しばた きょうこ

\毎日読書と考え事/ 宗教、倫理学、社会学、哲学… 愚かで未熟ですが、だからこそ、絶え…

しばた きょうこ

\毎日読書と考え事/ 宗教、倫理学、社会学、哲学… 愚かで未熟ですが、だからこそ、絶えず学び、考えたい。 #SHIBABOOK #yogainstructor

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  • 「 #SHIBABOOK 読書記録 」

    読書記録

  • 【 「なぜ人を殺してはいけないのか」拾った思考の断片群 】

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  • 「 宗教について 」

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  • 「 わたしの倫理学 」

  • 【 「科学と宗教」拾い集めた思考の断片群 】

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最近の記事

「読書記録 「書くことの不純/角幡唯介」」

私がIGを投稿するときに凄く心がなんとも言えないもやもやに支配されるのは、こういうことなのか、と自分の曖昧な感情に名前が付いたような感覚。 ・あざむくこと。だますこと。「—に満ちた言動」「国民を—する」自己欺瞞 58「欺瞞のある行為を、さも純然たる行為として書くとき、書き手の心の中には自分は本当の自分をごまかしているとの負い目が生じる。私が解消したかったのは、書き手はこの負い目を書き物の中でどのように処理できるか、という問題だった。 さりげなさを装えば作品としての完成度は高ま

    • 「「関係」と「内在」について考えること」

      「彼らは好き好んで自由を選んだわけではない。 もともと群れと一体化できない自分の特異性を守ろうとしていたらそれが傍らからは自由と形容されるようになっていった。」 私はどこまでいってもやっぱり中途」 半端な生き物なのだと思う。 群れから外れ、他者からの関係を断ち切り、己の道を行くしかない、というほどに苦しんでもいないし、突き出て、ぐんと秀でているわけでもない。 關係によって己の輪郭を理解してる。 群れの中での関係をやっぱり必要としている。 だからと言って群れに完全に身を委ね

      • 「読書記録 「書くことの不純/角幡唯介」」

        ・12「内側から湧き上がる思いというのは、社会や時代の価値観とは別のところから立ち上るものであり、それゆえその人にしか理解できない情動である。 動機や目的は、社会や時代の価値観には決して還元できない個人的なものだし、それをやったからといって社会の役に立つもオンでは、絶対にありえない。 もしそれらに社会的意味が出てきてしまったら、その行為は生きることの個人的追求ではなく、社会的価値の追求という公的な行動に変質し、逆にとても胡散臭くなる。(私的・内的動機で行うからこそ、他者理解か

        • 「読書記録 「書くことの不純/角幡唯介」」

          ・「書くことの不純」 少しの前情報もなく、ただただこの言葉に吸い寄せられるように手に取った本。 私は言葉が好きで、表現が好きだ。 言葉での表現に強く惹かれる。 ただその思いと裏腹に、いつまでたっても、自らの文の嘘臭さに心底うんざりしてしまう。 また、自分の表現の軽薄さに葛藤するのだ。 NOTEでの表現を続けている。 主に読書記録として、まとまりのない率直な文を残す。 友人や知り合いに開いてはおらず、とても自由な個人的な表現。 そこには己の中の汚さ愚かさ、葛藤がとてもリ

        「読書記録 「書くことの不純/角幡唯介」」

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        • 「 #SHIBABOOK 読書記録 」
          38本
        • 「 宗教について 」
          18本
        • 【 「なぜ人を殺してはいけないのか」拾った思考の断片群 】
          4本
        • 「 わたしの倫理学 」
          3本
        • 【 「科学と宗教」拾い集めた思考の断片群 】
          1本
        • 「 まとめ 」
          4本

        記事

          「読書記録 影に対して母をめぐる物語/遠藤周作」

          ・夢を叶える事、キャリアを重ねること、1人の人間として生きる事。 子を、家族を守る存在として、母として生きる事。 「女」としての在り方について、 25歳の今、育てたいキャリアと、大事にしたい恋人との将来と、母になるという選択と、色んな方向からの引力に引き裂かれるように翻弄している自分にとってとてもリアルに響いてきた。 私が母となったら、どうなるのだろうか。 授かることのできて我が子は、たった一人の母である私をどんな風に見つめるのだろう。 私は一体、彼・彼女の人生にどのような

