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【四十五歳中央アジア紀行3日目午前】サマルカンドへの高速鉄道アフラシャブ号 車内での出会い

2日目の旅行記はこちら

 十二月一日。
 ひたすら移動する旅。歴史的にはマー・ワラー・アンナフルと呼ばれる中央アジア南部の歴史的オアシス都市であるサマルカンド、ブハラ、ヒヴァを駆け足で巡る。カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタンとの国境に近接するが、国境を超えることはない。首都のタシュケントからヒヴァまでおよそ一千キロ。一本の線で繋げる位置関係なので、行程に無駄がない。無駄のない人生はごめんだが、限られた日程なのだ。行程の無駄のなさは肝要である。

 今日は青の都サマルカンドへ。

 サマルカンドは歴史的にシルクロードの要所であり、東西南北の文化の交差点として、時に大帝国の都として繁栄していた青の都と称賛される都市。
 漢の武帝は、匈奴を挟み撃ちにせんと張騫を派遣したのは、匈奴に追われてこの地に逃れていた大月氏であった。されど、すでにサマルカンドを抑えていた大月氏はこの地の豊かさに匈奴への復讐心を忘れ、その申し出を受け入れることはなかった。
 712年にウマイヤ朝に征服されてイスラム化し、751年の唐とのタラス河畔の戦いの結果、イスラム世界で最初の製紙工場が作られたのはサマルカンドだった。
 サーマーン朝、カラハン朝、ホラズム・シャー朝の支配の後に、モンゴル帝国によって一度は徹底的に破壊されるも、十四世紀末にモンゴル帝国の後継国家のチャガタイ・ハン国から起こり大帝国となったティムール朝の都として繁栄。特に四代目君主にして天文学者、数学者、文人であったウルグ・ベクによって文化的な黄金期を迎える。
 ティムール朝は長く続かず、テュルク系のウズベク人がマー・ワラー・アンナフルに侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国、ヒヴァ・ハン国のうち、ブハラ・ハン国の支配下に入り、都の位こそブハラに譲ったものの、この地域の主要都市として繁栄を続けた。
 十九世紀後半にロシア帝国による支配と近代化。二十世紀前半のロシア革命の混乱期にトルコ系のイスラム教徒による大反乱バスマチ運動が起こるもソヴィエト化。ソ連の崩壊後はウズベキスタン共和国の主要都市として、タシュケントに次ぐ第二の都市として、今年はプーチンが各国首脳に辱めを受けた上海協力機構の首脳会議が開催されるなどユーラシアの重要都市の一つに挙げられる。

 文字通り交差点にあるCorner Hotel Tashkentから徒歩十五分ほどのタシュケント駅8:25発の高速鉄道アフラシャブ号でサマルカンドへ移動する。三百四十四キロを二時間ほどで走破する新幹線だ。
 朝六時半に起床して、水量の乏しく、最適な温度にたどり着けないシャワーを浴びて、荷物をパッキングしてチェックアウトする。
 朝食バイキングが始まる前だったが、フロントの人が朝食の弁当と水のペットボトルを持たせてくれる。
 気温は0度。今日も寒い。

宿泊していたCorner Hotel Tashkent

「渡れない……。」
 横断歩道に信号はなく、車は猛烈なスピードでとめどなく走る。私は奥ゆかしく、日本の交通マナーに存分に甘やかされている身。渡るタイミングが掴めない。
 しばらく呆然としていると、横断歩道から現地の人が強引に渡り始めていたそうすると車が急ブレーキで止まる。
 なるほど、渡るという意志を示さなければならないのか。
 スーツケースを引きずっているハンディはあるものの、渡る強い意志を示すために横断歩道に足を踏み入れると、車は止まってくれた。
 また一つこれからの人生を生きていく教訓を得る。
「自らの意志を明確に示すべし。」
 そのように、心の中のメモ帳に刻む。
 線路の高架下には趣のある壁画の描かれた線路の高架下を抜けて、平日の朝らしく駅へ向かう中央アジア的な顔立ちの人から、ロシア系の顔立ちの人の波に、モンゴロイドの典型たる顔面の私も、スーツケースをガラガラ引きずりながら乗る。

