない。あとゾンビじゃなくて宇宙ね。
 まず、映画上映という公演の最初の舞台が映画館で、お互いにスクリーンを挟んで向かい合うという設定がおかしい。映画館なのに2人が喋りすぎる、静かに観覧する自分と目の前でペラペラ喋る演者が対比として現れる。スクリーン側から客席を見る眺めがメタ的。視点のおかしさは他の場面でも強調して表現される。

・くしゃみ(辻本・竹井・加藤・小林きなこ)

 場所は居酒屋での3人の談笑。竹井は間違って鼻炎薬を一緒に飲んでしまい、くしゃみをすると姿が消えてしまう体質になったことを相談する。くしゃみをすると消え、もう一度すると再度現れる。くしゃみ以外にも体に衝撃が加わると同じ現象が起こる。くしゃみで消えて、オナラでおじさんが出てくるおかしさ。透明人間になれるというのに誰も悪事に利用しようと考えない純粋さがおかしい。小林は無愛想な店員役で、特に3人に絡むことはない。
 なぜか監視カメラ視点が時折入り、カメラにも完全に映っていないことを強調する。第三者の視点という意味も強調しているかのよう。最後は副作用の効果が薄れて、半透明にうっすら見えるようになってくる。薬理作用だったはずなのに、最後隣の2人に感染る矛盾。全員同時に消えるラスト。というか服も眼鏡も一緒に消えてるのそもそもおかしいよね。

・ダブルブッキング(回廊より)

・玉と婦人。(松本・伊勢)

 特定外来玉の駆除業者と昼下がりのご婦人のやりとり。屋根裏に現れた玉が悪さをして電子レンジが故障してしまったようだ。訪問してきた業者は免許証があるらしいがノーヘル・脚立の天板に乗る・素手などおそらくプロではない。最後は駆除に成功し、チンと電子レンジが動き出す。他にも実なるものをいるようで次回割引券を渡して続編を匂わせる。
 作り込みの甘さと演技力のなせる雰囲気で絵が持つ。なんとなくいかがわしい雰囲気で妙に2人の距離が近い。まるで駆除が本筋ではないかのように2人を映す定点カメラとお互いの表情のアップが映される。特定外来玉も屋根裏の状況も決して映らない。婦人宅に知らない男性が訪問するというシーンのためだけの害獣駆除という設定が設けれている。
 賢太郎さんの好きな謎生物、今回は「玉」。デコイも登場する。

・タイムトラベラー(回廊より)

・商人(松本・加藤)

 商品を触ると感情が出てしまう商人。持って話そうとすると笑いが込み上げて、喋れなくなる。あるものは笑い、またあるものは神妙な顔で黙る。鴨のデコイについてはしっかり説明してくれる。結局旅人はランタンを選ぶ。
 旅人が触ったらどうなっていたのか、物質と記憶の接続、物質と感情の接続。本編回廊との接着点であり、回廊のランタンはここで手に入れている。旅人のランタンにはこの後どんな記憶が残るのか。
 「感情の物性」を連想させる。※SF短編「わたしたちが光の速さで進めないなら」より

・そばをください(回廊より)

・ミワケガツカナイ(高崎・小林)

 強力粉・ラード・白菜
おつかいで似たもの買ってきちゃうよねってところからもう一人の弟からの電話が鳴る。目の前の弟はドッペルゲンガーなのか、電話口からは弟の声でこの状況を切り抜ける方法が伝えられる。不敵な笑みを浮かべる弟らしき人物は何者なのか、姉も気が動転しており、平静を装うのも難しい。動揺がその男に伝わってしまうと思った矢先、弟が帰宅する。さっきまでいた弟らしき人物は消えてしまった、そしてまた電話が鳴り、再び電話口からは弟の声が聞こえる。
 世にも奇妙な物語のような、繰り返され、抜け出せない、恐怖も感じるような物語。弟から電話がかかってきた時に家電話にかけた理由と自分が本物という根拠にケータイを上に向けて置いていると言っているが大体の人は上向けるだろうとツッコミたくなった。それで電話口を信用してしまう姉のほうが実はミワケガツカナイのでは?見分けつかない上に記憶力も落ちている可能性もある。
 ある程度年齢の姉弟が同居しており、弟が買い物をしている家庭環境を考えると姉側が認知症等で、それをサポートするために弟が一緒にいるのではないか。電話を切った後の会話で姉が突拍子もないことを言っても弟側は穏やかな返答をしていて、いつも起こっていることなのではと想像する。姉目線では得体の知れない弟と電話口の本物の弟の対立だけれど、弟目線だといつもの日常なのではないか。これは奇妙な電話の無限ループではなく、繰り返される日常でしかなかったのかもしれない。
 買い物の内容を見るに、たぶん今日のご飯はお好み焼きだろう。

