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自己紹介〜特殊な性格(HSP)の私について〜

はじめまして!こんにちは!教員のタマゴです。
今日は最近気づいた、私の本当の性格「HSP」について紹介したいと思います。私は将来学校の先生になることを目指して頑張っています。
しかし、「HSP」という性格は学校の先生としてやっていく上で困難が伴います。
この記事を通して、私とはどういう人なのか?「HSP」とは何か?を知ってもらい、私の決意と今後を見守ってもらいたい
です。
学校の現職の先生、教育関係者、同じHSPの方々、その他全員の方々、もしよかったら「今後の私について」と「メッセージ」だけでも読んでいただいて、「教員のタマゴ」を「スキ」で応援してくださると励みになります!
また、この記事が「HSP」の方への理解につながると嬉しいです!

まずは自己紹介から!

はじめましての方も多くいらっしゃると思いますので、まずは自己紹介をします!
私は、現在修士1年で来年度教員採用試験を受けて、中学か高校の理科の先生になることを夢見て日々頑張っています。毎日のように教職教養や専門の理科の勉強をしつつも、院生として研究に熱心に取り組み、学校ボランティアやキックボクシングなどの活動も行っています。ありがたいことに、毎日が充実した日々で楽しい時間を過ごしております!

私が学校の先生を目指してきた経緯

さて、そんな私ですが、今まで一度も「なぜ学校の先生を目指しているのか?」お話ししてきませんでした。そこから本題に入っていきましょう。

高校時代
私が学校の先生を目指しているのは非常に単純です。とても、ありがちなのですが、中学や高校時代にとても良い影響を受けた恩師がいるからです。どこに憧れたのかなど具体的なエピソードは今回はちょっと割愛します。私は、高校時代に憧れたその先生になりたいと思うと同時に、卒業時には、子供達の成長に携わることができる学校教員はとても「やりがい」のある仕事に感じていました。

大学時代
しかし、大学に入ると、知りたくなかった学校の先生のネガティブな情報が入ってきます。教育現場における「想像を絶する残業時間」・「多数の精神疾患」・「不登校やいじめをはじめとする学校の問題の多様化」などなどあらゆるネガティブな情報を知ることになります。そんな中、大学3年になる頃には、私の「学校の先生になりたい」という夢と期待に溢れていたポジティブな気持ちはネガティブな気持ちで塗り替えられていました。そして、大学3年生の後半には、ついに、「一般企業に就活しよう」とまで決意し、その一歩として「自己分析」を始めました。

「自己分析」の結果、見えてきたことは私は仕事に対して最も「やりがい」を求めていることがわかりました。私は生物専攻なので、一般企業に就職するとなると「食品業界」などが筆頭にあがります。しかし、私の価値観では自分で作った食品が人々を笑顔にするという間接的な喜びでは「やりがい」としてあまり認識できませんでした。そこで、専門に関係せずさまざまな業界についての就職を考えましたが、どの業界を考えても見えてくることはただ一つ「学校の先生のやりがいには到底及ばないな」ということでした。

また、「自己分析」を進める中で私の性格がだんだん明らかになってきます。私は「共感力」「計画力」「協調性」が高かったり、「神経質」「心配性」な一面があったりしました。

結局、一般的な「自己分析」をなんとなく終えてしまいました。その結果、自分の強みがどう生きるかは分からないけど、ただただ「学校の先生として子供達の元気で明るい成長に携わっていたい」という気持ちだけが残りました。

その時点で、就活をやめ、学校の先生になる最後の決意をしました。そして、高校の先生になるならばもう少し専門性を高めたいと思い、院に進み現在に至ります。

大学院
「学校の先生になるんだ!」と最終的な決意を決めて、教員採用試験の学習や学校ボランティアを始め、非常に楽しさや充実感を得ることができています。現在は少しずつ学校の先生としての自覚が高まっている段階です。

ここで考えてもらいたいのですが、私は、大切なことを確認しないまま大学院の日々を過ごしてしまっています。それはなんでしょうか?