          「読書記録 影に対して母をめぐる物語/遠藤周作」

          「読書記録 「夫婦の一日」「影に対して」/遠藤周作」

          遠藤周作、彼の本を読むことで、死との距離に気づかされる感覚がある。 「老いて死を間近に感じたとき、不安から救ってくれるものは何か」 背表紙のこの言葉。 老いずとも、死との距離はずっと変わらないのに、まるで徐々に近づくように錯覚してしまうのは何故なのだろうか。 老いずとも、多く人を弔おうとも、私いつだって自身と死との距離は一定だ。気づかなくとも、目をそらしたとしても、変わることなく隣にある。 私も、彼も、あの人もこの人も、皆やがて骨となる。 『老いとは残酷なほど醜いことだ』

          「読書記録 「夫婦の一日」「影に対して」/遠藤周作」

          「 「限界」を自覚し、その範囲内で己を生ききる「覚悟」を。 」

          身一つ。心一つ。 身と心には限界がある。 限界があるのは大切なこと。 この限界のうちにしっかりと自分を見据えて生きる覚悟をせよ。 この言葉を聞いて思い出したこと。 食事は沢山摂るとやがて満腹になる。 「ふう、もう十分。お腹いっぱいだ」 大きなお腹をさすさすとしながら、箸を置く。 「もう限界、これでおしまい」がある。(なかなか箸が止まらないこともあるけれど…) ただ形をもたない「情報」は、「ふう、もう十分」がない。 更に与える側も「もう手持ちがありませんので、今日はここまで!

          「 「限界」を自覚し、その範囲内で己を生ききる「覚悟」を。 」

          「 日常に、「祈り」を。」

          祈り。 日常で馴染みあるものだろうか。 お正月、初詣で。お仏壇の前で。お腹が痛すぎて半べそで。とんでもないピンチのとき。 「神様。どうか…」そんな風に祈ったりするだろうか。 「祈ること」それがいつの間にかとても身近なものになっていることに気付く。 人生、祈らずしてもう生きていけない、何て思ってしまうのはいつからだろう。 勿論、自分の意思をいつでも強く持っていたい。 己の人生の手綱は自身で強く握りしめていたい。 でも自分の思い通りに行かないことは本当に途方もなく大きい

          「 日常に、「祈り」を。」

          「 無謀なような頑なさを馬鹿にする愚かさ 」ガンジー・落合恵子の言葉を引いて

          明るい覚悟/落合恵子 『「差別や社会の理不尽さを「仕方ない」と受け入れることはできない人でもあった。 (「敢えて憤りを表明したところで、なんになるの?それでなにかかわった?なんにも変わらないじゃない」という声に対して) 「どうせなんにもならないから、なんにもやらない。損するからやらない…。やっても変わらないからやらない…。そういうのって、なんて言うのかな、なんだかケチ臭いと、わたしは思う。」 「わたしは、ただ、そういう自分を許せないんだと思うの」 「デモなんかしてなんになる

          「 無謀なような頑なさを馬鹿にする愚かさ 」ガンジー・落合恵子の言葉を引いて

          「読書記録「チッソは私であった/緒方正人」」

          <自然の脅威> ・NOTEまとめ読み直す ・「“ここまでは人間たちのものじゃなくて、海のものだったんだ”という、なにか意志めいたもの、海の意志みたいなものを感じるんです。」 ・責任を問うべき対象である加害者たちが巨大な化け物で、人間として引き取ってくれなかったものだから、それが跳ね返ってきた。 ・熱狂できるものが欲しい、確かなものが欲しい、それを追い求めていたいという気持ちが生まれてしまう。そういうものがあるからこそ、精神力は磨かれていくような気がして、逆に、そういうもの

