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小馬鹿にしていた国分寺を好きになったワケ(前編)

私が住む国分寺市は東京都の中心部、体で言うとおへそにあたるらしい。確か私が中学生の頃、それが新聞に掲載された。

根っからの国分寺市民の母はこれを知って大喜び。確かにこの地味な街が東京都の中心とは少し誇らしく感じる。だからといって、私が国分寺を好きになることはなかった。“なんの取り柄もない街”、それが国分寺。それを上回る感情は皆無だった。

味気ない街並みが嫌

国分寺は今も昔もベッドタウンで、私が学生だった15年前までは駅ビルのマルイとL(現在のセレオ)が顔的存在。それ以外に目新しいものはなかった。北口の駅前商店街にはマックと西友、プリクラが充実していたゲーセンと、飲食店が数店舗ほど。少し歩くと、今はなくなってしまったがパークレーンというボーリング場があった。

じゃあ南口は?というと、三菱財閥岩崎家の別邸だった都立庭園「殿ヶ谷戸庭園」がある。付け足すなら、駅前すぐに交番とよくわからない銅像があるくらい。

こんな感じで、生活するには困らないが、心ときめく話題のスポットはなし。JR中央線の特別快速停車駅なのに、来たいと思われるような特徴なんてこれっぽっちもない。

田舎でも都会でもない街。今となればこの感じがちょうど良いけど、学生時代の私には中途半端で歯痒くて。味気ない街並みがなんか許せなかった。

国分寺に興醒めするまでの経緯

立川によって地味さが際立つ

私立の中学校に入学して以降、通学はずっと国分寺市外。高尾にある中高だったので、帰り道には八王子や立川でよく遊んだ。国分寺より下るものの商業施設が集結していて、遊び場がたくさん。特に立川はカラオケやゲーセンは言わずもがな、映画館もあって、商業施設はLUMINE・グランデュオ・高島屋と豪華な顔ぶれ。こんな具合だからより一層、国分寺の味気なさ・地味さ加減が際立つ。

もともとなんの愛着もないことに加えて、私立入学で地元とのつながりが希薄になり、国分寺市外が私の拠点になったもんだから、国分寺に対する興味は全くと言っていいほど無くなっていった。

都会慣れして嫌悪感を抱くように

社会人になってからの勤務地は全て都心。営業中のサボり場所は新丸ビル、ランチは丸の内仲通り。飲み会やコンパは銀座・東京・渋谷。八重洲の高級中華店では、コンパなのに大口開けてチャーハン早食いしたことを覚えている。

結婚して住んだのは乃木坂・北参道。乃木坂時代の買い物スポットは東京ミッドタウン。気が向いたら六本木ヒルズまで歩いて、散歩がてら麻布十番に。グルメ開拓をしようとぶらっと赤坂にも行ける距離。いわゆる港区女子を堪能していた。

北参道に住んでからは、仕事帰りに伊勢丹で食料品を買ってタクシーで帰宅。住まいは竹下通りまで徒歩5分と好立地で、表参道にも徒歩で行ける。明治神宮も近かったから、心を浄化したい時にはふらっと行ってエネルギー充電をしたもんだ。

こんな感じで、私はすっかり都会に慣れ、都会で日々を送ることが当たり前になった。だからこそ、これという特徴もない国分寺はつまらなくてしょうがなかったし、最終的には嫌悪感を抱くようになる。住まいは絶対に都会、新宿より下るなんてありえない。いつしか「もう絶対に国分寺に住まない」と思うようになった。

都会を経て、国分寺に

しかし、人生とは読めないもので、再び国分寺に住むこととなる。離婚したからだ。一人で食べていく基盤を固めるために、実家に身を寄せる必要があった。

ちょうどその頃、国分寺は大きな街開発が進んでいて、駅前にはしゃれた美容院やイタリアンレストランが出店。「国分寺のくせにイキがってる」と斜めに見てたし、やっぱり好きになれなかった。好きになろうとする気持ちももちろんなし。ある程度稼げるようになったら、丸の内線沿線か新宿に近いエリアに引っ越そうと目論んでいた。

がしかし、今では国分寺が大好きでしょうがない。ここまで小馬鹿にしておいてよく言えると思われるだろうが、申し訳ないほど今では心から大好きと言える。こんなに良い街はないと切に思う。もう一生、ここから出ないつもり。骨を埋める覚悟だ。

じゃあなぜ、ここまで国分寺を好きになれたのか。胸を張って大好きと言えるようになったのか。次回、その理由を熱を込めて語ろうと思う。



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