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少女舞闘綺伝 ジュウトハチ 小説版 第七話

 秋晴れの日曜日、緑地や公園が数多くある瀬田谷せたがや区でも有数の広い公園の一角に大輔は居た。

 一昨日から、十勇士と八犬士を率いる者として相応しい力を身につけるための特訓とでも言うようなものが始まっていた。

 休日には主に身体的な能力の向上のための訓練を行なうという事になり、朝食後に入念な準備体操とストレッチに始まって、自宅から公園まで、さらに広い公園内を一周するランニングを終えた所だった。

 本日の教官役として三好伊三美みよし いさみ犬川荘いぬかわ そうが付き添い、さらに何故か犬山節いぬやま せつまでが付いて来ていた。

 伊三美は深紅、荘は濃紺、そして節は黒と、三者三様のトレーニングウェアに身を包んでいる。

 木立が並ぶ中を抜ける小道の脇で、大輔は息を切らし、ベンチに座り込んでいる。その傍らで、三人は涼しい顔でクールダウンの運動を行っていた。

「しっかしよぉ、トレーナー役としてアタシと委員長はまあわかるけど、なんでアイツまでついてきてんだ?」

 と、伊三美が節を親指で指しつつ荘に言った。

「護衛役だ、テメエじゃ心もとねえからな」

 と、節が応じる。

「んだコラ!」

「やんのかコラ!」

 二人の口喧嘩に僧が割って入る。

「やめてください、伊三美さん……節も自重しろ……ところで伊三美さん、委員長って……」

「あー、荘ちゃん、なんかそんな感じだろ?雰囲気が」

 ようやく息が整って来た所で、大輔が疑問を口にした。

「……あの、ところで、八犬士の皆さんって、立場的には警察官ですよね」

「そうです」

 と、荘が答える。

「拳銃とか持ったり、しないんですか?」

「常時携帯はしません、状況によっては携行する場合もありますし、そのための訓練も受けてはいますが――」

「アタシらもだな、拳銃、小銃、短機関銃、一通りの取り扱い訓練は受けちゃいるが、普段の任務じゃめったに使わねえ」

 二人の会話に伊三美が割って入る。

「まあこの国じゃ民間人はその手の飛び道具は持ち歩けねえってのもあるけどな、、アタシらにはな」

「有効な武器じゃないって、銃がてすか!?」

 荘と伊三美が軽く視線を交わし、伊三美が荘へどうぞといった身振りをする。そして荘が口を開いた。

「そうですね、実際に体験してもらった方が早いでしょう、息はもう整いましたか?」

「あ、はい」

「では、そこへ立ってください」

 荘は大輔を自分の前へと立たせる。

「例えば拳銃を携行している場合、ほぼ必ず三段階の挙動が必要になります、抜いて、狙って、撃つ――そうですね、腰の右側に拳銃を収めたホルスターがあるつもりで、私を狙って撃ってみてください、できるだけ速く」

「はい、それじゃあ」

 大輔は腰の想像上のホルスターに素早く手を伸ばした――つもりだった。

 向かいあった荘の左手が大輔の右手を抑え、荘の右手は手刀の形で大輔の首に当てられていた。

「とまあ、至近距離ならこのような感じです、場合によっては銃を抜く手は抑えずに、掌打で顎を打ったり、フィンガージャブ……開いた指で目を狙って打ったりします、もう少し離れた状況もやってみましょう」

 荘は大輔から三メートル程の距離を取った。

「いつでもどうぞ」

 大輔は先程よりも意識して素早く空想の銃を抜き、荘へと向けようとした、が。

 一瞬で距離を詰めた荘が、どこからか魔法のように取り出した伸縮式の特殊警棒を、ぴたりと大輔の右手に当てていた。その速さで、寸前で止めることなく振り抜いていたら、大輔の手の骨は砕けていただろう。

 伸ばした警棒を短く縮め、腰の後ろにしまいながら荘が言う。

「このように、素手の打撃や棒、ナイフといった武器であれば、挙動はほぼ一つで済みます、逆に一息で詰められないような距離であれば」

 荘が数メートルほど離れた木に向けて素早く手を振る。

 木の中央、人の頭があるくらいの位置に、鈍く光る鉄の棒が刺さっていた。手裏剣だ。

 口を開けたままの大輔に、荘が言った。

しのぶは同じ速さで二本、投げられます」

 さらに荘が続ける。

「もっと遠い、手裏剣でも届かない距離になると、拳銃も抜き撃ちではそうそう当たりません、その場合には、こちらももっと距離を取ったり遮蔽物を利用したり、状況にもよりますが」

「それにな、銃を目立たねーように携行する場合、ホルスターはショルダー……肩から吊ったり、ベルトの位置だと背中の方に挿す事が多い、ホルスターの構造も拳銃が抜け落ちないように、スナップボタンやベルクロテープを使ったストラップがあったりするしな、西部劇のガンマンみてえな素早い抜き撃ちは難しいんだよ」

