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行ってはいけない北インドゴールデントライアングルツアー⑤忘れられた赤い城

こんばんナマステ🧡🤍💚Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

完全に忘れちゃったと思うけど、このシリーズまだ終わってないからね😜

8月の終わりにtwitterのスペースで話した「行ってはいけない北インドゴールデントライアングルツアー」をテキスト化してるんだけど、元々きちんとした原稿もなければ録音もしてないので、テキスト化もかなり適当になる笑

このやり方については先月ヴァラナシ編をやり、

今月はアジャンタ、エローラをやる。

もはやゴールデントライアングルが終わってないのに、それらをテキストにするのかしないのなもわかんない笑

ま、気長にお付き合いください。

このシリーズの初回は「普段ツアーに申し込まない人がなぜかインドだけツアーに参加してそして嫌いになる」

2回目は「ハードスケジュール過ぎて無理ゲー」

3回目、4回目は「世界文化遺産づくしでみんなウンザリ」ってのを書いてきたんだけど、

今日は何でそんなに世界文化遺産好きなのに、そこには行かないの❓って話を書きたい。

ゴールデントライアングルツアーの定番、デリーのラール=キラー(レッド=フォート、赤い城)についてUNESCO世界遺産センターのいわばオフィシャル紹介ページを見てみるとね。

いきなりComplexって書いてあるのに気がつくかもだけど、紹介文のすぐ下に言語を選べるボタンがあって大和言葉にも対応してるので自分も含めて安心❣️

レッド・フォートの建造物群は、17世紀中頃にムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、首都をアーグラからデリーに移した際に建造した居城。建材に赤砂岩が使用されていることが名前の由来で、隣接する1546年建造のサリンガル城砦も、世界遺産に含まれる。

Salimgarhの日本語の表記としてはサリンガルともサリームガルとも書いて、後者の方が一般的ではあるものの、片仮名だとムガール帝国(Mughal Empire)に関連すると誤認されてしまうことを思えば前者がいいかもしれない。

ただ自分は後者でずっと認識してきたから後者にするね。

サリームガル城を建てたのはスール朝の2代目スルターン(イスラーム圏における支配者の称号)、イスラーム=シャー。

スール朝はビハールにいたアフガン人(パシュトゥーン人)のシェール=シャーが1539年にムガール帝国の2代目フマーユーンを倒して、北インドを支配するスルターンを名乗って成立した、ムガール帝国初期のライバル。

フマーユーンは現在のアフガニスタンの首都カーブルに撤退して捲土重来を期すのだけど、シェール=シャーがフマーユーンの逆襲に備えて建てたのがラホール🇵🇰近くにあり世界文化遺産になっているロータス=フォート。

シェール=シャーはロータス=フォートの完成を見ず、1545年に死亡。

跡継ぎ息子のイスラーム=シャーは父親のようなカリスマ性もなく混迷を引き起こし、彼の死後は内紛の挙句フマーユーンの逆襲をくらってたった26年でスール朝は滅亡してしまった。

インドの歴史にifが許されるのなら、シェール=シャーが長生きしたらどうなっていたのか、というのはあるよね。

史実はその後、ムガール帝国はインドに君臨し続け、3代皇帝アクバルがラホールやアーグラーに遷都するものの、5代皇帝シャー=ジャハーンがデリーに再遷都。

サリームガル城のすぐ隣に現在のオールドデリーとなるシャージャハナバードを建設し、その中心にまるでサリームガル城を見下ろすようにラール=キラーを建設したのは当てつけなのか。

そんな物悲しい敗者の遺物も、インド政府とUNESCO、ICOMOS(世界文化遺産の事前審査をするNGO)が拾ってくれてラール=キラーと一緒に世界文化遺産になることができ報われた。

