保育園の途中からテレビがない生活をしていた私が、20歳でテレビを見るようになった時感じた、テレビへの違和感

 私は、保育園の途中から20歳まで、家にテレビがありませんでした。そのため、普段触れるメディアは新聞、本、漫画、雑誌などでした。

 テレビが無かった理由は、小さいころではっきりとは分かりませんが、おそらくアンテナかテレビかが雷で壊れて、親が新しく買わなかったからだと認識しています。

 テレビがないってどんな生活かというと、例えば、遊びに行った友達の家のテレビでドラマのストーリーに感動したり、週末に祖父母宅で海外を紹介する番組を夢中になってみたりしていました。また、年末の音楽番組だけを見て、あー今年よく聴いたこの曲はこういうアーティストが歌ってたんだー!という、他の人とは違う楽しみ方でたまにテレビと接していました。

 私の時代は、周囲の人は家でテレビを見ている人が多かったので、他の人がキャッチしている情報をキャッチしていない、逆に、他の人がキャッチしていない情報をキャッチしている、少し特殊な生活環境でした。

 その私の家に、20歳にテレビがついて見始めたときに、大きな違和感が2つありました。

 一つは、人が話していることは、本当に思っていることじゃなかったんだということです。

 例えば、
・予定調和的なもの
何か質問されたときに、答えるべきことが決まっている

・相手の立場を配慮したうえでの話題の選び方
年上の人と年下の人との間では、年上の人が話すことを優先する
年下の人は年上の人が喜びそうな話しかしない

があって、今自分が思っていることをそのまま話すことは、普通の事じゃなかったんだという驚きがありました。今考えると、本音と建て前みたいなことが分からず20歳になっている自分にも怖さを感じますが(笑)

 もう一つが、人が大事にされていない場面が多くあったことです。

 例えば、
・ブスいじり
え、この扱われ方をされたら自分は嫌だなと思いました。今では、ブスいじりは良くないという風潮になりましたが、20年前はよくありました。

 他の例が思い浮かばないのですが、特定の番組においては、人が大事にされていない、自分がされたら嫌なことを人にする場面が至る所にあって、私の感覚とテレビの中の世界の感覚がずれていて、すごく違和感を覚えました。怖くて胸がざわざわするので、そういう番組が見れなかったです。もしかしたら、それはプロレスみたいなもので現実のコミュニケーションとそもそも同等に見ないのが普通なのかもしれません。そう思う方がいたら、コメントで教えてくださいませ。

 そんな風にテレビに対する、同世代の人と違う接し方と、そこから来る違和感というものが幼少期から青年期にかけての私の中にありました。

 その違和感がどうして起こり得たのか、成人期に見えてきたその原因について、私なりの考察を次回お話していけたらと思います。

 読んでいただき、ありがとうございました。

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