小説「仇討ちのブラッドフラワーズ⑥」~ジョジョの奇妙な冒険より

              Ⅵ
 
 ディマイヤの目に、突然天井が映った。知らない天井だった。古びた大きな一基のファンが、ゆっくりと回っている。あれ。おかしいな。僕は列車に乗っていたはずだ?なんで揺れていないんだろう?駅に停まってるのか?そして、自分は寝転がっているのか?
 ディマイの思考が、くるりと一回転する。そう。列車に乗っていた!弾かれたようにディマイヤは飛び起きた。同時に、頭のてっぺんに、鈍い痛みが走る。ディマイヤは右手で頭を押さえた。

「おう、嬢ちゃん、カレシさん、気が付いたようだぞ」
「ほんと!よかった!って、バカ!カレシなんかじゃない!さっき言ったでしょ!」
「口の悪いお嬢さんじゃ。助けてやったのに……。あー、おまえさん、動けるだろうがまだ痛むだろう。しばらくは大人しくしといたほうがええぞ」
 
 ディマイヤは、駅の待合室のような場所にいた。赤い鼻をした初老の男。大きな黒い鞄に、包帯を片づけようとしている。医者なんだろうか?そして、ディマイヤは長い椅子に寝かされていた。すぐそばで、自分より少し年下に見える少女が、心配そうにたっている。傍らには、長旅に使いそうなリュックと、なぜか辞書が転がっていた。日本語が書かれているようだ。

「ねぇ、あんた、ほんと悪かったよ。アタシが荷物落っことしちゃったからさ。頭、痛い?」
「なに、そこまでひどい傷じゃありゃせんよ。ワシがたまたま駅にいてよかったぞ」
 ディマイヤの代わりに、勝手に医者が答えた。
「えっと……僕はタイに行く途中だったんだ。今って、電車の外、だよね」
「ええ。ここ乗換駅なの。ねえ、ほんと悪いんだけど、アタシもタイの方まで行くんだ。お金、置いてくからさ、治療費の足しにしてよ」
 なんてことだ。自分はこの少女が落とした荷物に、頭をぶつけてしまったということか。そして、駅の待合室まで引っ張られてきた、と。まずい、早く行かなければ。ディマイヤは、痛む頭を押さえて、何とか立ち上がろうとする。

「駄目だ!ひどくないとは言うても、まだ傷口がひらくぞ。あと二時間は辛抱するんじゃ。急いでるのかもしれんが、今日の分の列車はまだあるぞ」
「そうだよ。このオジサンの言う通り。アタシはそういうわけにはいかないけど。十分後には出るんだし。」
 
 痛む頭で、ディマイヤは考えを巡らせた。ズキズキする。すぐに戻らなかったことで、承太郎一行はディマイヤに不審の念を抱くだろう。一度、列車から降ろされてしまったことで、状況はディマイヤにとって絶望的なものになってしまった。もうだめだ。打つ手が思い浮かばなかった。どうすればいいんだろう。一時間後の列車にするにしても、もうディマイヤは、連中に顔を見られているのだ。

 ベッドに腰かけて、ディマイヤは顔を深く地面に向けた。泣きそうになる。あ、だめだ。そう思った直後に、抑えきれなかった涙が、頬を伝って流れ落ちた。

「ねえ……アンタ、泣いてんの?」
「痛いだろうからなあ。無理せんでええんだぞ」
 
 普段のディマイヤなら、悪態の一つでも返すとこだが、そんな気分にもなれなかった。僕は救いようのないマヌケだ。アニキの言うとおりだった。一人でイキがって、仇を討とうとして、敵とすら気づいてもらえずに、その仇討ちを自分のドジで台無しにしてしまうなんて。チンケな力のせいで、全部が空回りの大失敗に終わってしまったのだ。

「あ……そうだ。ねえ、これアンタ、大事そうに持ってたよ」
 嗚咽を漏らしはじめたディマイヤを見かねたのか、少女が二枚の紙切れを差し出してきた。
「え、これって?」
 少女が差し出した紙切れは、カキョーインが書いたものだった。そして、もう一枚は、ディマイヤの血がしみ込んだ、ブラッドフラワーズで描かれた絵だった。偶然にもそれは、花が描かれているようにも見えた。
「それ、バラの絵でしょ?小さく描いた割には、すっごく上手だね。あ!オジサン、その日本語の意味、わかったんでしょ?この人に教えてあげて?」
 
 ディマイヤの心に、驚きの炎がともった。
「ねえ、君、この絵……これ見て、なんともなかったの?」
「なんともって?すごい絵じゃん、それ。あー!もう行かなきゃほんとダメ!悪いけど、ね?」
 少女が荷物と辞書を持ち上げ、部屋を出ていこうとする。どういうことなんだ?ディマイヤは、疑問と痛みに支配された頭をもたげて、よろめきながらたちあがった。
「だめじゃぞ!」
 医者が引き留めようとしたが、ディマイヤはその手を振り払った。
「大丈夫、見送るだけですから。終わったら、ここに戻ります」
「……わかった。治療費もちゃんともらうからな。行ってええぞ」
 急ぎ足の少女に、ディマイヤは、なんとかついていく。
「アンタ、名前はなんていうの?」
「ディマイヤだ。ねえ、本当にこの絵を見て、何とも思わなかったの?その、ダルい、とかめんどくさい!とか」
 少女は、目を丸くして立ち止まり、ディマイヤをまっすぐに見つめた。
「思わなかったよ!全然。あのさ、アタシわけあって、家出中なの」
「家出?君、まだ子供だろ?」
「うっさいわね!アンタだってたいして変わんないでしょ!」
「どうして家出なんかしたのさ?」
 足早に歩きながら、少女は少し考え込んだ。
「アテなんかなかったけどね。だけどもう違うの、ちょっと気になる人が出来たんだ。
その人のこと、追いかけようかな、って今は思う」
「そんな理由で?」
 ぐっと息を呑み、少女は立ち止まってディマイヤをにらみつけた。
「そんな理由?なに?アタシの好きなようにしてダメなの?アンタだって、ああしたい!こうしたい!って思う時、あるでしょーがっ!」
 
