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藤浪晋太郎はどうしてクセになるのか?

世の中別に「そこまで思い入れはない」のだけれどもなんとも気になってしまう事がある。自分のイメージとか絵離れる出来事を目の当たりにした時に感じる「なんか違う感」。今日は野球ファンならこの「なんとなく気にしてししまう藤浪晋太郎」の理由を紐解いてみよう。

何故藤浪は”たたかれる”のか

今シーズン初めにMLBオークランドアスレチックスと契約を結び渡米した藤浪。投げるたびに映し出されるNPBと同じようなシーンはこれまでのシーズンを辿るようで、当然のごとく”たたかれて”しまうことになる。
ただ、逆に言えば、それは藤浪晋太郎という選手になぜか惹きつけられるという証左でもあるだろう。

なぜ藤浪晋太郎になぜそこまでひきつけられるのか。
結論それは「(無意識的に)自分の願望や期待を投影してるから」だと思っている。

人間誰しも「(自分が)こうだったらいいな」「あーいうふうになりたいな」という理想を掲げていると思うが、当然そう簡単に自分の思い通りになるわけではないのが世の常。それを近場のエンターテイメントである野球のプレーに重ねながらは自分の生活に照らし合わせ楽しんでいる側面もあるだろう。

ただその際に掲げる理想が「あまりに完璧過ぎる」とそこまでは欲張っては行けないという心のブレーキがかかり、これくらいならいけそうな目安を探すことになる。はたまた、置かれている環境や素質は存分であるにもかかわらず「歯がゆさ」を感じ、これまたその歯がゆい状況に”思わず”感情移入してしまう。

藤浪晋太郎は不器用の象徴か?

ここででてくるのが前述した藤浪晋太郎という存在。
例えば、大谷翔平クラスになってしまうともはや行き過ぎて現実味がなく、ただひたすらに凄い、自分とはか離れた存在ということを認識せざるを得ない。

しかしながら、藤浪晋太郎の場合、「大谷翔平にも勝るとも劣らない身体能力を持ちながらも完璧ではない(=未完成さ)」が魅力的であり、一般の広い野球ファンにとっては”気になってしょうがない”存在なのである。

この藤浪晋太郎の不器用さともいえるし、人間的であるような姿にプレーを見るファンたちは、まさに「こうだったらよいの」「こうしたらいいの」を藤浪自身が奮闘する姿をを通じて自分の中の鬱積した不甲斐なさを発散しているのだと思う。(もちろんそれが単純な批判となって選手を攻撃することは良くないのは言わずもがなではあるが)

結果、散々叩かれるのはここまでの選手ともなると有名税といえなくもないが気の毒ではある。ただ、裏返せばなんだかんだ言ってみんな心の底では藤浪晋太郎の”生きざま”が好きなんだと思う。

好きだからこそ、期待したいからこそなんか言いたくなっちゃう存在みたいな。

新しい環境で”New藤浪晋太郎”となるか?

アスレチック史上最悪のディールと呼ばれ、当初散々な内容だったものの必死に腕を振り、逆境にも負けず、制球やアプローチを変え、パフォーマンスを劇的に改善させた事は彼もまた稀有な能力の持ち主でいることを証明するには必要なステップだったのかもしれない。

いずれにせよ環境が変わることで「何かを」掴むきかっけをえることもできるし、またそこに「挑戦していく」ことに前向きな選手だと思っているのは別の記事でも書かせてもらった通り。

アスレチックスから優勝争いに絡むオリオールズへの「栄転」は世の中の燻ってるサラリーマンに立って勇気を与えるだろう。聞かん坊で荒れ放題、文句の一つもどうしても言いたくなってしまう。だけど同時にまた、160キロをゆうに越えるワガママなストレートに魅了されてしまう。

そしてオリオールズ移籍早々に相対する打者にホームランという一発を浴びながらも、12試合連続無四球は継続という名の通り”浪”のある投球を披露するわけだがこのあたりも見ていてなんとも「くすぐる」のである。

これだから藤浪晋太郎はやめられない。

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