 と、伊三美が口を挟む。


「リル・ファイブ、開始位置に着いた、目標を目視で確認」

「リル・セブン、こっちも位置に着いた、いつでもいいよ、しかし便利だねこれ、ハンズフリーで同時通話、流石は日本製」

「セブン、余計な会話は控えろ、リル・ツーより各位、始めるぞ、打ち合せ通り、殺しは無し、護衛を速やかに無力化し、目標を確保して引き上げる、作戦開始!」

  

「――相手がどんな武器を隠し持っているか、外見や挙動からある程度、推測できるようになることも大事ですね、拳銃であれば、よほど小型の物でない限り、衣服に膨らみが生じます、また相手が拳銃よりも大型の火器で武装しているような状況が予想される場合には――」

 節の硬い声が、荘の話を途中で遮った。

「犬川、来客だ」

 木立の中を一人の女がゆっくりとこちらへ向かって歩いて来る。精悍に日焼けした東洋系、髪型はベリーショートのウルフカット、カーキ色のカーゴパンツにダークグリーンのワークジャケットを羽織っている。

「もう一人だ」

 伊三美の言葉に、大輔は伊三美の目線を追った。別方向からもう一人、髪型も服装もまったく同じ女が一人、歩いて来ていた。

「いや、三人だな、こちらに数を合わせたか」

 荘が見ている方向からも女が歩いて来ていた。

 大輔達を中心として、きっちり百二十度づつ、三方向からそれぞれ同じ服装、同じ背恰好の女が近づきつつあった。

 相対する伊三美、荘、節の三人も、大輔を中心に正三角形の陣形を組み、身構える。

 不意に節が大輔の方に向き直り、膝をつき、言った。

「命じてください、あいつらを倒せと」

「……あ、はい、倒して……ください!」

「承知しました」

 節は笑みを浮かべると神妙に頷き、敵へと向き直る。

 同じ姿をした三人の女達が一斉に駆け出した。

「来るぞ!」


 同じ頃、真田家からほど近い路上に、三好清海みよし せいかの姿があった。真田の母・由美子にちょっとした買い物を頼まれ、近所のスーパーへと向かっていた。

 不意に清海のポケットのスマートフォンが振動する。

 スマートフォンを取り出し画面を確認した清海の顔色が変わった。

 それは大輔からの緊急を告げる連絡だった。緊急時に、タップ一つで護衛メンバー全員にメッセージを一斉に送信できる独自開発のアプリが、昨日から大輔のスマートフォンに入れられていた。

 身を翻して駆け出そうとする清海の前に、一人の女が立ちはだかった。

 身長は清海よりも少し低いが、先日のシスター・ルーにも負けず劣らずの巨体だ。顔立ちと肌の色から察するにおそらくはコーカソイド、まだそれほど冷え込む時期でもないのにロングコートを身に着け、何より目を引くのは、燃えるように赤く豊かなその髪だった。

「ハァイ、お急ぎのようだけど、少しばかり遊んでよ」


 同じ頃、霧隠才華きりがくれ さいかは、駅から真田家へと向かう途上にあった。

 十勇士の本部が置かれている丸の内の真田グループ系列のビルに立ち寄り、簡単な連絡事項のやり取りを済ませたあとだった。

(さらにニ名を投入、か……場合によっては、十名全員が出る事になるかもしれない……)

 歩みつつ才華はさらに思いを巡らせる。

(十勇士と八犬士、その全員が一堂に会するなど……実現すれば、まさに歴史に残るな……)

 肩から下げたバッグの中で、スマートフォンが振動する気配があった。取り出し、画面を見る。大輔からの緊急連絡だった。咄嗟に走り出そうとするが、周囲の異常に気づき、足を止める。

 晴れた秋の日曜の午前中、駅にほど近い通りであるにも関わらず人通りが絶えていた。車やその他の生活音も聞こえない。

(術か……)

 路地から一人の女が、通りの中央へと歩み出た。

 長袍と呼ばれる服に裤子ズボン、上下とも純白だ。肩よりも長く黒髪を伸ばしている。

「一つ、お手合わせを」

(この私に……術で挑むか!)

 才華の顔に猛禽の笑いが浮かぶ。大輔には見せられない表情かおだな、という思いが頭の隅をかすめた。


「来るぞ!」

 一斉に駆け出した三人を見て伊三美が叫ぶ。

 荘は左右の手に一本ずつ、伸縮式の特殊警棒を取り出し、大きく振って伸ばす。

 節も同じく特殊警棒を握るが、こちらは一本だけだ。素早く振り出すと、逆手に構えた。

 間合いがあと数メートル、となったとき、まるで水面に飛び込むように三人の襲撃者たちは地面に身を投げ出した。

「消えた!?」

 大輔の驚きが口をついて出た。

 飛沫こそ上がらなかったものの、襲撃者たちの身体はまるで本当の水面に飛び込んだように掻き消えていた。

「ヤベえな、気配も消えやがった、委員長、そっちは?」

 伊三美が荘へ問いかける。

「駄目です、節?」

「こっちも駄目だ、見失った!」

 三人の目前に、襲撃者たちが突如現れた。

 手にしているのは革の棍棒、ブラック・ジャックやサップ、あるいはスラッパーなどと呼ばれるそれは、鉛などの重く柔らかい芯を革で包み、血を出させずに身体内部へのダメージを与えることを目的としている。

