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祖母の葬儀を終えて。

ここ数日、
祖母の葬儀の関係で、
noteの更新を自粛させていただいていました。

記事更新や、
コメント対応など、
様々ご迷惑をお掛けしました。

そして、無事、
祖母の葬儀を終えることができ、
家族親戚一同で、
心残りなく見送ることができました。

温かい言葉を掛けてくださった方々、
本当にありがとうございました。

祖母は93歳まで生き、
大往生でこの世を去ることができた。

きっと、自分の人生に、
満足して旅立つことができたと思っています。

今日は、
そんな祖母の弔いのための、
記事を書かせてください。

祖母との思い出を書く中で、
自分の中にある気持ちを、
整理することができたらと思います。

お時間許される方がいましたら、
お付き合いもらえるとうれしいです。


どんな祖母だったか?

祖母のことを思い浮かべると、
浮かんでくるのは、

とても温かく、
めっちゃ面白い人だった

というイメージです。

まず第一に、とにかく、

下ネタが大好き

です。笑

このエピソードは、
後々記していきますね。

そして、
世話焼きで人情が厚い

孫、親戚、
近所の方々の世話を焼くのが大好きで、
しょっちゅう何かお土産をもっていっては、
配っている人でした。

加えて、終始動き回っている働き者。

祖父が会社に勤めており、
週末も忙しくしていたので、
一人で家のことや、
畑を守ってきた働き者
でした。

さて、
そんな祖母との、
温かくも笑えるエピソードを、
いくつかまとめることができたらと思います。


祖母とのエピソード

エピソード❶ 下ネタ好き

先述したように、
祖母はとにかく下ネタが大好き。笑

しかも、
非常にやさしいレベルの下ネタで、
大爆笑をしてしまうという気質の持ち主
です。

例えば、

皆で鍋を囲って食事をしているとします。

誰かが、

「ちょっとそこのお玉とって。」

と言うと、

「なんじゃ?お玉というのはたま××のことか?」

と一人で勝手に盛り上がり、
手を叩き、涙を流して笑いだし、
数分間帰ってきません。笑

それを見て、
残りの家族みんなで大爆笑です。

筆者が思春期になって、
腕やすねに毛が生えてきたときも、

「なんじゃ?お前、毛が生えてきたのか!?」

と言い、
筆者のすね毛をさわって、
また一人で大爆笑。

そんな祖母は、
従妹たちにいつもマークされており、
面白シーンや、
面白語録をいつも撮影、メモされていました

まるまる1冊
「○○○語録」(〇〇〇は祖母の名前)
が用意されており、
日々更新されている。

祖母は従妹たちと一緒に住んでいたので、
遊びに行くと、
最近の面白語録がいつも披露され、
爆笑のネタになっていました。

また、従妹たちは、
モノマネがうまいので、
いつも祖母のモノマネを披露してくれます。

自分のモノマネを見て、
爆笑しながら涙を流し、

「わしゃ、そんなこと言ったかね~」

と言っている祖母は、
いつも愛されていたと思います。


エピソード❷ なわで縛る

さてさて、
大人になっても落ち着きがない筆者は、
当然ながら、
子どもの頃はもっと落ち着きがありませんでした。

その上いたずら小僧で、
1個しか歳の違わない従妹と、
いつもいたずらを仕掛けて、
祖母を怒らせていたことを覚えています。

いたずらが過ぎると、

「なわで縛るぞ!」

という祖母のモードが発動し、
それから逃げ回っていました。

ある日は本当に捕まってしまい、
本当に柱に縄で縛られるときも。

従妹と一緒になわで縛られて、

「ぬかった・・・!!」

という状態。

そのように、
言うことを聞かなかった時期も、
あったかもしれませんが、
それでも祖母は、
そんな孫たちを愛してくれていました。

歳が大きくなると、
段々そういったいたずらはしなくなっていったのですが、祖母の昔話をみんなですると、必ず出てくる印象深いエピソードです。


エピソード❸ 恐怖ののこぎり

生前、祖母の記憶が、
まだしっかりあって元気だった時。

親戚一同で集まると、
必ず祖母が武勇伝を語り出していました。

すると、皆で、

「また始まった笑」
「いよっ!!」

みたいな盛り上げムードになります。

祖母の口癖は、

「おそがい(おそろしい)」

なのですが、

筆者が、
父の仕事の関係で、
アメリカに数年滞在していた時、
祖母の娘である筆者の母を訪ねて、
祖母がアメリカに来たことがありました。

当時、祖母は60代。
当然海外旅行などしたことはありません。

その祖母が、
従妹2人を連れて、
3人でアメリカに来たのです。

祖母の一世一代の大冒険だったと思います。

「外人さんばかりで、おそがいんで、かなわんわ~!!」

と言いながら、
当時のことをよく振り返っていました。

当然英語は話せないので、
全てボディランゲージで乗り切ります。

従妹たちが語ってくれる、
祖母の当時の様子が、
また面白くて笑えてしまう。

そして、
当時の筆者が住んでいた家に滞在。

そんなある日のこと。

落ち着きのない筆者は、
食事をしながらも、
いすの背もたれにある隙間に足を突っ込んで遊んでいました。

すると、あまりに深く足を突っ込んだのか、

「ぬ、抜けない・・・!!」

パニックになり、
泣き出す筆者。

大人がかわるがわる足を抜かせようとするのですが、
抜けません。

そこで祖母の登場です。

「こりゃあ、のこぎりで切るしかあるまいて!」

と言い出し、
大きなのこぎりをどこからともなく取り出し、
躊躇なく椅子の背もたれをのこぎりで切り出しました。

自分の足の近くが、
のこぎりで切られているのですから、
筆者はこわくてたまりません。

あの時のことは、
今でも記憶に残っています。

そんな祖母のおかげで、
無事、足を抜くことができたのです。

その時の武勇伝を語っているときは、

「わしゃあの時は機転がきいてのぉ~」

と、いつも祖母の顔はドヤ顔でした

繰り返し、繰り返し、
何度も始まる武勇伝と祖母のドヤ顔に、
いつもみんな大爆笑でした。


まとめ

祖母は段々と、
認知症の症状が見られるようになり、
最後の方は意思疎通ができない状態でした。

それでも、
祖母の周りに人が集まれば、
笑い話に花が咲き、
笑顔が絶えなかった。

祖母の最期のときは、
あと1~2週間の命ということで、
筆者の実家に引き取って祖母を見ていたのですが、

丁度みんなが集まって、
笑い話に花を咲かせ、
そして解散してから30分後ぐらいに、
息を引き取りました。

最後は、
目も見えず、
意思疎通もできない状態でしたが、
みんなの温かな笑い声を聞いて、
安心して旅立っていったのかもしれません

通夜の葬儀会場でも、
祖母の生前の映像が流れ、
みんなでクスクス笑いながら、
祖母との思い出を振り返っていました。

生前も、
旅立つ直前まで、
たくさんの笑顔に囲まれていた祖母。

きっと、
天国でも、
明るく笑っていることと思います。

筆者の個人的な祖母との思い出を読んでくださり、ありがとうございました。

ここからは、
ゆっくりとnoteの更新もしていけたらと思います。

様々お言葉をくださった方も、
理解を示してくださった方も、
本当に、ありがとうございました。

今後とも、変わらぬお付き合いのほど、
どうぞ、よろしくお願い致します。


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