見出し画像

街角コペルニクス

先週、宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』を鑑賞してきた。
まだ観ていない人もいると思うので詳しい感想は控えるが、世間での「難解」という印象とは裏腹に、僕は「誠実な作品であった」という印象を受けた。

宮崎監督の半生が描かれている今作では、監督の作家性がこれでもかというほど詰め込まれている。それは使い回しとも既視感とも取れるが、その作者の無意識を言葉にして、そこに差異を見出すのは観客の仕事であるのだ。

一人の少年が色々なものに影響をうけ、そこに大切な何かを見、自分の中に落とし込み、つくる。そうしてバトンは繋がっていく。これからも。だから詰まるとこと、「私はこう生きた、君たちはどう生きるか?」ということに落ち着くのだ。

オリジナリティというものは何もないところからは湧いてこない。それは、既存のものの集まりだ。しかし、作家の無意識はその集まりで化学反応を起こし、全く新しいもののように練り上げる。だからこそ創造にはそれなりの吸収力のあるスポンジが必要なわけで、その本質を見極める目が必要なのだ。そして人間の無意識はそれを再構築する。これはコンセプト(文脈)以前の問題で、良い作り手であるほど、良い学びをしているということだ。だからルーツがある人は少し信用できそうなのだ。

そういう色々なものが繋がる経験あるだろうか。僕もたまにだが、、ある。突然自分の中で全てが繋がるあの瞬間。

今作「君たち〜」の原案にもなっている小説「君たちはどう生きるか」のコペル君が気づいたようなものに出会う。自分の中のコペルニクス的転回がやってくる。

だからこそ今は色々なものに触れて、考え、その元を蓄積していくことが大切なんだ。コスパやタイパを重視しているだけでは見えてこないものがある。遠回りが効果的に働く瞬間は確かにあるだ。そうやって続けていくしかない。そうやって生きていくのだ。

僕のような写真撮りはその瞬間を街角で毎日探している人種だ。「僕の周りを取り巻く名もない人々は、それぞれに大義を抱えているかもしれないし、何か大切な秘密を抱えているかもしれない」。そして、その奇跡と鉢合わせた自分は消えゆく今を懐かしく思い、シャッターを押す。街角コペルニクス




この記事が参加している募集

スキしてみて

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?