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差添うはずの旅

東京に住んでいた祖母が故郷で行われる甥の結婚式に参列することとなった。祖母の故郷は外国の島。もう70を過ぎ、心臓を悪くしていたので一人で行くのはどうにも不安だと、親族の期待を一身に背負い、白羽の矢が立ったのは私であった。

親族の誰もが仕事や学校に忙しい中、ただ一人昼前まで惰眠を貪っては、昼ごはんとしてコーラを1本あおり、適当に必修科目だけ授業に出て、夜は適当にバイトに行く自堕落なモラトリアムを謳歌する私立文学部の大学生だったからである。

祖母は私をして西太后となぞらえる人。少し身体が悪いからといっても、祖母は荒野に道を拓く人。私は荷物持ちとして宦官みたいに祖母の背中に付いて行く人。

二人で島に着き、その中心部にある親族の家に滞在する。私が暇そうにしていると、日本語が得意なおじさんは、リビングのテレビにカラオケセットをつなぎ、マイクを渡してきた。断るに断れずマイクを握るとおじさんは立ち去り、誰もいないリビングで小林旭を一人背中を丸めて歌う羽目になったこと以外は、滞りはなかった。

帰国前、別の親族の家に行った。タクシーで1時間くらい。寂れた漁村であった。

帰り際、タクシーに乗ると、窓越しにそこのおばさんがお小遣いを私に渡してきた。断ろうにも「ビールをください」と「トイレはどこですか?」以外の言葉を知らないし、その札の厚さに半ば朦朧としていると、「余計なことをするな!」と言うようなことを祖母は喚き散らし、私がヒシと握りしめていたお札を奪い、窓の外へ投げ捨てた。

「私はこの子にあげたんだ。あんたは関係ないでしょ!」とおばさんも喚きながら私の顔めがけてお札を投げ返す。祖母はまた喚きながら投げ捨てる。その応酬はしばらく続いた。この島の名物の一つは女の強さである。しかし、おばさんは祖母に打ち勝ち、私は後にスケルトンのiMacを購入する原資の一部を獲得したのであった。

今使っているMacは6代目である。先日、祖父母の墓参りに行った。祖母はこの旅行後、数年も経たないうちに亡くなってしまった。墓の上空は航路の直下に、数分おきにジェット機の轟音がする。帰り際、最後の旅を共にした孫があの飛行機はどこ行きかなとスマホアプリで検索している横で、祖母の顔を知らない曾孫は「また来るね」と墓に向かってバイバイしていた。

サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。