それは「自己分析」による裏付けです。これまでの経緯からもお分かりいただけると思いますが、私は「そもそも学校の先生に向いているのか」ということや、「性格や強みが学校の先生に生かされるのか」について深く考えていませんでした。これは中途半端に「自己分析」を終えて、「やりがい」だけを重視して学校の先生になると決意してしまったがためです。なんとなく、「やりがい」や「憧れ」を感じているのだから、自分なら学校の先生ができるはずだという謎の自信がありました。これは非常に危険な状態です。

最近、意外なことから私の本当の性格が見えてきた

「自己分析」を中途半端に終えた私は、大まかな自分の性格や強みについて理解しました。私は「共感力」「計画力」「協調性」「承認欲求」が高かったり、「神経質」「心配性」な一面があったりします。でも、これは市販されている自己分析用の本を買って受動的に過去を言語化して得られた結果です。そこにはどうしても納得しきれない自分がいて、本当の自分とは何か?いまいちピンときていませんでした。

ところが最近、あることをきっかけに本当の自分の姿が見えてきました。

それは「音」です。

「音とは????」と思われるでしょう。

私は、大学生の頃からマンションで一人暮らしをしています。一人暮らしでは、自分の時間を自由に過ごせて、一人の時間を作れるので非常に満足していました。しかし、始めた時からずっと一つだけ気になるところがありました。

それが「音」です。どうしても、隣に住んでいる人や上に住んでいる人の「音」が気になります。「足音」「扉を閉める音」「友人を呼んで飲み会らしきことをしている音」「ゲームをしている音」などです。そしてこの音へ不快感は家にいるときだけではありません。大学の研究室にいても、学校ボランティアをしているときでも、公共交通機関を利用しているときでも、いつも「音」が気になってしまい、環境が許す限り、耳栓をしています。

しかし、別に耳がいいわけではないのです。聴覚検査によると私は一般より少し聴覚が悪い方でした。「ではなぜ音に敏感に反応するのでしょうか?」それがずっと、謎でした。

ストレスなく過ごしたいなと最近ふと思った私は「音 気になる」とgoogleで検索しました。するとある気になる記事がヒットしました。

音や光がすごく気になる……過敏なあなたは「HSP」かもhttps://www.saiseikai.or.jp/medical/column/hsp/

というホームページが出てきました。
「HSPってなによ?聞いたことないよ。もしかして私って実は自覚がないだけで、何らかの障害を持っていたのか?」と思って「HSP」について検索してみました。

HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー)」と呼ばれています。
HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、即生まれ持った性質であることがわかっています。
統計的には人口の15%~20%。5人に1人があてはまる『性質』であり、稀ではありませんが、裏を返せば、約8割の人はこの性質にはあてはまらないため、HSPの特性は共感を得ることが難しく、HSPでない人たちとの差に自己嫌悪を感じることや、まわりに合わせようと無理をして生きづらさを感じやすくなる性質といえます。http://www.madreclinic.jp/pm-top/pm-symptom/pm-symptom-22/

HSPはとりあえず、5人に1人が当てはまること読んで一安心します。そして一般的なHSPの特徴を検索していると「これ、私のまんまじゃん。。。」と思う傾向がたくさん書かれていました。私はHSPの中でもその傾向性が特に強いタイプだと思います。その証拠として、HSPの一般的な傾向と私のエピソードをご紹介しましょう。

HSPの一般的な傾向と私のエピソード

1. HSPは場や人の空気を深く読み取る能力に長けている
私は、何か話し合うときに、自分の意見をなかなか言えない性格です。自分が意見を持っていないというわけではありません。自分の意見を言うことで、「相手はどんな反応をするのか?」「話の流れ的に私の意見を今言うのは不適切ではないか?」「鋭い質問で相手に迷惑になってしまうのではないか?」などなど様々なことが頭に入ってきて混乱してしまうからです。必要以上に場や人の空気を考え込み、自分の意見が言えないことが多いです。