大通りというわけではないのに車線が多いタシュケントの道路
高架下の何気ない壁画にシルクロード気分は盛り上がる

 徒歩十分ほどでタシュケント駅。
 巨大なロシア的建築家と思いきや、中央は
 高速鉄道のチケットは日本にて予めウズベキスタン鉄道の公式サイトにてオンライン購入しており、おそらくプリントアウトしてQRコードが書かれたEチケットとパスポートで列車に乗り込めるはず。
 駅へ入場するためには、空港のようなX線による荷物検査を受けた後に駅舎に入る。同じタイミングで入場した人は講演台みたいなところで威厳溢れる駅員にチケットを差し出している。改札だろうか。私もEチケットとパスポートを差し出すと、Eチケットにドンとスタンプを押してくれる。
 入出国の際もそうだが、スタンプを押してくれる=許可ということなので、大いに安堵する。

荘厳なタシュケント駅
待合室

 待合室からホームへ出てみると、日本ではなかなか見られない列車の止まり方をしていた。タシュケントからの高速列車は面白いダイヤをしていて、七時台と八時台に下り列車が四本連続すると、その後夜まで列車がない。
 長いホームにアフラシャブ号の車両が縦列停車していて、前の電車が出発すると、順に列車の乗り込むための定位置へ移動する。
 それが面白くて、動画などを撮っているうちに出遅れる。各乗車口の前に一車両ごとに一人いる車掌にEチケットとパスポートを確認してもらい乗り込み、指定してあった窓際の座席に向かうと先客がいた。
 私と同じモンゴロイドの顔立ちだが、現地のビジネスマン風。
「う?う、う?」
 とチケットを見せながら声にならない言葉とゼスチャーで私の席はそこであると主張したが、モンゴロイドビジネスマンは「いやいや、お前の座席はここだよ」というようなゼスチャーで通路側の席を指差す。
 移りゆくウズベキスタンの車窓を楽しみたかったのに!
 憤然と座ると、列車は動き出す。
 日本の新幹線とは違い、なかなか騒々しい車内。
 知り合いがいるのか、後ろの車両から私の前の座席のおじさんへ挨拶がする人が何人もいる。おじさんとその息子とカードゲームをしだす。通路を挟んで座る女性はエキゾチックな音楽をスマホで流す。遠い窓からは列車がスピードをあげていく様子が見える。

ウズベキスタンが誇る高速鉄道アフラシャブ号
アフラシャブ号の縦列停車
車両に乗り込む前に切符拝見
車内は落ち着かない

 とりあえずコカ・コーラを買おう。車内販売もひっきりなしに来るが、カフェテリア車にて買うのが一興だ。
 揺れる車内を五両ほど移動。満席で人気列車であることがわかる。
 カフェテリア車につくと、数人がウォッカを煽っている、朝なのに。その人たちをかき分けて、カウンターにたどり着くも、店員は私の存在を認めることはしない。籠に置かれたコカ・コーラの小瓶をかかげるも、私の存在を認めない。かくも私はちっぽけな人間なのかとしょんぼりしていると、ウォッカ軍団の一人が勝手に飲めというようなジェスチャーをする。そんなことできるか。お金はいつ払う?
「Where do you from?」
 ウォッカ軍団の一人が話しかける。
「ジャパン?」
「トーキョー?」
「イエス、トーキョー」
「イエイ、トーキョー!ロッポンギ、グー!」
「ロッポンギ、イエー!」
と東京在勤にもかかわらず、まるで縁はなく、これからの我が人生においても関わることのない街「六本木」をさも楽しい街であるかのような返事をする。
 横を向き、コーラ瓶を窓際に続くカウンターに置くと、
「その紙を敷いたら、瓶は滑らないですよ。」と、ウォッカ軍団とは別で一人でコーヒーを飲んでいる人がアドバイスしてくれた。
 完璧な日本語。え?
「いま聞いていたのですが、日本人ですか?」
 グレーのジャンパーを着た人は、見た目は中央アジア系の顔立ち。それなのに完璧な日本語。
「はい。」
「東京のどこから来たのですか?」
「埼玉です。」
「東京じゃないじゃん!埼玉のどこ?」
「浦和です。」
「ああ!ぼく、東川口にいたことあって。」
 何者なのか。

