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美沙がパラリンアーティスト、と名乗る理由。

早いもので、
美沙がパラリンアート世界大会にて
準グランプリを取ってから
1年たとうとしている。

「自由に」


ここまで語ってこなかったけど。

今日はパラリンアートについて。

まず、パラリンアートとは・・・
障がい者アーティストと
ひとつのチームになり、
社会保障費に依存せず、
民間企業・個人の継続協力で
障がい者⽀援を継続できる
社会貢献型事業を⾏います。

それをアートで行うということ。


”障がい者手帳の写し” 又は
”障がいを証する医師の診断書の写し”を
持っているかどうか。

パラリンアート作家支援活動契約を読み
理解できたかどうか。

事務局からの連絡に
著作者本人での対応は可能かどうか。

そんな条件がクリア出来たら
アーティストとして登録できる。

で、それをクリアして
現在に至る。

条件に合う方が
いらっしゃったら
↑のページで
アーティスト登録
してみてくださいね。

お子さんでも大丈夫ですよ。

アーティスト登録をしたおかげさまで
美沙自身が
世界を大きく広げるきっかけを
たくさんいただいている。

たとえば・・・

田中希実選手が着用してる
ニューバランスのロンTは
美沙がデザインしたものです。

建築現場の仮囲いに
美沙の絵「個性」が
採用されています。

その結果・・・
こうなって

パラリンアート理事である中山秀征さんと「シューイチ」ポーズ
ここまではテレビに映るという想定内。
翌週何の気なしにテレビつけたらどーん。
どどーん。
その日の夜に。えええー驚
中山秀征さんのインスタよりお借りしています

そのお陰様で
自費出版した「かなわね」が
3刷からすぐに4刷へと。

なかなか個人で
それはできなかったわけで。

そこは本当に感謝なのです。

そしてその流れで
現在こうなっている。

他にももろもろ、
ありがたいことに、
何社もの会社様に
パラリンアートを通じて
あれこれ採用して
いただいている絵がある。

この前もある企業様に
採用していただき
それが時期に商品化される予定。

でも・・・
そんな「障がい」という言葉と
自分で生計を立てられてるということで
果たして自分はパラリンアーティストと
名乗っていいのか???

そんなラビリンスに突入。

障がい者枠とはいえ、
きちんと評価していただいて
就職しているという現状。

そこは自分で手に入れた。

だけど。

・・・そんなラビリンスの大本は
おそらく今「環境」が
めちゃくちゃ整っているから。
も大きいんでないかなぁ。

もちろん困ることはあるけど。
忘れ物したり、
置いたものがどこに
行っちゃったんだか
分からなくなってる現状はあるけど。

作業の説明も、
まぁなんとかしてくれている
・・・生徒さんたちが、 だろうな。

フォローしてくださってる
ペアの先生、上司もいて。
さらに理解いただいている
会社があって。

会社の先生方がみんな優しい。

事務的な作業でも
だいぶ軽減して
いただいているからね。

だけど・・・
これがいわゆる
オフィスワークとなった時。

破綻するだろうな。

ってほどに
それは目に見えて
アウトな状況は
みていてわかる。

ほんと、今の仕事についていること
この上ない奇跡であり幸せ、
そう見えるのだ。

ただ。
ネットニュースに上がった時
「障害ってわざわざ
 言わなくてもいいのにね」って
コメントがあり。

はいっ!
それなー笑

ま、私もね、
美沙がこうなる前、
なんならまだまだ小さい頃。

そう思ったよね。

障害なんて関係ないじゃん。
なんでわざわざ障害って
だすんだろうねって。

でも。
出して正解。

【そんな診断名に対して
恐れることなんてないよ。

この子の人生
そんな診断名がついたら
どうなるんだろう
・・・
どうなるんだろうね。

それは誰にもわからないよ。

たとえその診断名を
もらっている人が
何か怖いことを
やったとしても。

はたまた
人を感動させる
何かをやったとしても。

それは診断名が
何かするでも
何かさせているでもなく
いろんなものが合わさった
複雑なもので、
簡単には、そうだよ!
発達障害があるからだよねって
なんの事情も知らない人が
言えるもので
できているものでもないから。】

