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首都圏カレーフェス進化論①カレーフェス第一世代〜横須賀・土浦

はじめに

こんばんナマステ💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

とりあえず告知❣️

10月11日火曜20:00から、Clubhouse『インドの衝撃(インド大学)』でブータンのことについて話すよ🇧🇹

内容的にはこちらの話の拡張版。

んで、今日から下北沢カレーフェスティバルが始まるねっ🍛🍛🍛

だけど今年はスケジュール的にまったく行けなさそうだな😢

ということで、望郷ならぬ望カレーの念をこめて今日から首都圏のカレーフェスについての話を書いていきたいと思う。

今では、少なくても首都圏においてはだいぶ社会的に浸透してきたと思うカレーフェスなんだけど、一体どんな展開を歩んできたのか。

実は昨年の秋に『インドの衝撃』でカレーフェスについて喋ったので、それをテキスト化しつつ、2022年の新視点も書き下ろしていくつもり。

これが昨年の音声版だよっ(約29分)

それでは早速書いていくね‼️

お前の愛した横須賀の海の

カレーフェスの歴史はご当地カレーブームの歴史ともほぼ一致している。

というのはビッグバンが空間と時間が同時に始まったのと同じように、ある鶴のひと声からカレーフェスとご当地カレーが始まったから。

舞台は神奈川県の軍港都市横須賀。

1998年12月に行われた海上自衛隊地方総監の退官お別れパーティーにて総監がこう言った。

「(同じく海上自衛隊の拠点である)呉市と舞鶴市では、両市が本家争いをするなど、肉じゃがを“まちおこし”に繋げているが、カレーライスが庶民の食卓に普及したのは海軍のカレーにルーツがあるので、海軍の街である横須賀でカレー発信の地として、“カレー”を地域の活性化に利用してみては」

舞鶴で肉じゃが食べたけど、超絶甘かったなぁ。

それを聞いた横須賀の人はガツンと殴られるような衝撃を受けたんだろうね。

カレーによるまちおこしをすべく、すぐさま市役所、商工会、海自が共同で調査を開始して、

翌年5月にカレーの街宣言を行ない、

海軍のレシピに基づいたよこすか海軍カレーの制定、よこすかカレーフェスティバルの開催という運びになった。

フードフェスの嚆矢といわれる代々木公園のタイフードフェスティバル(現タイフェスティバル)が2000年から、ご当地グルメブームを引っ張ったB-1グランプリが2006年からだから、1999年にご当地カレーとカレーフェスを打ち出すというのは先取り感パない。

このきっかけを与えた総監もビックリの行動力と発想力じゃないだろーか。

よこすかカレーフェスティバルが当てた光

よこすかカレーフェスティバルのエラいところは、ただ単によこすか海軍カレーのアッピールをする内容ではないところ。

全国からご当地カレーや海自カレーが集結させ、カレー文化そのものを地域内外の人に知ってもらう内容にした。

その中で結果的によこすか海軍カレーを知ってもらえばいい、という感じ。

ふと思ったんだけど、このやり方は新横浜ラーメン博物館を参考にした可能性がある。

1994年にできたんだけど、開館してしばらくは横浜家系ラーメンの六角家が入っていて、「せっかく横浜に来たんだから」と多くの人が六角家に入った。

結果として家系ラーメンが全国的に認知されることになる。

ついでなので書いておくと、あれを完全にパクるかたちで2001年から2007年まで横濱カレーミュージアムがあったけど、あそこによこすか海軍カレーの店があったはず。

ちょうど知名度が上がり出した頃だから、うまくカレーミュージアムの場を活用できたともいえる。

もしも本当にラーメン博物館から影響を受けたんだとすれば、カレーミュージアムに出したのも頷ける。

それはさておき、カレーミュージアムは毎年5月の土日2日間で5万人以上を集めるキラーコンテンツになった。

カレーを媒介にして横須賀市に観光という概念が目覚めたのも大きい。

横須賀市の中でも例えば観音崎なんかは昔から観光地だったし、市の西側も逗子葉山から続く世界観でそれなりの観光客を集めてはいたけれど、

断片的な名所だけでなく、横須賀という総体で人を呼ぶ、という意識が生まれたことは本当に大きい。

ただ、こうして光を当てれば影になるものもある。

一方で横須賀で昔から地元の人相手に頑張っている海軍と関係のないカレーがまったく置き去りにされている。

横須賀を代表するカレーって海軍じゃなくてここだよ。

いつの間にか海軍カレーの向こうを張るアッピールをし始めたね💦

昔横須賀のラジオに2回ほど出演してカレーについて喋ったことがあって、その時にこういう話をさせてもらった。

結構反響はあったとは聞いてる。

首都圏の真逆へ飛び火したカレーフェス

今度は東京から見れば、横須賀とは真逆の方向になる茨城県土浦市に話が移る。

今世紀に入ると、富士宮やきそばを筆頭にご当地グルメブームが巻き起こっていた。

そこで土浦でも恐らく横須賀に範を取るかたちで2004年よりカレーによる街おこしが始まる。

なぜ土浦がカレーなの❓霞ヶ浦には海軍いないよね❓

1929年、当時世界最大級のドイツの大型飛行船ツェッペリン伯号が世界一周の途中、土浦に飛来した際に、飛行船の乗組員に土浦ならではの食材を使ったカレーを振る舞って歓迎したという歴史が発端なのだという。

翌2005年より土浦カレーフェスティバルが毎年秋に開催されるようになり、本当に横須賀を参考にしたんだなぁって。内容的にはやはり全国のご当地カレーを集めたもの。

でもね。猿真似じゃない証明として横須賀より多い毎年8万人が訪れるんだよ。

何故そうなるかっていうと、全国的に有名で人口14万人の街に80万人がやってくる花火大会で、カレーフェスの告知をしてるんだって。

そーなんだぁ、行ってみようかなぁって思う人が多いってことなんだね🌙

秋に開かれるのは花火大会に合わせてということだけじゃなく、5月にやる横須賀との共存共栄もある。

そして結果的に「夏の食べ物」であるカレーの働き口が増えたことも意味する。

カレーフェス「第一世代」論

横須賀と土浦に共通して言えるのは東京都心から約1時間の距離にあり、小旅行感覚で訪れる人が多いということ。したがってどちらも観光戦略の一環という要素が強い。

また単にカレーフェスをやるというというのではなく、売りたいご当地カレーがあるからこその開催でもある。

つまり横須賀と土浦のカレーフェスの目的は観光とカレーの販売。

フェスそのものはそのための触媒ではあるけども、結果としてカレー以外の食フェスにも影響を与えたと思われるこの2都市の事例をカレーフェスの「第一世代」と定義づけたい。

おわりに

「第一世代」ってことは、その先もきっとあるんだよ。

というかこの記事のきっかけである下北沢はまだ出てきてないし、下北沢は第何世代なんだろーね。

続きはまた明日以降やるよ‼️

それじゃあバイバイナマステ💛暑寒煮切でしたっ✨



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