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痴態を見られて、自己開示に繋がった話。

頭がいいふりをしている人は頭が悪いし、頭が悪いふりをしている人は頭がいいし、美人のふりをしている人はブス。じゃあ、私は何のふりをしているでしょう。
強いふりでした。クールなふりでした。タフなふりでした。
本当はめちゃくちゃ弱い。自信がない。超繊細でロマンチストです。
こんなTweetをしちゃうくらいに。

人の意見や、場の雰囲気に影響されるから、その中で我を通せなくなるから、一人でいたいんです。
バレる前に、強くなっておかなきゃいけないから、健康オタクとして体を整え、スピリチャルや自己啓発のスキルを磨いて、もっと良くならないといけないんです。
そんなダサダサで、矛盾だらけで、弱っちい自分に勘付かれでもしたら、攻撃されちゃうし、みんな私のことを嫌いになるだろう。お願い、近くにこないで。バレるから。

・・・と、主だった成功体験もなく、挫折ばっかりしてきたら(ロスジェネ世代で新卒時の就活が大変だったし、留学後の再就職はリーマンショックのタイミングだった)自意識がこじれにこじれた。ひた隠しにしてきた自分を出すようになったのは、今年2019年である。きっかけは死ぬほど恥ずかしいものを、人に見られたこと。それも、立て続けに。

その日、私はリア充的なアフターファイブを過ごす予定だった。茨城の友人が梅を送ってくれるというので、それを近所に住むしのちゃんと仕込んで梅シロップを作ろうとしていた。しのちゃんは堂弐菓子店(どうにかしてん)という屋号で、一日カフェなどをしている。私は翌月に読書会を企画しており、そこでのおやつと飲み物を彼女に担当してもらう。そのために、一緒に梅シロップを作り、お客様に味わっていただこうという計画だ。私には茨城に梅を送ってくれる友人がいるのよ、お菓子を作ってくれる友人がいるのよ、という素敵な友達がいるのよ感も演出できてしまう。なんて素敵。私は部屋を片付け、一人暮らしでは食べきれない宅配ピザを頼もう、とはしゃいだ。

作業はつつがなく終わった。一人では退屈になってしまう梅のヘタ取りも、たわいもない話をしながらなら楽しい。「カビが生えないようにするために、毎日瓶を回しておくね」と私は言い、彼女は帰っていった。ふと、誰もいなくなった部屋を見回す。恐ろしいものが目に入った。片づけたはずの部屋に、最も片づけておかなければならないものが残っていた。どこに。天井に。

「私は大丈夫!素敵な人が現れる、ありがとう」的なことを筆ペンで書いた紙を天井に貼っていたのだ。説明しよう。とあるスピリチュアルな人から、眠りに落ちる前と起きた直後に目にしたものは、潜在意識に入りやすいから紙に書いてベッドの上に貼っておくとよい、と言われて素直な私は実行していたのだ。何てことを。机を即座に引き寄せ、天井の張り紙をはがす。即、丸めて捨てたので、厳密には何て書いたのか思い出せない。(潜在意識に刻み込まれていない)

しのちゃん、見なかったかな、見たよね?何も言わなかったよね?見たならその場でなんか言ってくれ。気づいたかな。えっと…えっと…。もう夜も遅いし、明日LINEを送ろうとも思った。でも何も手につかなかった。意を決してLINEを送る。「天井の見た?今、捨てたんだけど。」「見たよ。捨てなくていいのに。」私は心に決める。自己啓発メモを二度と自分の家に貼らない。飾らない。人に見られて恥ずかしいものは自分の家に飾らない。もう二度とやらない。

痴態を見せたにも関わらず、しのちゃんはその後も普通に接してくれた。その数週間後、私は関西に行く予定があったので、手入れが必要な梅たちはしのちゃんに引き渡されることになった。うちに果実瓶を取りに来るとき、私は部屋を掃除していなかった。マンションの外で渡せばいいと思ったからだ。彼女はこんなLINEを送ってきた。「今ドアの外にいる」怖い。考える間もなくドアを開ける。部屋にはその日に限って脱いだストッキングが床におちていた。いつもはネットに入れて洗濯機に放り込むのに。

絶対に見せたくないスピリチュアル自己啓発痴態、および汚い部屋を見られた。でも、しのちゃんはその後も普通だった。(ドン引きしたかもしれないけど)自分の恥部や見せたくないものを見せても、意外と大丈夫なんだ、という大きな学びとなった。そこからだ。私が痛いところを含む自分を出すようになったのは。人に話し、文章にもした。SNSで繋がっている人たちにも、もう、さらけだそう。知ってもらおう。自己啓発と健康、スピリチュアルオタクを10年やってみたこと、一生懸命やってみたけど結局自分には何もないと思ったこと。自分が最もつらくて、恥ずかしくて、バカみたいだと思っていることを敢えて書いた。

書いてみたら、反応がよかった。「すごいね」「笑ったw」とか。そして、関西で再会した友達や久々に会う友達が「あれ、読んだよ。あれさ…」とそれぞれ感想を伝えてくれた。びっくりすることに「私、横田さんの文章のファンなんです」とかつての同僚がメッセージをくれた。本当にみんな、ありがとう。みんな、優しかった。私は優しい人に囲まれていた。

それから、私は人に自分を見せるのがぐっと怖くなくなった。もちろんヒヤヒヤするけれど。スリルをちょっと面白いとも思っている。書いた文章について「横田さんは自分が思っているほど頭良くないよ」と悪気なく言われて、反芻しながら考えることもあるけれど。そしてうざいと思っている人はいるだろうけど。でも、自分を出さないようにしていた時より、ずっと軽やかになったし、人と繋がれるようになった。今年はライターデビューをしたり、ワークショップイベントをしたり、サイトを作り直したりと、かなり発展した年なのだけど、すべては天井を見られたことから始まった。
(そして素敵な人は現れていない。潜在意識がんばれ。)



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