 少女の言葉に、ディマイヤは胸を衝かれた。そうだ、僕だって、自分がやりたいから、復讐に挑んだのだ。アニキに頼まれたわけではない。他の誰かに薦められたわけでもない。好きなようにやって、今回はこんなことになってしまったけど。しかし。
 アニキは、以前みたいに強くはいられないだろうし、だとしたら、もう僕を縛るものはなにもないのかもしれない。もう好きなように、出来るのだ。復讐に駆られてから、ディマイヤがそこに思いが至ったたのは、今が初めてだった。

「ねえ、アンタさ、私の事見送るんじゃなかったの?」
 ポン、と肩を叩かれ、ディマイヤは我に返った。
「あ、ああ。そうだったんだ」
 
 自由、という言葉がディマイヤの頭の中をぐるぐる回る。やがて二人は列車の待つホームに着いたディマイヤと、承太郎たちの一行と、そして少女が乗っていた列車だった。
「よかった!まだ三分あるわ」
「ねえ、あの、アンタ」
「あ、まだ名前教えてなかったね。アンっていうの」
「じゃあアン、さっきも聞いたけどさ、僕の絵、アレ見て、何とも思わなかったの?むかつくとか、ダルくなったとかさ」
「さっきも言ったじゃん?すごい絵だって。逆よ。アタシ、その絵見てたら、なんだかやる気がわいてきたんだ。一応家出なわけだし、こわい目にも遭ってるから、不安だったんだけどね」
「なんで、なんだろ」
「はぁ?しっかりしてよ?アンタが描いたんじゃないの?ねえ、アンタ、ウチはどこなのよ?」
「え、シンガポール?」
「ここから遠いじゃん!まあいいか。ね、住所教えて。そこに手紙書くからさ。またその花の絵を描いてよ」
 戻るんだろうか。僕はシンガポールのねぐらに。一瞬、その思いが頭をかすめたが、アンの事も気にかかった。ディマイヤは手持ちの紙切れに住所を書いてアンに渡した。
「OK。じゃ、元気でね。カバンのこと、ほんとゴメン。でもありがとう」
「いいんだ。アンも……元気でね」
 アンがディマイヤに手を振り、重そうなリュックをかつぎあげ、乗車口に乗り込んでゆく。ディマイヤはその背中を見送った。あっけなく発車ベルが鳴り、痛みにはこたえる響きをディマイヤの頭に残して、列車は走り出し、すぐに見えなくなってしまった。
 
 さっきより頭の痛みは強くなっている。やはり医者のジイさんの言うように、もう少し横になってた方がいいんだろうな。そう思いながら待合室まで帰り着いた。ジイさんが、小さな水筒を口に運びつつ、こちらに視線を投げてきた。酒でも飲んでるのだろう。
「ちゃんと帰ってきたな。感心感心」
「ええ。ちょっと頭が痛くなってきて」
「いわんこっちゃない。ホレ、ここに横になれ」
 
 ジイさんの横に寝転がって、ディマイヤは両手で目を覆った。
 
 色んなことが一度に起きた。変装して、列車に乗り込んで、そして今、横たわってることが、壮大な冗談みたいな、ヘンテコな奇跡のような、そんな風に思えてくる。これまでの出来事を巻き戻していく中で、ディマイヤは、承太郎たちに渡された紙きれのことを思い出した。

「ねえ、オジサン」
「先生と呼べ、先生と。なんじゃ」
 酒臭い息で、ジイさんが答える。
「あのさ、この日本語の紙切れなんだけど、なんて書いてあるの?」
「これか。これは『旅は道連れ、世は情け』じゃ。日本のことわざじゃ」
「どういう意味なんですか?」
「簡単にいうと、旅には同行者がいたほうが何かと心強い。それと同じで、世間を渡るには、情けの心を大事にした方がいい、ということだ。多分な」
 
 あの時、カキョーインが描いたこれを目にして、ジョースターやアブドゥル、フランス人がゴチャゴチャやってたっけ。僕が偽った商売がうまくいくように、彼らなりに考えた、ということなのか。
 なんなんだ。あの連中は。そんな言葉と同時に、ディマイヤはまた泣きだしそうになっている自分に気がついて、目頭を強く抑える。
 
 ここで寝て、シンガポールに帰ろう。アニキのねぐらを漁って、アニキの治療費を用意して。
それくらいは僕に許される悪事だと思う。
 
 アンの手紙が来たら、僕も旅に出てみよう。そして、見えないペンの本当の使い道を、ちゃんと自分だけで見つけてみるんだ。
 この先生が僕のケガを手当てしてくれたみたいに。承太郎たちがコーラを買ってくれようとしたように。カキョーインが僕にこの言葉を残したように。アンが僕のブラッドフラワーズを褒めてくれたように。

 そしてアニキが、あの時僕を拾ってくれたように。 

 それはみんな、情け、ってやつの仕業なんだろう。
 
 それを、僕の旅にも連れて行けばいいんだ。ディマィヤは、目の上に組んだ手の中に、見えないペンを出してみた。なんだか眠くなってきた目に、見えないペンはさっきまでのそれとは、形が変わってるように見えた。気のせいで無ければな、と思いながらディマイヤは眠りに落ちていった。                               
(終わり)

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