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コレナガキョーコという人間自己紹介。

はじめまして。
コレナガキョーコです。
「ココロサポーター」として、クライアントさんの心の葛藤や迷いにアドバイスをさせて頂くお仕事をしています。

この記事では、わたしが占い師を始めた軌跡から、2023年自身の身に起こった人生を変える出来事、
正直、未だに整理できずにいますが、この先のわたしの人生を有意義なものにする為にも、振り返り、シェアして行きたいと思います。

幼少期

わたしは東京都杉並区生まれ、東京で生まれた子「京子」と名を授かりました。
小学校1年生の時両親が離婚し九州大分県に移住、複雑な家庭環境の中、長女として「大人の世界」を目の当たりにして育ちました。

おばあちゃんと

中学校2年生のある時、仲の良いお友達が冗談交じりに言いました。
「将来自分がなりたくないって思った職業になっちゃうらしいよ?」
それを聞き、すぐさまわたしが出した答えは「占い師」でした。

その頃のわたしは、今振り返るとなかなかの霊感体質でした。
見えないもの存在がわかったり、妙に感が鋭かったり。
だから、そんな風に思ってしまったのでしょうか。
占い師とはわたしにとってパンドラの箱だったのかもしれません。

そのころは大変なオカルトブームで、周りの友達との話題は今で言うスピリチュアルで持ちきり。
見えないものが見えるとかの不思議な現象についは、他の人には見えていないと薄々わかっていながら、この頃はそれほど違和感を感じていなかったと思います。
むしろ、ドキドキワクワクな見えない世界がキラキラ楽しいものに思えていました。

友人の中でも人一倍オカルトにのめり込んでいた友人が「タロットカードを買った」と嬉しそうに見せてくれて、その未知なる「新しいアイテム」に心踊り、すぐさまマイタロットカードを手に入れました。

取扱説明書を片手に、過去、現在、未来のカードからストーリーを読み解きアドバイスをしていると、「言われた通りになった!」「なんでわかるの!?」
と学校中で話題になり、話をしたこともない生徒達が列をなすようになりました。
友人を差し置いて、さながら人気占い師です。

あまりにも人が殺到して休み時間に休めるどころではなくなり、結局タロット占い師はあっという間に封印してしまいました。

その後、わたしに霊感があると気がついていた祖母から「その力はコントロールしなければいけないよ」と言われ自分の能力にますます嫌悪感を感じるようになり、中学を卒業する頃には完全にスピリチュアルな世界を遠ざけるようになりました。

個性心理學®︎、ハイヤーセルフコネクターとの出会い

見えない世界を封印すると決めてから、選ぶ友人はスピリチュアルには全く興味のない人ばかり。占いの事など忘れて生活する様になりました。

31歳で結婚し、39歳で3人目の子に恵まれましたが、封印していたはずの直感力、と言うよりもっと確信に近い、妊娠前から女の子が生まれるとわかるといった感覚などは、いろいろな場面で経験をしていました。

ところが、予知能力で子育てがうまく行くはずもなく、3人の子育てはトラブルの連続。
そんな時に出会ったのが個性心理學®︎(旧動物占い)で、それも「今年は自分の内側を探求する年になる」とどこからかの啓示が降りてきたばかり。
個性心理學は占いというより統計学という認識で、しかもとにかく当たる。
自分を知り、子供達との関係も随分軽くなり、個性心理學にのめり込むようになりました。
そして、事もあろうに所属している個性心理學の支局長が、避けていたはずの霊能者。30年間避けていたスピリチュアルに図らずも再び触れる事になってしまいました。

それからというもの、何をやってもスピリチュアルに導かれる。
これはもう逃げられない、観念するしかないのかも、そう思った矢先「ハイヤーセルフコネクター」という職業に出会いました。
個性心理學同様、子育てを楽にしたいという思いで始めた事でしたが、ハイヤーセルフに繋がりメッセージを伝えるという、普通では理解するのが難しいセッションもわたしにとってはすんなり受け入れることができました。

タロットカード占いも30年ぶりに再開。
自分がスピリチュアルを通してこれだけ助けられたのだから、きっとたくさんの人にとっても必要なことなのだろう。
そう思うと同時に、あれよあれよと導かれるように、占い師として「銀の風」という屋号で活動を始める事になりました。

夫の死

封印したはずのスピリチュアルな能力を再び呼び起こす事になり、仕事として屋号を持つまでになったのが、2021年から2022年まで、ほんの1年ほどのお話。

激動な1年間だとは思っていましたが、激動はそれだけで収まりませんでした。

2023年2月のこと。
いつもと違う行動を起こした夫に「この人は3月か4月に死ぬかもしれない」と考えがよぎります。

しかし夫は当時健康そのもの、縁起でもない!と、そんな思考をすぐ様かき消したのです。

そして4月。
警察から電話が入り、夫が亡くなった事を知りました。

わたしの予感は当たってしまった。
もしかしたらわたしが原因なのではないか、わたしが何かアクションを起こしていれば、起こさなければ、夫は死なずに済んだのかもしれない、堂々巡りの考えが湧き起こりました。

しかし子供3人と義理の母を抱え、嘆き悲しむ暇などなく、どんな考えが過ろうと、前を向いて生きる術を探すしかありません。

そんなわたしが手にしていたのは「占い師」としての職業だけでした。
これを仕事にしていく、改めて覚悟を決めたのです。

これからのわたし

わたしが生まれる前、夫とどんな約束をしていたのか、知るよしもありません。
けれど彼の死によってまた人生が大きく舵をきる事になるのは明らかで、わたしの生き方を左右します。

あれからまだ3ヶ月が経ったばかり。
正直、これからどうなるかはわかりません。

今改めて自分の進む道を思案してみたところで、導かれるままに進むしかないのかもしれない。

7月7日の結婚記念日に彼のことを思い出した時、浮かんだ言葉は「ありがとう」しかありませんでした。

思い出とか、後悔に縛られるのはもう終わりにしよう、自分の感情に区切りをつけようと思えてきました。

コレナガキョーコを必要としてくれる人の為に自分の人生を役立てる事をしよう。

やっと、そう思える様になりました。

「銀の風」は、わたしについてくれている銀龍さんをイメージして付けた屋号です。

新しいスタートに立ったばかりの私を、どうぞよろしくお願いします。

2023年7月9日 コレナがキョーコ




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