 頭部へめがけて振り下ろされたそれを、荘と節は警棒で、伊三美は腕で、際どいところで受け止めた。

 襲撃者たちは素早くバックステップで距離を取ると、再び地面へと飛び込む。


 清海は苦戦していた。

 ジェーン・ドウと名乗った赤毛の女に、既に何度か打ち込んでいた、一度でも決まれば必殺の威力を持つはずの一撃が、ことごとく浅い、浅い手応えしか感じなかった。

 息が上がる、というところまではいかなかったものの、短時間で勝負を決めるべく、全力を込めて繰り出した技は、少しずつ清海の体力を削っていた。

「フッ!」

 雷声と呼ばれる独特の発声とともに、ジェーン・ドウに熊形からの単把を打ち込む。心意六合拳では基本とされる打撃技だが、清海の金剛身と組み合わせれば必殺の威力となる……はずだった。

 ジェーン・ドウの胸元に決まった一撃は何とも頼りない手応えだった。

(やはり、威力を殺されている……)

 清海は一旦間合いを取り直した。

(この、おかしな手応えの秘密を暴かなければ……)


 荘たち三人は苦戦していた。

 敵の三人は思い思いの方向から現れては一撃を入れ、消える。単純な戦法の繰り返しではあったが、効果的な反撃を入れられないまま、防戦一方でじりじりと耐久力を削られていた。 

「荘、五色炎ごしきえんを使う、援護を!」

「承知した、伊佐美さん!」

「おう!」

「節が五色炎を使うあいだは、集中のため無防備になります――」

「護れってことだな、わかった!」

 節が左手で刀印を結び、胸の高さに構える。

 ぽっ、と節の目前に指の爪ほどの小さな黄色い火が灯った。その上下、両隣にもさらに黄色い火が灯る。小さな火はみるみるうちに増え、大輔たちの周囲数メートルの空間に、球を描くように無数の小さな火が灯った。不思議なことに、熱さはまったく感じない。

「これは……」

 大輔が不思議そうにつぶやく。

「犬山節の火遁・五色炎です、黄色は探知用、使っている間は集中が必要ですが――」

「荘、正面だ!」

 節の声に即座に答えるように、荘は警棒を正面に振り下ろす。

 荘の正面に出現した襲撃者は、荘の一撃を手にした棍棒でからくも受け止めた。

「チッ!」

 襲撃者は舌打ちを残し再び姿を消す。

「三好、上だ!」

 伊三美の頭上、数メートルに襲撃者が忽然と出現する。飛び降りざまに振り下ろされる棍棒を、伊三美は腕を十字に交差させて受け止めた。襲撃者は地面に降り立つと同時に姿を消す。

「さんをつけろや、コラ!」

「うるせえ!左だ!」

 節の指示で伊三美は自分の左方向に強烈な前蹴りを繰り出す。蹴りは現れた襲撃者の腹に当たり、襲撃者は後ろに吹き飛ばされる。


 才華は苦戦していた。

 無人と化した白昼の路上は、おそらくは何らかの方法で結界が貼られているのだろう。余人に気を使う必要がないのは有り難かったが、もしやという思いもあった。

(単に他者を認識できないような術がかけられているのだとしたら、あまり派手に暴れるわけにもいかない……)

 全身の感覚を研ぎ澄ませ、周囲の気配を探る。

 と、背後に殺気があった。

 すかさず棒手裏剣を投じるが、虚しく空を切り、地に落ちる。硬い鋼の澄んだ音が、人気のない路上に響いた。

「こちらです」

 嘲るような声が、すぐ背後から響く。

「くっ!」

 跳躍して距離を取り、手裏剣を投げる。

 やはり手応えはない。

「こちらです」

 通りに並ぶ街灯、その上から声がする。

「こちらです」

 背後の塀の上から。

「こちらです」

 足元のマンホールの中から。

「こちらです」

「こちらです」

「こちらです」

「こちら……」

 ふう、と才華は深くため息を一つ、ついた。

 バッグの中へと手を伸ばす。

 (忍びとしては、この手はあまり使いたくなかったが……) 

 

「リル・ファイブよりリル・ツー、相手の反応が良くなった、多分あの火、黄色い火のせいだ」

「厄介だな、あの黒い服の女がやってるのか」

「リル・セブンよりリル・ツー、アイツはアタシがやるよ」

「まて、迂闊に手を出すな――」

 三人の襲撃者の中で、リル・セブンと呼ばれる女が土中を水の中のように移動し、節の足元へと迫る。


 節の足元、土の中から突如手が現れ、足首を掴む。

「待ってたぜ」

 節は動じることなく、左手の刀印を憤怒印と呼ばれる形に組み替える。

 節の足首を掴んだ手から、猛然と黒い炎が立ち昇った。

 声にならない悲鳴を上げ、リル・セブンが土中から飛び出す。


 第七話 終

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