深夜の旅立ち

深夜2時、日付が変わって2010年7月24日。

震える声で父の病室に付き添っていた妹から電話が来た。

「もう危ないって今すぐ来てくれない?」

妹のすすり泣く声、血の気が引くのと同時に、私は震える手をぐっと堪えて、母と妹の旦那さんを起こして、甥っ子と娘を抱いて車に乗った。

気仙沼市立病院に着く。病院は高台の上にあり、駐車場は下にあった。私と母は病院前に降ろしてもらって、甥っ子と妹の旦那さんは下の駐車場に止めに行った。

病室に急ぐ私と母がその時なにか会話をしていたのか思い出せない。

病室について、目に入ったのは泣いている妹と息を引き取った父だった。

「お父さん!!!!」

自分でもびっくりするくらいの声が出て、お父さんお父さんと呼びながら泣き崩れた。叫ぶような、もう「お父さん」と口にすることは自分にないのを、ここで出し切るかのように。

しくしく泣いていた妹は、後で「お姉ちゃんがあまりにもお父さんお父さん言って泣くから、それが苦しくて余計泣けたよ」と言っていた。

自分でもこんな取り乱すような泣き方をするとは思ってなかった。

あまりしっかりと覚えてないが、母は茫然と立ち尽くしていて、涙も出ないようだった。

少しして、妹の旦那さんと無邪気な甥っ子が病室に入ってきて、私と妹は正気を取り戻した。私も妹も、息子と娘がいることで「自分は母親である」ということが心を強く保てたのかもしれない。突然の父との別れで、悲しむ姉妹というのと同時に幼い子供の母親だったから。

病院側はシビアだ。「霊安室がないので朝までに家に連れて帰るように」と言われた。ドラマだったら次のシーンは泣きながら、でも綺麗に喪服に着替えてお通夜かお葬式なんだけど、現実はそうもいかない。この時、私は27歳、妹は23歳、お互いの夫は2人とも他県出身だった。私の夫はまだ気仙沼に来たこともない。母はもうぬけがら状態。心臓が潰れそうに悲しくて、ふとした瞬間にまた泣き崩れてしまいそうになりながらも、なんとか私が動かなければ!という状況だった。

無知な私は「どうやって死んだ父親を家に連れて帰るの?車に乗せられるの?」というところからだった。今思えば、少し考えればわかるだろうに…きっと看護師さんは呆れたろうな。

祖母と一緒に暮らしている母の弟、通称おんちゃん(おじちゃんの方言かな?)にまず電話して、相談した。気仙沼の葬儀屋なんて知らないし、葬儀屋がどんなことをしてくれるのか、何を用意して何を準備すればいいのかもわからない。父の意図する葬儀なんて聞いたこともない。とにかくここは田舎なのだから親戚と近所に不審がられないごくごく普通の葬儀をすればいいのだ。と、おんちゃんに言われたので葬儀屋などの手配は任せることにした。

妹の旦那さんの車で、家に帰る途中 旦那さんがおもむろに話し始めた。

「車を駐車場に止めて 息子とゆっくり病院の坂を登ってる時、急に息子が立ち止まって真っ黒な空を指さして じいじ!って言ったんだよ。その時はまだ亡くなってるって知らなかったから、は?どうした急に?って言いながら流しちゃったけど、あれはもしかして息子に見えてたのかな。」

妹と私は「マジで?鳥肌立ったわ!」「本当に~?」とか言って、堪えようとしてたけど、結局 「お父さんだったのかな…」と悲しみが深くなってしまって また二人で泣いた。


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