春の訪れに考えたこと。
暖かさを感じる日差しとまだ少し冷たい風
なにかを失ってしまいそうな不安と何か新しいものに出会えそうな期待感
毎年、そんな複雑な感情に気づくのは、子どもの頃のクラス替えから続く出会いと別れの経験のせいかもしれない。
「来年も先生のクラスが良い!」
そんな期待と裏腹に、大好きだった先生が異動してしまう寂しさ
「同じクラスになりたいな!」
そう言っていた友達が突然転校していく絶望
涙目になる終業式
そんなやりきれない感情にもがく日々も束の間
新しくやってきた元気で明るい先生に
北海道から転校してきた野球が上手な子
まだ話したことのないたくさんの同級生
これから始まる毎日を期待させてくれる始業式
そんな寂しさと喜びが交差する経験の蓄積が、この時期になると感じさせる、どっちつかずの感情を生み出しているのだろう。
一方で、年を重ねるたびに、この感覚の鈍りを感じている。
知識、経験、こだわりが、いまあるものに執着させる。
知らず知らずのうちに手放す不安から逃避して、積み上げたもので自分の中をいっぱいにする。
それは、不安や感情を少しだけ抑えつけることに成功するけれど、同時に頑なな自分を作り上げていく。
そんなことを考えていたら、純粋な心で、起きる出来事をただ受け入れ、湧き上がる感情にもがきながらも、スポンジのようにいろんなことを吸収していた小学生時代に戻りたくなった。
それってどういうことなのだろう、と考える。
執着を捨て、ただ起きる出来事を受け入れて、湧き上がる感情を味わうこと。
コントロールするのではなく、味わうこと。
何かを手放すと、何かが入ってくる。
何歳になっても、あのときの自分を取り戻せるはず。
春は、心の断捨離の季節ですね。
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