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折々の絵はがき(47)

◆絵はがき〈いでゆ〉小林古径◆

〈いでゆ〉小林古径
大正7年 東京国立博物館蔵

 立ち込める湯気、その瑞々しい粒子の一粒ひとつぶが髪や肌を包んで、二人を静かに輝かせています。「気持ちいいね」と湯舟で漏らした声はしっとりと湿度を含み、いつもとは違う音で二人の耳に届いたでしょう。何もかもをぼんやりした輪郭に仕立てる湯気が、この光景をどこか夢のように見せています。「いでゆ」とは温泉のこと。女は肌だけでなく眼からもお湯を味わうかのように、沈めた腕を眺めています。

 ふと目をやると、大きく切り取られた窓の向こうには新緑が広がっています。宿への道すがら、だんだん濃くなっていく緑を見ながら、二人はいつもの日常が遠ざかるのを感じたかもしれません。旅の始まりの楽しみに混ざる少しの心許なさも、しだいにお湯の中へと溶けていくでしょう。

 小林古径は大正から昭和にかけて日本画の進むべき新たな道を模索し、新古典主義という画風を確立した画家の代表格でした。原三渓から庇護を受けていた古径は箱根にある三渓の別荘でこの作品の着想を得たそうです。湯舟で過ごす二人は気心の知れた間柄でしょう。温かなお湯につかりながら、女たちが心から気持ちよさそうにくつろぐ様子にはずっと眺めていたくなるような幸福感があふれています。時を経てなおそれは少しも色あせることなく、私たちに伝わってくるのです。

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