2. 過剰な刺激を受けやすい
私は様々な刺激にいつも悩まされています。例をいくつかあげてみます。
「音」は最も苦手であり、耳栓をしないとまず眠ることができません
「匂い」もとても苦手で、香水をつけている人が近くにいると頭が痛くなるためいつも距離を置いてしまいます。
「触覚」にも敏感で、下着の着心地が悪いと気になってなにも手につかなくなります。
「光」にも敏感で、ちょっとでも明るいと眠ることができません
「雰囲気」にも敏感で、普段と違う状態だとすぐに緊張してしまいます。例えば、旅行先では緊張してしまい、確実に便秘になり、夜眠れなくなります。
「天候」にも敏感で、その日の気分が天候に大きく左右されるだけではなく、どんよりした天気だと、頭痛やだるさなどの症状が現れます。
「カフェイン」が苦手で、エナジードリンクコーヒーを少しでも飲んだその日には全く眠れなくなります
ほかにも様々な刺激に必要以上に反応してしまい、日々ストレスの多い生活を送っています。

3. 共感しやすい
私は小さい頃から感情移入が激しいタイプでした。
幼稚園や小学生の頃
よく落とし物を見て悲しくなり泣いていました。特にぬいぐるみなどが落ちていると毎回、心を痛めて号泣していました。「落としてしまった人がぬいぐるみを可愛がって大切にしていた姿」を想像すると泣かずにはいられなかったのです。

中学生の頃
流石に落とし物を見て泣くことは無くなりましたが、友人の悩みや喜びに必要以上に共感していました。例えば、ある友人が恋人と別れた話を私に一番に相談しにきてくれて、私はその友人が恋人のことを本当に大切に思っていたことを知っていたので、途中から私だけが号泣していて、どっちが別れた人なのか分からない不可思議な状況になっていました。

高校生・大学生
赤の他人への感情移入が激しくなります。ドラマや映画を見ていると、主人公にいいことがあるととっても嬉しくなり自分も喜びます。一方で、悲しいことや感動することがあると、いつも号泣してしまいます。恋人と映画を見に行って、自分だけが号泣していてとても恥ずかしかったこともよくありました。
また、学校ボランティアでは、子供達の中には貧困が故に学校で必要なものが買えなかったり、子供の面倒がしっかり見てあげられていない家庭が事実として多くあることを知り、とても心を痛め悲しくなります。「もしも自分が小学生の頃、そのような環境だったら」ということを永遠考えて、子供達のちょっとした寂しそうな顔を見ると、少し涙が目に浮かんでしまいます。一方で、子供達の成長にはとっても嬉しくなります。子供達ができなかったことを一つ一つ克服するたびに、一緒になってとても嬉しくなります。ある日「先生の方がなんで喜んでるの笑?」と聞かれたこともあります。
このように、特に「喜怒哀楽」の「喜」「哀」への感情移入が激しいタイプでした。

4. 心の境界線が薄い・脆い
「3.の共感性が高い」ことが原因で、相手に対して過剰に同調したり、相手の気分や考えにとても引っ張られてしまいます。

5. 疲れやすい
「1. HSPは場や人の空気を深く読み取る能力に長けている〜4. 心の境界線が薄い・脆い」ことが原因でいつも夕方家に帰った頃には精神的にクタクタになってしまいます。一人の時間があまり取れないと、おそらく精神疾患になるだろうなと予感しています。事実、中学生の頃には病名は言えませんが、軽い精神疾患になったことがありました。今思い返せば、HSPが原因だったのかも知れません。

6. 自己否定が強い
私はとても誰かからの「承認」に飢えています。これは自己分析では、親からの養育態度に起因すると考えていました。私の親はいつも私の能力や成績などを自分より優れている他人と比較して、私に文句を言っていました。褒められた記憶は全くありません。だから、自己否定の傾向が私は強く、「誰かに承認されたい」という思いから、「人に直接役立つ仕事がしたい」と思うようになり、「やりがい」のある学校の先生になりたいと思うようになったと分析していました。しかし、今HSPという性格傾向を知って環境云々よりもそもそも先天的に自己否定傾向にあったのだと思うようになります。

例えば、何か失敗が起こったときはいつも自分のせいだと決めつけていました。周りの状況や相手の感情に左右されやすいが故に、相手が悪いのではなく、自分が悪いのだと自然と思っていました。その度に、「もっとこうすればよかったな」と反省していました。

このように一般的なHSPの特性に私の性格はぴったり当てはまってしまいます。ほかにもHSP診断なるものを複数しましたが、「重度のHSP」と診断されました。

今までは、HSPという言葉を知らなかったので、上のことは当たり前にみんなが感じていて、当たり前にみんながそれを我慢して乗り越えてきているという意識でいました。今、私はそういう性格で一つの個性としてそのような特殊な傾向があるということを知れてほっとしています。

