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きょうだい児について私が思うこと(1)

きょうだい児とは、

病気や障害のある兄弟姉妹がいる人たちのことを表す

だそうです。

病気や障害は様々だと思います。
ですので感じ方も様々で、

きょうだい児として辛い想いをした方。
逆に幸せな想いを持てた方。

1人1人想いは違うと思います。


10年ほど前、「きょうだい会」というものに参加したり、きょうだい児達のサポートのイベントに参加したりしていた時、

小学生からご年配の方々まで、沢山の「きょうだい」達と話をしました。


20代だった女の子は、きょうだいとは縁を切っていて、身体を売るアルバイトをしていました。周りの方達は、その子にアルバイトを辞める様に一生懸命説得していました。

小学4年生の男の子は、障害を持つ姉の事を尊敬している。と話していました。
支援者達は、この男の子は無理をしているんじゃないか?辛い気持ちを隠しているんじゃないか。と話していました。


私は20代の彼女と話をして、親から抱きしめてもらいたかった?と問うと、そうだと思う。バイトは好きでやってるの。と話してくれました。

小学生の彼は、ダンスが得意な姉がいると、明るい気持ちになって、そういう皆んなを明るく出来る姉が大好きだと言っていました。



私にとって弟は、父親や意地悪をしてくる同級生や大人から守る対象でした。
弟を守る事と、しつけをする事を使命だと感じていました。
(後に、この行き過ぎた考えに支配されていた私は第一子を出産した後、強烈な育児ノイローゼにになるのです)


沢山のきょうだい達と話をしていて感じた事は、それぞれの人生を悩みながらでも、一生懸命に生きているという事でした。

もちろん、幼少期の頃の寂しさや、思春期の時に感じる疎外感、パートナーの理解、結婚、出産では、嫌でも考えざるを得ない遺伝に対する不安、親亡き後の問題。

「きょうだい」では無い人より、沢山の壁を乗り越えないといけない部分はあります。


でもそれは決して特別な事ではなく、その人がその人らしく生きる道のりなんだと思います。


「きょうだい児」は、決して特別な存在ではありません。そして、それは障害を持つきょうだいもまた、特別な存在では無い事を意味します。
今まで出会った、きょうだい達は、障害を持つきょうだいの事を、「○○症」という診断名で見ている人は居ませんでした。
縁があって、きょうだいになった、一番近い社会なのです。


きょうだい達は、障害を持つきょうだい達を通して社会を見ています。
きょうだい児達の寂しさを埋めるのが、サポートではありません。

1人1人の人生を見守り、時には話を聞き、時には気持ちを共有し、その人がその人らしく人生を歩める様に、サポート側もまた、自分の人生を自分らしく生きる事が大切なんだと思います。

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