          「読書記録「チッソは私であった/緒方正人」」

          「読書記録 常世の花/石牟礼道子・若松英輔」2024・01・06

          ・世間は彼女の偉大さを様々な方法で讃えたが、彼女はほとんど関心を示さなかった。彼女は全く異なる姿をした真の偉大さが、虐げられた者たちの日常に潜んでいるのを知っていた。 ・人間の存在は、貧富、才能の優劣あるいは身分の高低によってはけっして計られない。外面的なものの奥に、人間の尊厳を感じ、そこに真の語られざる物語を感じようとしていた。 ・蠱惑(こわく: 容易に言葉に出来ない、なんとも美しいものに出会った衝撃と喜びを意味する) ・書き手に求められているのは、自らの思いを込め、工夫を

          「読書記録 常世の花/石牟礼道子・若松英輔」2024・01・06

          わたしのやりかた

          家族のこと。彼のこと。 他者との関りが難しいと感じる。苦しい。 大好きだし、尊敬しているし、大切にしたいと強く思っていること気持ちも確かなのだけど、 どうしようもなく情けなく関係を上手く築けない私がいる。 關係を自らの行いによって切ってしまう。続けられない。距離を取ってしまう。 それでもなお関係を保つような働きかけをしてくれる人が僅かにいる。 母。 父。 祖母。 彼。 友人M。 友人H。 友人R。 先輩Kさん。 叔母Cちゃん。 友人のKさん。 ピラティスの先生のHさん。

          わたしのやりかた

          散文「 傍から見たら無敵ガール 」

          沢山の本を読んできた。沢山の人達の素敵な思考に触れてきた。 それは途方もなく膨大な量。 その蓄積によって私には不思議な力が帯び始めた。 魔法みたいに私を強くする。 ピンチの時、 もうダメかもって思うとき、 暗闇をさまよっているかのように不安なとき、 心がぽきっとしてしまいそうなとき、 ふぅと深呼吸。 一旦落ち着いてみる。 そうすると、自然とふんわりと今の自分に必要な言葉をくれる人が、数人浮かんでくるようになった。 「あの本の中にあるような気がする」、そんな静かなひらめ

          散文「 傍から見たら無敵ガール 」

          「 私も偉人になりたいです 」中村哲さんの言葉を引いて

          伝記や自伝書、立派で眩い人生を歩んだ偉人の本を読むのが好きだったし、今も変わらず好きだ。 でも、年を重ね、ときめきの心と裏腹に、それを読む己の平凡さについて突き付けられるようでどうしようもなく苦しくなってしまう自分がいる。 もちろん、自分を愛しているし、自分の選び取った日々を愛している。心から。 他人に「交換してあげようか?」と問われても「いいえ、このまま私の人生を行くわ」ときっぱりはっきり断れるくらいに自分の人生を気に入っている。 そうあれるように努めてきたから。 それ

          「 私も偉人になりたいです 」中村哲さんの言葉を引いて

          「読書記録 「日本宗教のクセ/内田樹・釈徹宗」」

          「宗教と科学」 ・226「一見すると無秩序に見える背後には「何か」がある。 それを科学者は「法則」と呼び、宗教家は摂理と呼ぶ。いずれにせよ、いまのところ人間の知恵ではまだ説明できない超越的な境位が存在する。それをしみじみと思い知って、人間の限界を自覚すると同時に、その「超越的境位」を目指して一歩ずつすすんでゆく…ふたつには通うところがある。」」 そもそも宗教は必要なことなのだろうか。 科学が発展してもなくなることがなく、まして、学問を深く追求している人が宗教にのめりこむこと

          「読書記録 「日本宗教のクセ/内田樹・釈徹宗」」

          読書記録「フランスの街の夜/遠藤周作」

          ・「あふれている様々の事件記事を注意深く読むならば、そこにはそれぞれの事件の主人公の、人生と幸福についての追求の全てが象徴的に語られていることがわかるだろう。幸福になりたくて銀行を襲い、幸福になれなくて自殺する...。これらの行為は、幸福を求める必死の努力の果てなのである。だからと言って、むろんそれらの行為が正当化されるわけではないが、逆に、彼らの幸福感が誤っていたと言い切ることもできないだろう。誤解を恐れずに言えば、人はどのような幸福感をも持ち得るし、持つことが許されるべき

          読書記録「フランスの街の夜/遠藤周作」