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休むことの真意

ここ数日ゆるゆると過ごしていた。ある人の言葉をきっかけに、今月は仕事はほどほどに、自分ファーストでゆっくり過ごそうと決め実行していた。

もちろん仕事はあるが、決められた量をこなすだけ。自ら増やさない。フリーランスの私にしてはありえないことだった。塗り絵などその時々でやりたいことに没頭し、何もかもやりたくない時は素直にやらない。こんな調子だ。人生休みモードに突入していた。

昨日は突如、やる気のやの字もなくなり、全てを削ぎ落とされたような感覚になった。何もかもにやる気が出ない時間があった。上手くなりたい一心で没頭していた塗り絵もちっともやりたくない。ぼーっとできるYouTubeもSNSも見たくない。読みかけの本を読もうとしたが3ページほど読んで終了。こんな時間を味わったのは何年ぶりだろうか。

結局、目を瞑って全てを遮断するのが得策だと思い、昼寝して何とかやり過ごした。しかし、起きてもなおやる気が出ない。どうしてもやらなきゃいけない仕事があったので淡々とこなし、それ以外はただ呼吸をして過ごしていた。無理せず過ごし、たっぷり眠ったかいがあって今はやる気が出てきた。

休みモードを過ごして気づいたのは、休みとはリフレッシュするためだけのものではないということだ。

思う存分休むと心身ともにラクになるが、人間はバランスの生き物なので特定の状態であり続けると無気力になり、つまらなくなる。それが昨日。しかし、無気力の底まで行くともう上がるしか術がないから上がろうとする。それが今。私たちは、動と静が混じり合うことでバランスを取れて毎日を楽しめる。休むこととは、嫌でも動きたくなるために必要な起爆剤なんだと気づいた。

昨日は自分でも驚くほど休んだおかげで今日はパキパキ動けそうだ。今日は朝から地元活動に司会の仕事、夜は大切なお店のサヨナラ会。今日はバリっと動くぞ。

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