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大学院入学式に考えたこと・社会人9年目の学び直し

大学院の入学式に参列してきた。自分なりに考えることも多く、参加してよかったなと思う。

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MBAだけでなく、すべての研究科の入学式が同時に行われた。一橋大学には社会科学・人文科学の分野の研究を志す人が集まる。多様な目的と多様なバックグラウンドを持った人材が集まる場所だ。実際に、周囲の座席には海外からの留学生や、学部上がりの法科大学院生、自分より年上だろうと思える方々等、多様な方々が座っていたことが印象的だった。ビジネスパーソンのみが集う経営大学院の入学式とはまた違った雰囲気であった。ビジネスマンでありがながら教育者の役割も果たす自分にとって、ビジネスの手段レベルにとどまらず、広い範囲での目的や手段の多様性に触れられる機会は、教育の質を高める点においても有意義だと思う。

入学式の開始前、学部上がりの学生たち数人が法科大学院の授業の大変さについて語り合い盛り上がっている姿を見て、大学生時代の記憶が蘇えってきて懐かしさを感じつつ、ふと「社会人生活8年で何を得たのだろうか」と考え込んでしまった。若さ溢れる高いエネルギーレベルでがむしゃらに学ぶ学部上がりの大学院生と横並びになったとき、自分の経験はそのエネルギーに負けないくらいアウトプットの質を高めることができるだろうか。

そんなことを考える中で、ふと「出会う人の人生に敬意を持って過ごそう」と思った。学部卒業生だろうが、留学生だろうが、社会人学生だろうが、人種・年齢・経験に関係なく、一人ひとりがどのように生きて来て、何を大切にしたくて、何を実現したくてここにいるのかに目を向けたい。その目的は多様であり一人ひとりの人生に価値があるということを胸に刻むと、アウトプットの質云々を意識する前に、目の前の人と敬意を持って接する意識を留めておきたいと思う。仕事においてもそういう意識を持ち、メンバーのありたい姿に貢献することを目指しているが、こうして自分と離れた立場にいる多様な人と出会うことでより一層感じられる。

また、学長の式辞の内容がウクライナ戦争の話から、社会の発展に対して社会科学・人文科学の専門家が果たすべき役割に及ぶ話であり、この学舎で学問を探究し人格的な成長を果たすことができれば、社会の発展に寄与する自分になっていける期待感が膨らんだ。具体的なことはまだ説明できるほど道筋が見えていないが、社会の健全な発展を目指すという大きなプロジェクトの一部として自分の人生が役割を果たせるのかもしれないと思えると、少なからず喜びを感じられる。

そもそもMBAで学ぶ目的は、自分をいまの延長ではない場所へと連れていく力を得ること。まだまだ曖昧なビジョンの解像度を高め、実現する道筋を作っていくことだ。
そんなわけで、自分はビジネスの研究をしにいくのだけれど、同時に、多様な分野の研究や多様な人に触れる機会にもアンテナを張りたいと思った1日だった。その経験が長い目でみたときに、さらに遠くの場所へ、連れていってくれる気がした。

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今この瞬間を五感で感じることができ、胸が高鳴った入学式。生憎の雨だったけれど、リアルの入学式が開催されてとてもよかった。大学関係者の方々に感謝したい。ありがとうございました。

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