私の父

私の父は昭和12年、樺太生まれ。終戦後慌てて日本に船で逃げてきたらしい。

3隻あった船は、2隻ロシアに沈められたらしい。唯一残った船に8歳の父が乗っていた。

その後、北海道で育つ。時々父の小さい頃の話を聞いた覚えがあるが、あまり多くは語らない人なので、何か質問してそれに少し曖昧に答えてくれてたような記憶がある。

私の一番古い記憶は北海道の中標津町の幼稚園に通っていたところからだ。私が4歳の頃に妹が誕生する。妹が生まれたので、私もこの北海道で生まれたのだと思っていたし、そう周りにも言ってたと思うが、私は北海道生まれではなかった。(その話もまた別な機会に…)

父は全く怒らない人だった。顔は昔のドラマの「裸の大将」を演じていた芦屋雁之助と歌手の三波春夫を足したようだった。(今は知っている人いないだろうな…昔はこれで大分通じたんだけど)

小柄で、私より小さいので160センチはなかったと思う。

私は昭和57年生まれ。昭和12年生まれの父は、私の同級生から見るとおじいちゃんに間違えられてしまうくらいの年だ。実際友達のおじいちゃんとタメだったりした。なので、妹からしたらもっとおじいちゃんだったろうな。母は父の16歳年下なので、母は同級生のママたちと特に変わらなく、高齢夫婦というわけではなかったのであまり気にならなくて、行事に参加する父を嫌だななどとは思ったことがなかった。

父は家族で出かける時、何故か歩道の反対側を歩いていたり、常に離れて歩いていることが多かった。私や妹の学芸会を見に来た時も、母の席から離れて端っこで見ていたり…。そしていつも持ち歩いている手帳には分刻みの予定が書きこんであり、その隣には「済」とチェックまで書かれていた。さらに過去の写真が1枚もない。全く写真がない。父に親しい友人はいないし、過去を知る親戚も近くにはいなかった。

そのことから父は私の友達の間では「ロシアのスパイ」と言われていた。ネタに尽きない父を私は面白可笑しく思っていた。

大人になってから知るのだが、父は×2で母とは3度目の結婚だった。父は寡黙で真面目に働く国家公務員。残業もなく、一人家に帰るのだから、行く先はスナックしかない。前妻2人とも飲み屋さんの女性で、今でいうシングルマザー。ある日突然、父が給料をもらおうとすると「もう奥さんに渡した」と告げられる。なんと酔っている父は、スナックの女性に勝手に婚姻届けを出されてしまっていたというのだ。それって詐欺なのでは…??と思うが、そこから揉めに揉めて離婚したらしい。それがなんと2回も続くのだ。

さすがに2回も女性に騙され、お金も取られ(借金もさせられてしまっている)人間不信で死にたくなっていたところ母と出会うのであった。が、これは偶然出会ったのではない。母は父の遠い親戚なのだ。

この遠い親戚にあたるというのがよくわからず、私は中学生くらいの時に家系図を完成させようと試みるのだが、間に何度か戦争を挟んだり、兄弟が多かったりで結局よくわからなくなってしまった。簡単にいうと母方の祖父側の親戚のようだけど。

父の口癖は「母ちゃんは最高」「母ちゃんは素晴らしい」で、何故かよく「ワンダフルワンダフル」と言っていた。当時は何言ってんだろ?と幼い私は理解してなかったが、父の過去を知ると、それは本当に父の気持ちだったのだろう。

父は私や妹が何をしても、やらかしてしまっても叱責することはなく、「姉ちゃん(私)は大丈夫!」「姉ちゃんは素晴らしい」と言っていた。

私も妹も、清く正しく真面目に生きてきたかといえば、全然違うけれど…(人並に思春期反抗期を爆発させたりもしてきたもので…)根本的な良心や自己肯定感は真面目だけれど大胆で、前向きで自由な父と母に育てられたから培われたものだと思う。

母を大事に思っていた父は、今うつ病に苦しむ母をどう見てるのかな。空から見守ってくれているのなら、助けてほしい!私はどうしたらいいのか教えてほしい!と時々思わざるを得ない。








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