さて、中途半端な「自己分析」結果として、私は「共感力」「計画力」「協調性」「承認欲求」が高かったり、「神経質」「心配性」な一面があることを知ったわけですが、これも全てHSPで説明がつきます。「共感力」は言わずもがなです。「計画力」に関しては、上記のHSPの傾向にはあげていませんが、HSPには「一度に多くのことをこなすことがとても苦手でストレスに感じてしまうという特性」があり、それを回避するためにいつも計画を立てるうちに自然と身についたものです。「協調性」の高さは、「共感力」「場や人の空気を深く読み取る能力に長けている」ことに起因します。「承認欲求」はHSP特有の自己否定の強さに起因します。「神経質」はHSPの「過剰な刺激を受け取りやすい」ことに起因します。「心配性」自己否定が強く、いつも刺激や結果を恐れていることに起因します。こういうわけで、中途半端だと思っていた「自己分析」は実は的を得ていたことを知りました。

そして、「自己分析」の段階では私の性格について実感の伴った理解ができていなかったのですが、今では驚くほど自分の性格の特徴はHSPによって説明がつくので、しっくりきています。

HSPの私に学校の先生は無理!?

さて、私の性格傾向はHSPそのものであることが理解できたわけですが、ある不安が襲ってきます。

それは「HSPの私が学校の先生なんてできるのか?」ということです。

そもそもHSPは多くの職種でストレスを感じやすいとされています。
「人よりも常に強いアンテナを自分の周りに張り巡らせた状態をずっと維持している」のがHSPなので、「忙しい環境」「変化が激しい環境」「人との関わりが多い環境」は「刺激」が強すぎてストレスを抱えてしまうのです。

そんなHSPが向いている仕事を少し調べてみました。

HSPが向いている仕事
人の心や体の悩みを癒す仕事
植物や動物に触れる仕事
正確さが求められるITエンジニア
静かな環境で仕事ができるWEB系職種
感性を活かせるクリエイティブ系
人との関わりが少ない仕事

https://career-picks.com/resolve/hsp-shigoto/

このように、「ゆったりとした環境」「人との関わりが少ない環境」といった「刺激」の少ない環境がHSPの人に向いている職種となります。

さて、当然のことながら「学校の先生」は向いている職種とされていません。なぜなら、学校にはあまりにも多くの「刺激」があるからです。学校という環境は、そもそもHSPではない人であっても、その大量の「刺激」に悩まされることでしょう。それは学校の先生のうつ病などの精神疾患が問題視されていることからも明白です。

そんな危険な場所に飛び込むことに現在の私はかなり不安を覚えています。今までも、学校の先生は激務だし、精神的に辛いことはたくさんあることは理解はしていましたが、HSPであると確信している今、あえて、そんな環境に飛び込むことに対してとても恐怖に感じています。

「私は、学校の先生に向いていないのかも知れません・・・・・・・。」

私の中に生まれた新たな可能性

HSPの私には学校の先生は、とても辛い仕事となることは容易に想像できます。ほぼ間違いないでしょう。

それでも、学校の先生が向いていないわけではないと思います。
それはHSPは私の強みでもあるのではないかと思っているからです。

HSPの長所には以下のようなものがあります。

HSPの長所
共感力が高く、人の痛みがわかる
思いやりがあり、気配りができる
「人を助けたい」「役に立ちたい」との感情が強い
細かいところに気付く
こつこつ努力する
記憶力がいい
感受性や想像力が豊かでクリエイティブ
共感力が高く、人に配慮ができる
心配性(先のリスクを想像し、対策を考える)
空気を読む力、察する能力が高い
丁寧に仕事をする
誰とでも平等に接することが出来る

https://career-picks.com/resolve/hsp-shigoto/

過去の経験から振り返ると、これらの長所は「私の長所」と自信をもって言えます。
これらの長所は学校の先生として大いに生かすことのできるものではないでしょうか?

