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お墓建てるも娘4人墓守が心配と言う

何年前になるのだろうか。妻と実家の新しいお墓を見に行く。義兄の車に便乗して岩見沢の市営墓地へ。見上げるような墓石から和洋折衷の墓石に変わった。娘4人、墓守が心配と言う。

帰りに伯父のキリスト教のお墓も参った。印刷会社の社長で生活派の歌人。1980年3月16日、腎不全のため死去。74歳。読売新聞空知版は18日付で「岩見沢文学界の巨星落つ」と報じた。

逝きまして四十余年牧水をわが歌の師といまも言ひきる

3年前、伯父を紹介している。歌集「狭き視野」(小西米作)の中に「みちのく遠野」が11首ある。私たちの結婚式(昭和48年)に列席するため、北海道・岩見沢から岩手・遠野に来る。

婚宴の酒に酔ひつつ噪げり農に老いたる人素朴にて

「狭き視野」は、昭和53年作の「老の眼の一つ失ひいよいよにわが視野狭くなりゆくらむか」の一首からとる。

昭和42年5月に眼底出血があり、44年3月には一夜にして左眼の視力を失った。急性緑内障によるもの。その後も眼圧が高いため52年11月に、医師のすすめもあり左眼摘出手術を行った。

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