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学校はサービス業?

今日の昼ごはんでマックに行った時に思ったのです。

チーズバーガー、チーズバーガー、グラコロ、ダブルチーズバーガー、ハンバーガー、てりやき…なんて順番でやってたら作業としてやることが違ってくる。
毎回違うことやってたら頭の中を切り替えるのにも時間がかかる。

店員さんの数はいたから同じ人が3種も4種もやることないんだろうけどね。

学校は1人がやる。
多種多様な教科はもちろん、人権、情報、食育、SDGs、キャリア…

飲食店のメニューも、学校で教えることも多ければいろんな人のニーズをカバーできるんだろうけどメニューが多すぎて捌ききれなくて満足を生み出しづらい環境になっている。

飲食店と違うのは「完全な提供者」である必要がないということ。

子どもたちが授業の中で少しでも自己決定をしていく。
最初は賛成・反対のようなことでもいい。
次第に、解き方の方法、学習形態、授業進度など裁量を広めていく。
そうなってくると学習を作っていくのはもはや教師ではなく子どもになる。

しかも自分で作った方が味わい深く、記憶にも残る。
ちょうど子どもが自分自身で作ったご飯を作ってもらったものよりも美味しく感じるように。
この際見栄えが悪いとかは些細な問題にはならない。
作ったというプロセス自体に価値があるから。

ここも飲食店とは違うところであり、飲食店のようにマニュアル通りに作った物では子供はむしろ物足りなくなるのではないかとさえ思う。

上に書いたプロセスの価値は教師側からも喜び、価値づけていく必要がある。

せっかく作った物を「しょっぱい」だの「薄い」だの言う必要はない。少なくとも最初っから言う必要はない。
なぜなら本人自身が気づいていくもので、気づかなければ問いかけていけばよい。

プロセスの価値を感じさせるためには振り返りを設定する必要がある
学習への主体性を自分で振り返る。

ここには主体性を持って学ぶ価値を教師も子どもも自覚しておく必要がある。

でなければ教師は自分がデザインした通りの味が1番であると思い込み、子どもも出された物を受け取るしかないと思い込むことさえありえる

サービスすることが全てだという価値観を変えていかなければ満足は生まれていかないのかも。

と思い、自戒を込めてこちら側が全て準備してやってくような授業では満足度は上がりづらいんじゃないの?

という話でした!

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今日はおしまい!

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