「共感力が高く、人の痛みがわかる」ので、信頼関係が築きやすいです。生徒の立場になって考えて欲しいのですが、「ちょっとした自分の頑張りを一緒になってとても喜び、自分の傷ついた出来事を一緒になってとても傷つく先生」がいたらどう思いますか?私は、その先生にとても信頼を寄せると思います。

「思いやりがあり、気配りができる」ので、本心から道徳の指導ができます。中には学習指導要領にあるから先生が心から思っていなくても道徳的指導をするというような人もいるらしいのですが、私の場合は必要以上に思いやりを発揮し、気配りをしてしまうので、本心で道徳の指導ができると思います。

「細かいところに気づく」ので、生徒のちょっとした表情の変化から、その日の気分であったり、授業の理解などを把握することができると思います。それだけではなく、ちょっとした生徒の言動からいじめや不登校の初期症状を把握することができるかもしれません。

「誰とでも平等に接することができる」ので、特定の生徒をひいきしたり、特定の生徒に冷たく指導したりするということを絶対にしないと思います。自分は空気が必要以上に読め、先生の表情を常に気にして行動していたので、先生からひいきされる傾向にありましたが、そういったひいきはあまりよく思っていませんでした。

「丁寧に仕事をする」ので、自分勝手な場当たり的な生徒指導・学習指導ではなく、児童中心主義にたった計画的な指導をすると思います。HSPであるが故に、完璧主義である自分は丁寧な指導をいつでも徹底すると思います。しかし、これが原因で身体を壊しかねないことを危惧しています。

そして、何よりも感受性が高すぎるが故に、困っている人に対して自分ごとのように感情移入をし、「人を助けたい」「人の役に立ちたい」と常に思っています。

そのため、学校の先生は私にとって非常に「やりがい」の感じられる仕事です。大学生の学部時代は、フィーリングの自己分析から「やりがい」の感じられる学校の先生になりたいと決意しましたが、今では、なぜここまで「やりがい」を求めて学校の先生になりたかったのかしっかり理解できたと思います。

これらのように、HSPだからできる指導というものがたくさんあると思っていますし、何よりHSPだからこそ学校の先生に大きく「やりがい」を感じることができると思っております。だから、私は「学校の先生に向いていない」ということではないと思います。

今後の私について

HSPであると知った以上、学校の先生を目指すのは、、、、、、

「諦めるわけありません!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

確かに、HSPである私が、学校の先生になることはリスクを伴うものだと思います。特に、自分の身体を壊すリスクは普通の先生よりも大きいことを認識しておかねばなりません。

一方で、HSPである私だからこそ、学校の先生になることで子供達のより良い成長を支援できることがたくさんあると思います。特に生徒指導などで私の性格は大いに力を発揮できると思います。

そして何より、HSPである私だからこそ、学校の先生に非常に「やりがい」を感じることができると思います。現在、月曜日から日曜日まで研究室に缶詰になっているとっても忙しい生活が続いています。そんな状況であっても、週一の学校ボランティアが憂鬱になることは全くありません。どんなに忙しくても、自分の時間を犠牲にしてでも、「子供達の笑顔」を見たり、「子供達の成長」を見たりすると、自分も一緒になって笑顔になれるし、とっても嬉しくなります。こんなに楽しい時間はありません。もちろん、楽しいだけではなく、知りたくなかった家庭環境など多くのネガティブな側面も見えてきます。それでも、学校の先生は間違いなく私に大きな「やりがい」を与えてくれる職業だと言えます。

HSPの私にとって学校の先生は「天職」ではないでしょう。それはリスクが大きいからです。しかし、ポジティブに考えましょう。学校の先生になる前に、リスクがあることを把握できたのはとてもいいことです。なぜならまだ対策を考える時間がたくさんあるからです。


メッセージ


HSPは病気ではなく、ただの先天的な性格傾向です。


HSPは治らないと言われています。


私は、HSPに一生付き合っていくしかありません。


でも、HSPは私の欠点ではありません。


HSPは私の特性であり、個性です。


必ずしもHSPが私にとってよく働くわけではないですが、うまくHSPと付き合って、「充実した良い教師人生」を歩みたいと思います。


応援してくださる方はよかったら「スキ」を押していただけると、

励みになります!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

これからもお互い頑張りましょう!!!!!!!!!!!!!!!

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