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ダンス辞めたいと思ったことはありますか?

たまにこの質問を受ける。
先日久しぶりにダンスワールドではない、通訳の方とお話していて、尋ねられた。
(※写真は通訳の方じゃなくて、クラシックの演奏と作曲を学んでいる生徒さん)

辞めたい。辞めよう。と考えたことはたくさんある。山ほどある。

ダンサーをやっていると、まず、きつい。素晴らしくきつい。
身体的に解剖学や整体では追いつかないレベルであらゆることをさせられる。
しかも場所が整っているとは限らない。(足首への負担に関しては、地面が変わると全く違うスポーツをしているようなもんです、と以前整体の先生から聞いた)

そして、日本人で、低身長だと、あらゆることをせめてできなければヨーロッパで生き残っていけない。(*スイス、バーゼルのバレエ学校卒です)
踊りの本質が身体条件ではないことは、どの作品を見ても感じるが、私がやっていたクラシックバレエは、カンパニーのオーディションを受ける条件の欄ですでに身体について書かれている。
そしてビザ問題。国や州がやっているカンパニーはもちろん税金で運営されているから、その国のダンサーを最低何名とることや、外国人のビザはどの程度まで許可されている、などの政治的な制約が出てくる。
競争は激しくなる一方。

それでも日本を受け入れてくれるカンパニーは東欧などは多いイメージで、今働いているエストニアも確か一つのカンパニーに対しての日本人雇用の制限はなかったはず。先日ちょろっと調べたけどソースちゃんと確認してないです。すみません。

そんなこんなで、条件すごく良くないのですよ。当たり前ですが、ヨーロッパ出身のダンサーよりも目を引く要素が必要。
アジア人としての特徴も武器にしなくては。
そしてなによりいろんなことができるように、負けず嫌いの性格も手伝って、なんとかやってきました。私完全にガッツの人です。

他者からの評価としては、運動神経が良い、アクティングがうまい、音への感覚が鋭い、などあるが、もう全部これは親に感謝。
まず育った環境が田舎。阿蘇で過ごした期間が長かったから、基本的にコーディネーションで困ったことがない。アクティングに関しては、母が宴会部長の頼れる看護師みたいな人(看護師は事実)だったのでよく「やるならやらな。恥ずかしそうにやるのが1番恥ずかしい。」と言われていたから、小学生の時くらいに全てに関して、やりきらな、という思考が身についた。(恥ずかしいという感情がなくなったわけではないです。)
そして私と弟の時間を潰すために母が図書館に連れて行ったところ、本にどハマりして、本を端から端まで漁る異常な子供に育った。その頃、主に読んだのはファンタジーだったが、舞台芸術でのアクティングにとてつもなく役立っていると思う。
あと、通常時から顔がうるさい、と言われるから、普段からなんか練習みたいになっているんだと思う。瞬間的な記憶力が異常に良いのも読書に起因していそう。
音に関しては、昔から家にはいろんな音が溢れていたからだろうか。親とよくカラオケにいって、音が外れている、とめちゃくちゃ指摘されていた。音感は圧倒的に弟の方が良かった。

ここまでだと、条件いいじゃん、と感じるかもしれないが、母に是非聞いてみて欲しい。私はとてつもなく不器用。ただ、私はひたすら、ただひたすらしつこかった。
できないことが嫌だった。要はプライドがひたすらに高く、自分に対しての期待値が異常に高かった。もうずっと練習している。ずーーーっと。クラス中とか動物園のクマか、って言われた。
今でも課題であるこのよく分からないプライドを、異常に刺激するのがダンスだった。バレエだった。ただそれだけ。それに伴っていろんな方に評価してもらえた。それは純粋に嬉しいことだった。

私のダンス生活は、人からの評価と、自分のプライドを満たすことが主な目的だということが、成長と共に徐々に自己分析できてくる。
ダンサーをやっている自分のモチベーションが、大人になるにつれてわからなくなっていった。そこが一つ目の辞め時。

しかしとても幸運なことに、たくさんの人から評価してもらった。
爆発的な拍手をもらったことがあった。もう踊れない、と思った時に助けてくれる人がいた。たくさんの友人に、良いダンサーだね、と言ってもらえた。

