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誰もが大して大事にされていない社会

こんにちは!

日本で起きてるさまざまな諸問題、いじめやブラック企業、外国人の労働者問題などを見ているにつけ、「誰もが大して大事にされてない社会」なんだなぁ、と思うことがあります。

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えらい人だろうが、今楽しそうにしている人だろうが、実はあまり大事にしてもらえない。

女性がやたらと若さを求められるその一方で、男性だって稼ぎがないと突然冷たくされたりします。女性は年をとるごとに絶望でしょうし、家計を支えている男性はおちおち病気にもなれません。

働いている夫を平気で「ATM」とか「粗大ゴミ」と言う奥さんもいます。企業の偉い人も、退職した途端にただの人になり「濡れ落ち葉」とか呼ばれたりします。

原因を考えるに、根本に「人を外見やレッテルで判断する人が多い」というのがあるんじゃないかな。これじゃ人間不信にもなってしまう。

レッテルで人を評価する社会

たまに東京に行くと、「正社員でバリバリ働いている人だけが偉い!」みたいな謎な価値観があることに気づきます。

電車の中でも「俺は金稼いで疲れてるんだ! お前らとは違うんだ」みたいな顔した人が、優先席で寝てたりします(実際疲れてるんだと思いますけどね)。昔はよく「誰の稼ぎで暮らしてると思ってるんだ!」って人がいましたよね・・。

あらゆる面で上下関係のレッテル付けがあります。

大企業の方が中小企業より偉い
医者の方が公務員より偉い
東大の方が京大より偉い

マレーシアにいる日本人同士でも、「何年いるの」「旦那さんどこにお勤め」「正社員? 現地採用?」などと始まります。「どっちが上」「どっちが下」にこだわる。いつもいつも他人と自分を比べる。格付け続けて、人を肩書きで判断してしまう。

とは言っても、全く外見や肩書きを見ない人なんていないでしょ、と思われるかもしれません。その通りですが、流石に度が過ぎると人間不信になりそうです。

日本人と話してるとたまに「あーあの学校はレベルが低い」とか「あの人は底辺の仕事してるから」「あのこは障害があるから」みたいにさらっと言う人が出てきて、これが実にキツイ。

肩書きは永遠ではない

まず、肩書き、永遠ではありませんからね。
ラベルが剥がれ落ちた途端に、誰でも転落する。
人格とは無関係の評価なのです。

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