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かわいげのないババアになりたくない。8年前の自分が眩しかった。


8年前の日記、読み返した。
そこに書かれた言葉の素直さに
8歳年をとったわたしは思い切り年寄りになったと思い知らされ
ひどく悲しくなった。

その日記の中には、2年半過ごしたオーストラリアを離れる直前の気持ちが綴られていた。
30代直前に渡って2年半も過ごした国を離れて
日本に戻るのはまた別の国に向かう気持ちだった。
新しい「はじまり」と帰国を指した日記の隅々に、
なんだかこう、爽やかで軽やかな空気があった。
とても悩んだから重くどんよりしたことも覚えている。
逆ホームシックになって薄暗い空の下、オーストラリアの青空が恋しくなったのも覚えている。
だけど、わたしは確実に人生の舵を自分でとっていた。
選択したのは自分の責任だ、と意気込んでいなくても
それを自然と身につけていたように思う。
誰かに期待しすぎるでもなく、後悔に身を沈めるでもないから、
そこでできることを目一杯やっていた。
その瞬間瞬間に集中していた。
自分のはずなのに、おかしなはずなんだけど、
知らないコを眩しげに見つめ、
次の瞬間、年寄りになった気持ちになった。

きっと頭も硬くなった。頑固になった。
過去を見返したりする。言い訳もしてる。
かっこ悪いじゃないか。
それに気づいて苦しくなった。
若作りのババアじゃん、って悲しくなった。
「年をとるのも悪くない、楽しいぜ」なんて
格好つけて言ってるその格好がもう似合ってない、
そんな感じ。落胆する。

年を取るのが怖い時、やり残した何かがあるのだ。
それが積み重なっていくほど、怖さは増していく。
そうして「若い子はいいわね」なんて嫌味なババアになっていくのだ。
時間はそれを浮き彫りにする。
思い切り生きた人生を持つ顔と、「もう遅いし」を言い続けた顔が
全然違うものになるのは容易に想像がつくよね。
わたしの顔は、今はどっちだ。
皺だってない方がいいけど、思い切り笑って笑い皺が増えるなら
それはそれでかわいげのあるババアだから、そっちの方がいい。

さあ、8年後に、今、何を残す?



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