・永久機関(南)

 あんこが入った和菓子大好き永久機関研究者。お昼にあんまん、その後あんぱん、どら焼き、思考のためには糖分は欠かせない。永久機関のロジックはチープなのに、おやつを食べるための思考の方は何倍もロジカル。どら焼きを食べ終わると続いて出される今川焼きとたい焼き。あんこを練った小麦粉で包んだお菓子が多いこと多いこと。ラスト別の視点が現れてチェックシートをつけられて終わる。研究者は被験者だった?おやつの提供され方が対照実験のそれで、この人物の研究をしているのは宇宙人なのではないか。人間は素材が同じでも形態が異なるものに対して指向性が生じるのかの実験。

・回廊(回廊より)

・映画上映2(辻本・久ヶ沢)

 上映が終わり、退出する2人。久ヶ沢の観終わった感想はお腹が空いた。結局人は時間が経つとお腹が空く。まずはこの後何食べるかが重要だ。観た映画の内容は飯を食べながらまたワイワイ話すのだろう。

終わりに

 あんまり本編とは関係ないけど、上映前の映画予告があまりにも迫力、映像のクオリティが高くて、内容というより絵として見劣りしてしまう気がした。途中からは気にならなくなったけど。
あと今回は黒子が観覧マナーを注意喚起するパートがなく、1番目に映画館で喋りだす2人を出したのは静かに観覧しなければならないというこれまでの慣習をなくす意図がある?応援上映(声出しOK)が今後あるかも?と邪推した。
 回廊側は明確にツッコミが機能しているけど、デコイ側はボケを回収する人が不在だ。透明人間も周りの2人は笑ってるだけ、玉と婦人は言わずもがな、商人も姉弟も研究者にもツッコミの役割は出てこなかった。だから自分たちでワイワイ見ながらツッコんでいく見方の方が正解だったんじゃないかとまで思っている。最初に示された2人は今回公演の映画鑑賞の在り方かもしれない。
 小林賢太郎の公演は何度も同じ演者が現れ、お題ごとに役がどんどん変わっていく。舞台はこうで、人物がどんな人なのかの説明も基本行わず、物語は進む。場面が変われば人物も変わっているだろうというのは見慣れた側の視点だろう。これまで観続けている人からはあの役者さんは大体ああいう役を任されやすいなども知っているし、ちょっと違う雰囲気を感じると意外性があって面白いと感じる。初めて観る人からは冒頭(映画上映)の久ヶ沢と同じようにさっきと同じ人?となっても不思議ではない。人物がどんな人でどういう状況なのかを把握するので手いっぱいで物語の流れを見失うこともある。それが普通の反応だろう。
 笑いが多めではなかったし、コント間の関連性がわかりやすいとかもなく、言葉遊び的な要素も控えめだったので、見終わった後はもやもや、疑問が残っていた。この感想も内容を思い出しながら、人物の発言や場面に配置されるものの意味を考えながら書いた。今回の公演は人の生理現象の仕方なさや視点の変化と受手の変化の入れ替わりなど、「回廊」が繰り返しを意味していて、「デコイ」は囮、模型である。デコイにおびき寄せられた自分たちは回廊の中を繰り返す。

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