いじめ

「イジメ」という言葉を聞くと、いつも胸がざわつく。
いじめている側への怒りと、いじめられている側への憐憫だけでなく、小さな罪悪感と羞恥があるのだ。
 あれは私が小学校に入学したばかりの春のこと。放課後外に出ると、上級生が十人以上集まって騒いでいた。一生懸命背伸びをした視線の先に、しゃがみこんでいる女の子の姿が見えた。
「え〜ん、え〜ん」
 女の子は顔を覆って泣いていた。おそらく三年生か四年生だったと思う。その子を取り囲んで、みんなが「や〜いや〜い、貧乏人」「汚い」と、大声で悪口を言っていた。言葉だけじゃなく、石を投げつける子供も数人いた。
 今考えると、私は何とバカな子供だったのだろう。その状況が「一人の女の子をみんなが寄ってたかっていじめている」ということがピンとこなかったのだ。
みんなが「や〜いや〜い」と口々に言うので、私も多分「や〜い」くらいは言ったと思う。そこへ、痩せて顔色の悪いおばさんが走ってきた。着古した灰色の「アッパッパ」と呼ばれる簡単服を着て、引っ詰め髪に白いものが混じったその人は、泣きそうな顔で子供たち一人一人にこう言った。
「いじめないでね。いじめないでね。いじめないでね」
 ただそれだけを、何度も何度も言った。その子のお母さんか、もしかしたら祖母だったのかもしれない。おばさんは私の前にも来て、下がった眉の下の悲しげな瞳で私の目を見た。
「いじめないでね。いじめないでね」
 こうして書いている間も、もう涙が出てくる。六十年以上の時が流れても、あのおばさんの顔にかかったほつれ髪や、今にも泣きそうな顔がまざまざと浮かんでくるのだ。あのことを思い出すと、どこかがじくじくと痛む。
 私が子供の頃、日本はまだ貧しかった。生活保護を受けている子供がクラスに一人二人はいた。そして貧しさを理由にいじめられている子供も多かった。
 私が小学五年生の時、クラスに家が貧しい女の子がいて、いつも数人の女子に、着ている服のことでいじめられていた。その子はいつも見るからに粗末な古びた服を着ていたのだが、ある日、ピンク色の真新しいプリーツスカートをはいて登校した。そんなことは初めてだったので、クラス中の女の子が注目した。その子はとても誇らしげで、本当に嬉しそうだった。ところが、いつもその子をいじめている女子の一人が「ねえ、見て見て!」と言いながら、その子のセーターをめくったのだ。セーターの下のプリーツスカートは大人用で、その子は胸の上までスカートをたくし上げ、ウエストを紐で縛っていた。女の子は顔を真っ赤にしてセーターを下ろし、それを見てまた女子たちが大笑いした。そのスカートはおそらく母親の物だったのだろう。すぐに着られなくなる子供服など買ってもらえず、いつも誰かのお下がりを着ていたその子にとって、新品のスカートはどんなにか嬉しかったろうに。
 あの時のことを、きっと彼女は覚えているだろう。たった一度、新しい服を着て登校した晴れがましい気持ちが打ち砕かれた悔しさ、恥ずかしさは十一歳の子供にどれほど深い傷を残しただろうか。
 だけど、私がこれほど鮮明に覚えているということは、あの時あの教室にいた女子の何人かは、覚えているかもしれない。六十代になった彼女たちは、思い出した時に何を思うだろう。
 いじめを苦に、自ら命を絶ってしまう子がいる。ニュースで知るたびに言葉を失ってしまう。今、いじめられている子に言いたい。どうかどうか死なないで!なんとか生き延びて欲しい。死ぬくらいなら、学校は行かなくていいと思う。勉強は、あとでいくらでも取り返しがつく。
知人の息子はイジメが原因で不登校になったが、通信制の高校に行き、今ではコンピューター関係の仕事で成功して、富と名声を得ている。生き延びて幸せになることが、いじめた人間に対する一番の復讐だ。
私自身も、北海道から東京に引っ越した時、ひどいいじめにあった。だけど、卒業した後に、いじめていた子に道でばったり会うと、必ず向こうが目を伏せた。
 親は子の幸せを願うなら、教えなくてはならない。「イジメ」というものがいかに卑劣な行為であるか、恥ずべき行為であるかを。そしてその行為が将来マイナスの形で自分に返ってくるかもしれないということを。学校内のヒエラルキーなんか卒業したら何の意味もなくなることを。卒業後の長い人生で、イジメに加わった子は、いじめた子に会った時に、目を伏せなければならなくなることを。娘達が小学校に入学してから、私は何度となく言い聞かせた。
「絶対に友達をいじめてはいけない。傍観者になってもいけない。いじめられている子を見て知らん顔をしているのは、いじめているのと一緒。もし誰かをいじめていたら、大人になってその子に会った時、どんなに恥ずかしいか想像してごらん」
 次女は物静かな子だったが、誰かが理不尽にいじめられていると「そんなことしちゃいけないんだよ!」と叱りつけていたらしい。
長女が高校生の時、クラスに同級生を三人も不登校にさせたいじめっ子(女子)がいたのだが、長女はいじめられていた子をかばったことで、一時期標的にされた。
長女が成人した後にわかったことだが、そのいじめっ子が「好きで好きでたまらない」人の母親は、私の親友だった。自分が大好きな人の母と、自分がいじめた人の母が親友だということを知った時、彼女はどんな気持ちだっただろう。因果応報としか言いようがない。
 大人になってから娘が言ったことがある。
「誰かをいじめたことが一度もないというのが私の勲章」
晩春の空の下、「いじめないでね」と必死に言い続けていたおばさんの悲しげな瞳がまぶたの中にふっと浮かんだ。
 私はおばさんの切ない声を決して忘れることはない。
いじめないでね、いじめないでね、いじめないでね……。

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