ダメンズウォーカーという病

小学校から高校を卒業するまで、私は決してダメンズウォーカーではなかった。たいてい女子に一番人気のある男の子を好きになっていた。
初恋は小学一年生の時。相手は一つか二つ上のシュンちゃん。
「少年ジェット」ごっこをする時、シュンちゃんはいつだって少年ジェットで、私を悪者から救い出してくれた。
小学五年生の時、北海道から東京の小学校に転校した初日に一目惚れしてしまったのは、桜井君。今でもはっきりと顔を思い出すことができる。整った綺麗な顔で、すらりと背が高く、女子のほとんど全員が憧れていたと思う。クラス一の秀才でスポーツ万能。しかも彼は絶対にいじめには加わらなかった。そして小学生とは思えないほど大人びていた。彼は母子家庭で、美しいお姉さんと母親と三人暮らしだったので、そういう家庭環境が彼を老成させたのだろう。
中学の時の憧れの君は三郎君。途中で転校してしまったが、それから十七年くらい経ってから、偶然彼を知っている人に出会って彼の近況を知ることができた。彼は名門大学を卒業し、社会的に成功していると聞いて、「やっぱり!」と納得した。
そして高校生の時に大好きだったのはK君。桜井君とタイプがすごく似ていた。
ハンサムで、落ち着いていて、優しくて、欠点らしい欠点が見当たらない人。
彼は医者になり、娘が椎間板ヘルニアになった時、親身になって治療してくれた。
 つまり、私は十八までは、ちゃんと男を見る目があったのだ。しかし、残念なことに、本当に残念なことに、彼らは誰一人として私を特別に好きにはならなかった。十八歳まで一度たりとも「両想い」にはならなかったのだ。ただ憧れるだけの片想いで終わってしまった。
 

 高校を卒業して、やっと私にも恋の季節がやってきた。ダイエットに成功して十キロ以上痩せ、青春のシンボルのニキビも消えて肌が綺麗になり、日焼けもしなくなったので色白になった。そして何と言っても化粧の力は大きかった。
番茶も出花で、私は人生初のモテ期に入ったのだ。それまでは、小学五、六年の時、「スカンクガスパ」と呼ばれていた男の子に追いかけ回されたことくらいで「モテる」女の子ではなかった。
 だけど、せっかくモテ始めたというのに、私が選んだ男は絵に描いたようなダメンズばかりだった。最初に好きになったのは、自己中の浮気者。二人目は普段は優しいが、思い通りにならないと豹変して攻撃的になる超危険な男で、絶対この人、そのうち暴力をふるうようになるなと思ってとっとと逃げ出した。そして三人目の彼は「働かない、ブランド好き、浮気者、そして超マザコン」という男だった。彼の家に遊びに行った時、二階の彼の部屋で口喧嘩になったら、彼は突然階下に向かって「ママー!」と叫んだ。彼とは婚約までして結婚直前だったのに、彼が私の中学の同級生と浮気をして破局してしまった。
 三人に共通していたのは、全員長身のイケメンということだ。私は二十三歳にして男に懲りた。イケメンにも懲りた。
「この世に、容姿も性格もいい男性なんかいない。もしいたとしても、私なんか好きになってくれるはずはない。特にイケメンはダメ。天は二物を与えないのだから。優しくてイケメンじゃない男と結婚するのが一番幸せになれる」
 それが、二十三歳の私が出した結論だった。結局私は、三十直前で見合い結婚をするまで、一度も恋愛をしなかった。ボーイフレンドは何人もいて、デートもたくさんしたし、毎晩のように博多の歓楽街の中洲に繰り出して遊んだけれど、恋愛はしなかった。ダンスをする時に手を握る以外、キスの一つもしなかった。実にもったいないことをしたものだ。
 

 私が結婚相手に選んだ人は、容姿の点では「合格」だった。紅の豚にそっくりで、この人なら絶対モテないから浮気もしないだろうし、きっと私を大事にしてくれるに違いないと思った。タレ目なので、すごく優しそうに見えたのだ。
 ところがである。結婚式の直前になって、彼の「ボロ」が出始めた。披露宴会場のホテルで式の打ち合わせをしている最中に、私が貧血を起こして倒れた時のことだ。私を抱きかかえて別室に運んでくれたのも、介抱してくれたのも、優しい言葉をかけてくれたのも、ホテルの従業員だった。彼は何もせず、イライラとタバコを吸っていただけ。朦朧とした意識がやっとはっきりしてきた時も、「大丈夫ですか?」と気遣ってくれたのは従業員で、彼は「なんでこんな時に貧血なんか起こすんだよ」と言わんばかりの仏頂面でタバコを吸っていた。「大丈夫?」の一言もなかった。心に引っかかりながらも、私はそのことに蓋をして見ないようにした。あの出来事は彼の人格を象徴していたのに…。
 結婚して四十年。今思うのは、来世は夫と出会いたくないなあということ。出会ってもいいけれど、遠い親戚とか、友人の叔父さんとか、その辺で勘弁してもらいたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?