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「まだ結婚できない男」と結婚願望

好きだったドラマが13年ぶりに復活ということで楽しみにしていた阿部寛主演の「結婚できない男」の続編「まだ結婚できない男」

相変わらずのキャラクターで面白可笑しく見てるのだけれど

ネットの記事で「結婚できない」「婚期を逃した」などの言葉が連発で辛い。とか、聞いてられない、痛い。とかいう視聴者の声があった。

13年前は、「おひとりさま」なるものが流行りだしてはいたものの、そんなに確立されていなかったように思う。きっと視聴者は阿部寛の役を変な面白い人と純粋に楽しんでいたのだろう。フィクションとして。

それが、今や晩婚、未婚率の高さは増え、年齢を重ねるにつれ世間からの目との闘いもあってこのドラマはノンフィクションのようだと視聴者の心が痛んでいるのかもしれない。

私は全く結婚願望がなく、ウエディングドレスへの憧れもなかった。妹が先に結婚しても焦る気持ちもなかった。むしろ、親に孫の顔を見せるという役割を果たしてくれたことの感謝しかなかった。

もし結婚してなくて、今の37歳になってたらどうだったろう?このドラマを心苦しく感じながら見ていただろうか。

甥っ子が可愛い過ぎて、溺愛していた時も、自分でも欲しいとは思ってなかったし。なんならこの可愛い甥っ子がいるなら自分にはいらないや!くらいに思っていたから…

ドラマの1話を母と見ていて「ひとりでご飯食べるなんて寂しいし味気ない」と母が言った。

「そうかな?あんな豪華なお肉をしゃぶしゃぶでゆっくり堪能できるわけだし、お肉の味は変わらないよ?」と言ったら、驚いた表情をしていた。

うつ病で悩み苦しむ母に「何か話されたときは否定せず肯定すること」と肝に銘じていたのにすぐ逆のことを言ってしまう…。それで度々母に怒られてしまうのだが…どうしても意見が合わないことが多くて…急いで取り繕うように「そうだね!ひとりでは味気ないか!!」と言ったけれど。

美味しいご飯は、どんな状況で食べても私は美味しい。きっと嫌いな人とでも「この空間は辛いが、味はうまいな~」とか心でつぶやきながら食べると思う。

映画と同じ。一人で見ても、友達と見ても、異性と見ても、良い映画は良いし、面白くない映画は面白くない。誰と見ても映画の価値は変わらない。そりゃ見た後にこうだったあーだったと友達と語り合いたいし、その時間はすごく楽しいものだけど。映画は映画。お肉はお肉。

結婚願望もなかったが、もっと遡ると彼氏が欲しいと思ったこともなかった。好きな人ができればその人と一緒にいたいとはもちろん思うが「ひとりでいるのが嫌だから彼氏が欲しい」ということはなかった。

クリスマスやお正月は家族や友達と過ごしたいし、バレンタインは大好物のチョコレートがいっぱい売られる日。夏は友達と遊びたいし、冬は忘年会に参加したい。異性と過ごさなければいけない日なんてなかった。友達が彼氏や彼女を優先してもなんとも思わないし。そうね、ならひとりで楽しむわ!みたいな。

何かの願望って必要な向上心の一つだと思うけれど、その分寂しさや心を締め付ける悲しみにもなるのかな。母はずっと父がいなくなった心の穴を埋められない。正直父と母は恋愛結婚ではないし、恋愛感情はなかったと思うけど、家族としての情が深かったのかな。それだけじゃない、自信の喪失だ。健康な家族を支え、体を作っているという自信、それを誇りとしていた人生を崩壊させた父の突然の病死。

結婚したいのにできない。心も体も健康だったあの頃に戻りたい。そんな願望が糧になって前向きに行動できるなら持っていていい。苦しくて悲しくて辛くて、ストレスに押し潰されそうなら、今の状態を受け入れることが必要なんだけどな。なんにも楽しみがないわけじゃないでしょ?ささやかでも自分が幸せと思える何かが全くないわけじゃないんだし。晴れた空、ほかほかご飯も幸せなのに…

「それができないから辛いんじゃん!!」と母に怒鳴られるけれど…

今回の「まだ結婚ができない男」は最終回どうなるのかな



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