↓より。


社会に出て
困ることはたくさんある。

でも、
全く困らず
パーフェクトに
それをできる人なんて
まずいないよね。

目に見えて分かりずらいからこそ。
自分の努力では、
どうにもならないからこそ。

この部分本当に困ってるんです。
=それが私の脳の特性であり
「障害」と名づけることでそれを
安心して伝えられること。

どうしたら一緒に頑張れるかなって
何かいい工夫はないかなって
一緒に考えてもらえること
のような気がしてる。

そこにそれをみる人の
優しさ前提なものがある。

ま、優しさも人それぞれ。

これが私の「優しさ」の基準です。

といえたら
また世界は変わるんじゃないかな、
とかね。

みんな、それぞれに持ってるものを
持ち寄れたら
いいんじゃないかな、
と思うの。

そんなための目印であり旗印、なんだ。

できるできない、
そこじゃないんだよー。
ってさ。

そこで起こることこそ
the⭐︎人間だもの。
なんじゃないのかな。

っておいおい。
話がずれとりますけども。

発達障害という視点を
障害という視点ではなく
適材適所という視点で見てみると
障害ってなんなんだろう・・・
ということになるのよね。

私はね。

だからこそ。

美沙にとっての
「診断名」は
目印であり旗印なんだなと。

だから
「発達障害」という視点は
今の世の中を変える力がある。
教育という視点を
改めて変える力がある。
とすら思うのよね。

それ、本当にそう見えるの?

なぜそれができるようになることを
その人に求めるの?

本当に今それできなきゃだめなの?

【発達障害】って言葉から
あなたは何を見てる?

まずはそこから。

っていう意味で
美沙がパラリンアーティストと
名乗っている意味はある・・・
と、私は思ったりするのです。

美沙がその中で
ラビリンスを存分に
味わうことで
また彼女の絵の世界に
それは繋がっていくのだ。

それはある意味成長、ね。

だから我が家での
発達障害のお悩みって
美沙が美沙として生きていく
フツーのお悩みだったりします。

障害だから、
ではなく、
じゃ、どうしたら
そこはクリアにできるかな・・・
を一緒に考える。

美沙にとってのそれは
障害だから、ではなく
持って生まれたものが
たまたまその環境だと
美沙らしさを
発揮できないね、なのだ。

まぁほんと、
そこに辿り着くには
それなりの紆余曲折がなきゃね、
なんだよね。

そーんな簡単に
発達障害だから、で
割り切れたら
見えない世界なんだよね。

発達障害という視点が
あってよかったーーーー笑
(大橋美沙バージョン、ね)

ってな話を
今度ある小学校で
先生方と対話します。

そうそうこれこれ。
私のやりたかったこと!

結論。
そんなわけで
美沙がパラリンアーティストとして
どんな絵を描いてもいいし
どんな活動をしてもいい。

パラリンアーティストとして
自分はどうありたいか。

それは美沙が決めればいい。

私はただひたすらに
美沙がどうあっても
いいねいいねって
言い続けるだけでいい笑

そこに
この子はこの絵があるから
この絵で食べていけるから・・・
発達障害だからできる、
そんな才能だから・・・

って親として
その描き出す絵にすがる

っていう思いを
一切手放せているのも
これまた母としては
紆余曲折でしたのよ。
おほほほほ笑笑

親バカの原点はそこにある。

またそんな話もそのうちに。

ちなみに今年は
パラリンアート世界大会は
ホテルの絵がまだまだ仕上がらずで
残念ながら不参加となりました。

全てホテルの部屋の一室の壁面に描かれているものです。


これだけパワー注入していれば
なかなか他に手が回らないのも
致し方なし。

でも、仕事と両立させて
ここまでやってるのは
なかなかすごいなと思うし、
なかなかできない経験だよねぇ。

これぞパラリンアーティストとしての
特権かもしれない。

美沙という1人の女性の
さらなる成長期、
なんだろうな。

ま、付いてる名前が
大事なんかじゃなく、
その名前を持って
何をするかが
大事ってこと、
なんだろうな。

みてる向こうに惑わされず、
自分がみたいものを見るを体現する。
だろ?

って、ホテルの作業中に
履いてるズボンが
そう言ってる笑


今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございます。


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