そう思ったのに少なくとも日本の大手旅行会社にはガン無視し続けられている。

ガン無視っていうかそもそも知らないんだよね。

インドに何の興味もない人がツアー使ってるからさ。

工場でスープを作って温めてるだけの家系ラーメンと同じだから。

そっか、今後そういうツアーを「資本系」って呼んであげたらいいのか。

資本系食べて家系ラーメン嫌いって言ってる人と、ゴールデントライアングルツアーでインドが嫌いになった人って似てるよね。

本来フマーユーン廟とセットで紹介されるべき世界遺産はサリームガル城だよね。

フマーユーンとスール朝の闘いは映画や演劇にしたって面白い話。

だいたいデリー定番御三家の中でフマーユーン廟が一番人気ないのは、ちゃんとこういう話しないからだよ。

何これちっちゃいタージ=マハールじゃん、で終わってしまう😢

何十年も同じ話を繰り返す日本語ガイドにも問題はあるけど、彼らは知識自体はあるのよ。(ヨーロッパの日本語ガイドのように日本のことをまったく勉強していないという問題はあるけど、それはまた別の話)

悪いのは彼らを使いこなそうとしない日本の大手旅行会社だからね。

ではなぜサリームガル城は日本の大手旅行会社に知られていないのか。

これは前回書いたことと繋がるんだけど、ゴールデントライアングルツアーが始まった1980年代の終わりから1990年代の頭は、タージ=マハールなどは既に世界遺産だったけど、日本が世界遺産条約を締約していなかったことで日本人の多くはそこまで興味もなかった。

1992年に締約して、翌1993年に日本から初めての世界遺産として法隆寺、姫路城、白神山地、屋久島が登録されると一気に日本人のなかで世界遺産ブームが起きる。

この年にデリーのクトゥブ=ミナールとフマーユーン廟が世界遺産になったため、よっしゃそこ行ってみよう‼️

ってことで、それまで行っていたラージ=ガートなのが削られてそっちになった。

そして既に登録されていたアーグラーの3箇所を含めて5箇所の世界遺産を巡る、というのが固定化された。

この時にラール=キラーはまだ世界遺産ではなかったけれど定番として残り、

2007年にラール=キラーとサリームガル城が世界遺産になったところでサリームガル城が注目されることはなかった。

ラール=キラーも世界遺産になったんだー。んじゃあー6つ周れるんだねっ✌️

2010年にジャイプールのジャンタルー=マンタルが登録されて7つ、

2013年にアーメール城で8つ、

2019年にジャイプールの市街で9つとなった。

これらは元々寄ってた場所だから、別に世界遺産になってわざわざ増やしたわけじゃない。

まあツアーによっては行かなかったアーメール城は「必須」になったりはあったけどね。

つまり日本の大手旅行会社にとって、元々寄らなかったところが世界遺産登録されたってそんなの我関せずなんだ。

ただでさえハード=スケジュールのなかでサリームガル城に行け、なんて思わない。

だけど、あれだけ世界遺産ハンティングのような様相を見せてて、なぜサリームガル城はガン無視なんだい❓とは思うのよ。

ラール=キラーは月曜日休みだし、共和国記念日や独立記念日など政府で使用する日も観光客は入れなくなる。

そういう日はそもそも行かずクトゥブ=ミナールとフマーユーン廟しか行かないとか、ラール=キラーの外観だけとかってツアーがほとんどだけど、だったらそんな時だけでもサリームガル城に行けば「9つの世界遺産を巡ります」が達成されるんじゃないの❓

何が何でもサリームガル城に行けと言ってるわけじゃなく、たいしたこだわりのない世界遺産ラリーならやめちまえって話。

アーグラーやジャイプールは定番もの、って言ったらこれしかない部分はあるんだけど、デリーはもっと自由に組んで旅行会社毎に差が際立って然るべきだと思う。

このシリーズ、短いスパンでまた書くのか、当面やらないのか現状はまったく未定なので、楽しみにしていただいてる方がいれば首を長くして待っててね🌟

それじゃあバイバイナマステ🧡🤍💚暑寒煮切でしたっ✨


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