他者は、続ける一つの理由にもなった。
そうして一番大きかった、一つ目の辞め時は惰性で回避された。

他にすることもなかった。プロになるということがどれだけ大変なことかを知ったら、他に手を出せるものがあるとは思えなかった。
このプロセスを通して、いつの間にかまた全てに対しての、私の中のハードルがあがった。

そんなこんなで惰性で続けてハードルも上げ続けたもんだから、ダンスの可能性、ダンスの何が良いのか、私は何故踊り続けるのか、その問題に直面した時に毎度逃げたい、となるわけで。しかしその都度、手を差し伸べてくれる人々がいた。一緒に踊ってくれる人がいた。
そして何より、私は続けている。なにかをダンスに見出していることは明白だった。それが何かわからないことは問題だったけれど。

もう何度目か分からない、辞めたい、の時に作った最初の作品は、ジュネーブにいた時に同僚に作ったInside yourselfという作品。出演をお願いした時に、みんなびっくりするくらい二つ返事で受け入れてくれた。今はその価値が分かる。
しかし、そんなみんなに尋ねた最初の質問は、「何故踊るのか」という質問だった。これがこの作品のコンセプトだった。
今全ては思い出せないが、彼女たちの答えの全てを作品に落とし込んだ。すごくプライベートな質問に、すごく真摯に答えてくれた彼女たちに、今でも感謝している。
その作品の最後に据えた言葉は今でも覚えていて、「rencontrer」。フランス語で「出会う」。
何故か分からなかったが、その言葉とその響きを、とても気に入ったことを覚えている。

私としては、ダンサーをするときはいつも逃げたいと思っている。
基本的に踊る役割が、男性であるということや身長が低いこともあり、ソロなどの舞台上の時間の責任を少人数で背負うものがほとんどだから。
それはとてつもないプレッシャーだということを伝えておきたい。華々しくなんかない。
観客が飽きる瞬間が手に取るように分かる。
空気がだれていくのが分かる。緊張がなくなっていくことが分かる。
その時1人で舞台上に晒されている気持ちはとてつもなくいたたまれない。しかし踊り続けなくてはいけない。
毎度舞台上で、今どれだけ惹きつけることができているか、どれだけコミュニケーションをとれているか、どんな観客か、感じながら踊りを変えている。
ただ振りをこなす程、気持ちが大きくないからだろう。基本的にチキン。

ここまで書いてお分かりの通り、私はダンサーという職業があまり好きではない。
しかし適性はあるのだと思っている。(少なくともお仕事をいただいている。)
毎回怖いぞ。逃げたいとも思う。
しかし何故踊り続けるのか。出会うからだろうなと思う。自分を必要と感じてくれる人に。そして逃げたら確実に後悔することが目に見えている。ものすごい負けず嫌いな性格だから。

現在32歳。この年になって思うことは、いつまで経っても、その年齢に合わせたダンサーとしての魅力を出し続けられると思う。評価していただけると思う。観客の皆様も多様ですし。
だから、もうそろそろ、自分で決めるフェーズに入ってきたのだと思う。
何がしたいのか、何をするべきなのか。いつダンサーを辞めるべきなのか。

無意識にシフトしてきたのは振付家。これまで60を超える作品を作ってきて、まだまだ作りたいもの、作れるものが大量にある。アイディアが枯渇することがない。資金だけ足りない。笑
振付をしている自分は、とても好きだ。適性があるかはわからないけれど、これもお仕事をいただいている。そして、評価してくれる人たちもいる。この仕事がメインに持って来れるようにもっと勉強したいと思っている。

だけどもうしばらく踊るのだと思う。踊るたびに発見があるし、それは恐らく尽きることがない。そして身体も幸いなことにまだ動く。
過去私にたくさんのことを伝えてきてくれた、たくさんの人々の言葉の上に積み重ねられた私の経験は、数々の言葉と共にまた誰かに渡すことで、この世界の土壌が深く広くなる一助となるのだと思う。
そうしてたくさんの人々が積み重ねてきたのだろう。

仕事としてのダンスはいつか辞めなくちゃいけない。
そのいつかは人それぞれのタイミングで、どのダンサーも考えたことがある事柄だと私は推測している。
しかし、それぞれに、理由があって、それぞれの未来を選んでいる。
どの選択肢も、とても貴重なものなのだと、今はそう思う。

いつまで踊るのか、身体とともに決めていこうと思う。

お腹が空いた。バナナでも食べようかね。

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