この籠から勝手にコーラ瓶を取る
紙を敷いたら瓶は滑らない
飲んで語らう人々

 日本で十数年ほど投資銀行や、自分も知っているインターネット系企業の海外事業部長を経験したサマルカンド出身のビジネスマン、ベクさんだった。歳は同じくらいだろうか。今はタシュケントで奥さんと会社を立ち上げて、今回は隣の車両に乗る三人の日本人ビジネスマンの現地でのコーディネートでこの列車に乗っているとのことだった。
 コーヒーを、リンゴジュースをチェイサーにガブガブ飲む、私はお金の支払い方を知らぬが故にコーラをチビチビ飲み、一時間以上、カウンターに肘をついて会話をした。
 列車は霧の中を最高速度250キロで突き進む。
「ああ、残念ですね。晴れていたら向こうにずっと山が連なっていて。ウズベキスタンではなく、タジキスタンの山々が。」
 せっかくなら見たかった。
 仕事の話、家族の話をする。
 サマルカンドで開いた結婚式の動画を見せてくれる。レギスタン広場というサマルカンドの歴史遺産の中心の隣で開いた結婚式には数百人が参列。日本からも出席者が。名前の聞いたことのある有名な社長もいる。
 親族だけの参列者十九人の自分の結婚式とは規模が桁違い。
 日本では決して会話しないようなビジネスマンと、たまたま窓際に座れなかったために憤然とカフェテリア車に移動したがために、会話するというひととき。
「何か食べたり、飲みたいですか?奢りますよ。」
「え、いいんですか?じゃあ水を。」
「水でいいの!」
「ところで、このコーラ、どうやってお金を払えばいいのですか?」
「ボクが奢りますよ。大丈夫。それくらい。ウズベキスタンはそんなに豊かな国じゃないけど、ボクは大丈夫だよ。」
「それでは、お言葉に甘えて。」
 コーラと水をご馳走になり、されどこれがウズベキスタンの物価を知る貴重な機会をふいにすることになるとは露とも知らず、好意に甘える。
「ところで、サマルカンドのホテルはどこですか?」
 私はスマホで見せたGoogleマップで指し示す。
「どうやって行きますか?タクシー面倒ですよ。白タクだらけです。」
「そうなんですよ。タクシーは面倒そうなので、トラムがホテルの近くを通るっぽいので、それにしようかと思います。「サマルカンドのトラムはダメです。どうしてもというなら止めませんが、全くオススメしません。タシュケントのトラムが廃線となり押し付けられた厄介者です。それなら迎えの車があるので、日本人のビジネスマンたちと一緒になりますが。ホテルまで送りましょうか。」
「いいんですか!?」

 人の好意は素直に受け取るべし。
 ベクさんの行為に我が身を完全に委ね、一旦辞去して、席へ戻る。
 戻ると、座席のテーブルの上に紙袋が置かれていた。
 サービス満点!軽食とインスタントコーヒー!
 コーヒーを飲むや直ちに胃を痛くするので、これは妻へのウズベキスタン土産として、ホテルでもらった弁当と軽食をいただかんとするも、弁当のサンドウィッチが巨大だった。三枚の食パンがそのまま包まっていた。
 これだけで膨満感であった。

席に戻ると軽食が置かれていた。スティックコーヒーは妻への土産となる
ホテルの用意してくれた弁当は食パン三枚挟んだサンドウィッチで膨満感
霧の中、最高速度250キロで突っ走る。霧がなければ、タジキスタンの山々

 一時間くらいiPadに保存していた『地球の歩き方』を読んだりしているうちに、街中に入ってきた。
 隣のモンゴロイドビジネスマンがコートを指差す。
 おそらく「寒いから、着た方がいいよ」と言っているのだろう。優しいではないか。
 そして、定刻10:38。サマルカンド駅に滑るように到着した。
 そして、私はベクさんの元へ急ぐ。

急いでベクさんの元へ
しかし撮り鉄はする

【この日の旅程】
タシュケント 8:25→(アフラシャブ号)→サマルカンド 10:38

【この日の費用】
アフラシャブ号 103,000スム(1236円)
※日本で購入済み
(1スム=0.012円)

サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。