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あれから約3年、導かれた場所は日本の聖地、熊野古道。

無いと思うなら自分で創ろう!と思い立ってから3年弱。最終的に導かれた場所は、田辺市の中辺路でした。そして、先月5月16日、何と我々は田辺市と地元の方々と、3者協定を結ぶまでになったのです!!!!じゃん!

暫く投稿していなかった間に、沢山のことがありましたが徐々にメモを残していきます。

まずは田辺市について。

この地がどんな場所か?というと、歴史的にも、文化的にも、風土的にも、ここは「1000年以上続く、受け入れの聖地」。
そして私自身も、和歌山県を北から彷徨いながら、最終的にこの地に受け入れて頂きました。何より一番凄いのは、この地に住む人々、関わる人々の懐の広さ。だって普通に考えて、まだ学校法人も存在せず、経験もお金も無い、あるのは構想のみ。

でも負けじと踊っていた我々と一緒に、第一フォロワーとして踊り始めてくれた田辺市を想うと、デレク・シヴァーズのこの有名なTedスピーチを思い出さずにはいられない。
「社会運動はどうやって起こすか」


最初に田辺市の真砂市長にお会いしたのは忘れもしない一年前、学校構想への思いのたけを親身に、丁寧に、聞いていただきそれだけでも感動的だったのに、「なんと夢のある話や!」と心から共感頂いた。その瞬間、
「こんな素敵な市長がいるんや!!

このまちで、ぜったい学校創りたーーーーい!!!」と思った。そこからはもうびっくりするぐらいスムーズな一年が始まって。。。
一先ず今日はこの辺で。

そして!田辺市は移住するのにも絶対ほんとにおススメの町です。
詳しく知りたい方はこのサイトもご参照ください。
田辺市 たなごごちサイトへ

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