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頬を伝う小さな涙

息子が通う事業所の生活発表会に夫と二人参戦してきた。
ここでいう事業所とは、発達障害をはじめとした様々な障害を抱えた子供たちを預かり発達支援等を行ってくれる施設のことだ。

我が息子、福太郎はダウン症をもって生まれてきた。
彼は週に3日保育園に通い、残りの2日は事業所に通っている。
今の時期全国的に「生活発表会」いわゆるお遊戯会のようなものが一斉に開催されているようで、我が事業所でもそれは同様だった。

去年保育園の運動会には参加したことがあったが生活発表会は初めてのため、我々夫婦は息子の晴れ舞台を非常に楽しみにしていた。
なに、別に息子が舞台の上で棒立ちになったとて、石のように座り込んだとて何の問題もない。
よそ様のお子さんたちの中にいる息子というものをこの目で見たいのだ。
福太郎は、突っ立っているだけで尊い。

保育園でもそうなのかもしれないが、子供たちを変に刺激しないようにとの事業所からのお達しを受け、当日親たちは忍のように声を発せず、音を立てず、猫背の忍び足でカサカサと所内の階段を上り舞台へ集まった。

カーテンで目隠しされた奥から子供らの声が聞こえる。
日常と同じように朝のお歌を歌い、手遊びをし子供たちの警戒心を解く先生方。

ゴクリを生唾を飲み込みカーテンの向こうへ熱い視線を送る親たち。

「福太郎、大丈夫かな」
小声で夫が呟く。
実は発表会の数日前から福太郎は夜泣きをするようになっていて情緒が不安定だった。
今朝も珍しく朝からぐずぐずと目に涙を浮かべており、福太郎に何か異変が起きていることは明らかだった。

まさか今日が発表会だと分かっているわけでもあるまいし、まさか事業所に親たちが大集合するなんて理解出来ているとは思えない。
私たちは息子の前で普段通りを完璧に装ってきたはずだ。
普段と違うことなどなにもない、至っていつも通りの日常。それなのに、息子は何かを敏感に察知しているとでもいうのか。そんなまさか…

先生方の大きな掛け声とともにカーテンが開いた。
「福太郎君!」
なんと息子がトップバッターである。

呼ばれた福太郎はしばらく微動だにしなかったが、先生から優しく背を押されてよろよろと舞台に出てきて、誰に何を言われるでもなく、ちゃんと自分の立ち位置の前で止まった。
「おお……!!!!!」

鼻の奥がつんとし、目頭が熱くなる私。
慌ててバッグの中からハンカチ(とっておきフェイラー)を探す。

子どもの入場だけで泣く私。
一体私の涙腺どうなっとんじゃ。

福太郎は明らかに顔色と表情を失っていた。
「福ちゃん!」
そう呼びかけ手を振っても死んだ魚の目で何の反応も示さない。

次々に名前を呼ばれ飛び出してくる子供たち。
両親を見つけ喜色満面になる子、持ち場を離れ母親の膝に座る子、反応は様々であるが、福太郎だけは自分の持ち場に両足が張り付いてるかようにピクリとも動かず、まるで感情というものをどこかにおいてきてしまったかのようだ。

「これ…福太郎はどういう感情なん?」
涙をぬぐいながら、思わず笑ってしまう私たち。
「俺たちのこと見えてるよね?」
「今まさに明らかに目が合ってるよね?」

横一列に並んだ子どもたちが簡単な振り付けと共に歌い始める。
福太郎終始ピクリとも動かず。

2曲目はそれぞれが鈴をもって歌に合わせて鈴を叩いたり振ったりするというもの。
「これやばい、鈴なんて持たせたらコンマ5秒で投げるやろ」

こわごわ見守っていると、なんと福太郎は持たされた鈴をがっちりホールドし、おそらく世界で私たち夫婦しか気づけないほどかすかに、曲のリズムに合わせて鈴を鳴らしているではないか。

「おお……!!!」
夫は思わず身を乗り出してスマホを構える。
果たして世界一地味なお遊戯動画が撮影された。
子どもの手元をズームしてようやく動きが確認出来るほどの奥ゆかしい動作。
なんと典雅。

我が息子は、やはり天から賜った尊い天上人なのではないだろうか。
微かな鈴の震えを見ながら、この子を大切に育てなければと妙に神聖な気分になる。

その後息子は表情及び感情らしきものを失ったまま、「大きなかぶ」のお歌に合わせてかぶを引っ張って見せ、全ての出し物をついにやり切った。

みなでお辞儀をすると、子供たちが各々の両親のもとへ一斉に駆け出す。
私も両手を広げ福太郎の名を呼ぶ。
福太郎は…瞳の光を失ったままやはり自分の持ち場を離れない。

え、どんだけそこを守り通す気なの…?

見かねた先生から背中を押される形で福太郎はよろ…よろ…と猫背で歩いて来、すとん…と私の膝に座った。

「福ちゃんー!よく頑張ったねぇ!!!」
そう言って夫と二人息子の頬やら頭やらを撫でていると、私の胸に頬を付けてうつむいていた福太郎の瞳からぽろり…と一粒小さな涙が零れ落ちた。

「…!!!」
思わず顔を見合わせる私と夫。
めちゃくちゃに、顔色を失うほど、死んだ魚の目になるほどに福太郎は緊張していたのだ。

思えばここ最近の夜泣きや今朝のぐずりも全て福太郎なりの緊張からか来ていたものだったのだろう。

ぼくちん何も分かっていません、みたいな顔をしてその実、我々の想像していた以上にいろんなことを分かっていたのだ。

膝に座って体を小さくしてポロリと泣いたあの福太郎の顔はきっと一生忘れられないものとなる。

発表会が終わり、すっかり夜泣きも収まった。
プレシャーや不安を言葉にして外に逃がすこともできない息子がたった一人でやり遂げた。

実は来週仕事で非常に気の重いイベントが複数控えていて、既につぶれそうな私だが、息子を見習ってやり遂げようと思う。
幸い私には胸に抱えたもやもやを言葉にして外に逃がす手段だって持っているんだから。



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